今年に入ってからは震災による悲惨なニュース。

今もなお続く、原発の問題、節電

復興、課題が山積みの日本。


そんな中、なでしこジャパンの世界一のニュースは

日本中を感動と喜び、希望であふれ返させてくれた。


ふだん、サッカーを見ない、興味のない人も

これだけの歓喜に便乗し、「がんばろう」という気に

なったのではないだろうか。


なでしこ・・・・

それは大和撫子、楚々とした日本女性の代名詞でもあろう。

金メダルを胸に帰国したメンバーを見ながら思った。

かっこいい、だけど皆 大和撫子・・・紛れもなく美しい女性達だった。


精神力、気力、体力、知力も必要あろう。

本当に感動をありがとう。

がんばろう日本を「がんばった日本」にしてくれて

本当にありがとう。


そう思い、失いかけた夢とか希望を

もう一度がんばってみよう・・・


そう思ったのはきっと私だけではないはずである。



先日、児童精神科医の根來先生の学習会に参加さえていただいた。

学習会の内容についてはまたの機会にふれてみたいと思う。

最後の一冊の絵本を紹介下さった。


そして、優しい声で朗読して下さった。

非常に感動したのでご紹介させていただきたいと思います。


以下



「わたしがあなたを選びました」




                                  
おとうさん おかあさん あなたたちのことを こう 呼ばせてください

あなたたちが 仲睦まじく結び合っている姿を見て

わたしは地上におりる決心をしました

きっと わたしの人生を豊かなものにしてくれると感じたからです

汚れない世界から地上におりるのは 勇気がいります

地上での生活に不安をおぼえ 途中で引き返した友もいます

夫婦の契りに不安をおぼえ 引き返した友もいます

拒絶され 泣く泣く帰ってきた友もいます

あなたのあたたかいふところに抱かれ 今 わたしは幸せを感じています


     
  おとうさん

わたしを受け入れた日のことを あなたはもう思い出せないでしょうか?

いたわり合い 求め合い 結び合った日のことを

永遠に続くと思われるほどの愛の強さで わたしをいざなった日のことを 

新しい”いのち”のいぶきを あなたがフッと予感した日のことを

そうです あの日 わたしがあなたを選びました


 
     
おかあさん

わたしを知った日のことをおぼえていますか?

あなたは戸惑いました

あなたは不安に襲われました

そしてあなたは わたしを受け入れてくださいました

あなたの一瞬の心のうつろいを わたしはよーくおぼえています

つわりのつらさの中でわたしに思いをむけて 自らを励ましたことを

わたしをうとましく思い もういらないとつぶやいたことを

私の重さに耐えかねて 自分を情けないと責めたことを

わたしはよーくおぼえています


 
     
  おかあさん

あなたとわたしはひとつです

あなたが笑い喜ぶときに 私は幸せに満たされます

あなたが怒り悲しむときに 私は不安に襲われます

あなたが憩いくつろぐときに 私は眠りに誘われます

あなたの思いはわたしの思い あなたとわたしは ひとつです


     
  おかあさん

わたしのためのあなたの努力を わたしは決して忘れません

お酒をやめ タバコを避け 好きなコーヒーも減らしましたね

たくさん食べたい誘惑と 本当によく闘いましたね

わたしのために散歩をし 地上のすばらしさを教えてくれましたね

すべての努力はわたしのため あなたを誇りに思います


 
     
おかあさん

あなたの期待の大きさに ちょっぴり不安を感じます

初めての日に わたしはどのように迎えられるのでしょうか?

わたしの顔は あなたをがっかりさせるでしょうか?

わたしの身体は あなたに軽蔑されるでしょうか?

わたしの性格に あなたはため息をつくでしょうか?


 
     
  わたしのすべては 神様とあなたたちからのプレゼント

わたしはこころよく受け入れました

きっとこんなわたしが いちばん愛されると信じたから


 
     
  おかあさん

あなたにまみえる日はまもなくです

その日を思うと わたしは喜びに満たされます

わたしといっしょにお産をしましょう

わたしがあなたを励まします

あなたの意思で回ります

あなたのイメージでおりてきます

わたしはあなたをこよなく愛し 信頼しています


     
  おとうさん

あなたに抱かれる日はまもなくです

その日を思うと わたしの胸は高鳴ります

わたしたちといっしょに お産をしましょう

あなたのやさしい声が わたしたちに安らぎを与えてくれます

あなたの力強い声が わたしたちに力を与えてくれます

あなたのあたたかいまなざしが わたしたちに励ましを与えてくれます

わたしたちはあなたをこよなく愛し 信頼しています


 
     
おとうさん おかあさん あなたたちのことを こう 呼ばせてください

あなたたちが 仲睦まじく結び合ってる姿を見て

わたしは地上におりる決心をしました

きっと わたしの人生を豊かなものにしてくれると感じたからです


 
     
  おとうさん おかあさん 今 わたしは思っています

わたしの選びは正しかった と


 
     
  わたしがあなたたちを選びました

作者 ・ 鮫島 浩二

 

 

次回のめざす会の学習会がが9月に行われる。


前回の橿原でも「障害とは?」「差別とは?」

こういった質問と定義付けの難しさが問われた。


正直、このところ障害とはなんだろうかと自身も考えるところが多い。

行政から支給される手帳を手にした瞬間から

その人は「障害者」になるのだろうか。


人間ならば、日々の生活の中で何かしら

困難や、生きづらさを抱えているに違いない。

平和で穏和な生活が困難になって

越えなければいけない壁が高いと、それを障害と呼ぶ。


その壁の存在に気づき、越えようにも越えられないとき

誰かや何かの支援が必要になり、そのことで問題解決されればいいのだろうが

それが日常的になってきたとき、誰もが障害者になりうるのではないだろうか?


必ずしも、心身の不調に限ったことではなく

きっと日常生活の中で、向き合っていかねばならない困難は誰にでもあるはず。


「障害者」とは誰を指すのか?ではなく

誰もが誰かに手をさしのべる気持ちを持ち続け互いに支え合う精神が

今こそ必要なのだと思う。


差別も同じくである。


よく差別と、区別は違うという人もいるが

辞書を引くと差別とは区別であると明記されている。

他人の言動に明らかな悪意がない場合、

本人には差別意識がないことも多い。


差別する人、受ける人、感じ方も認識も大きな温度差があるような気がする。

これもまた対話が必要だと強く思う。

知らず知らずのうちに人を傷つけること

何気ない他人の言動に傷つく人。


制度か全ての解決になるとは思わないが

お互いに権利を主張できるそんな世の中になっていくのが望ましいと思う。