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ゆきねえの覚醒までの日記 2022年

2021年12月からスタート。
魂の覚醒って実際どんな?「覚醒しました〜」って言ってるけど、『自分にしかわからないのよね、この感じ』・・・ってどうなん??
じゃあ、実際自分でやってみるしかないやん。
って始めることにしたよ。(^^)
ほんまにぶっちゃけ。

2月。

「覚醒」の前の準備段階、つまり「内観=思い、考え、想像」を魂に向かって始めた。

現実が変わり始めたと感じてから、自分がまだ微細だけど何となく発しているエネルギーがある事を日々実感するようになった。

そこで、「これを強化していくなら、主体的にハンドリングする技術が必要だ」と思うに到った。

 

 今から10年前。息子がADHDグレーゾーンだと言われ、自分を責めてショックを受けて、その時は息子の将来に心配と不安でパニックになった。

当時家族にも「そんなはずない。」と受け入れてもらえず、学校や友達、社会になじめない息子が隣で寝ているのを見ながら、私に何かできることはないかと考えた。

でも息子は自分じゃない。私は自分の無力感、ジレンマ、何とか助けになりたい・・

息子の頭と撫でていたら、「寝れないからやめて。」と言われたけど、子供の体の調子が悪い時、いつもさすってあげる事しかできなかったしなあ・・・

そう考えて触れないように撫でるには、手から「気」を出せばよいかな?と思い立ち、日々夜になると手のひらをこすって温かくして両手を合わせたり、開いたり繰り返して、寝ている息子の頭を包んでいた。

半年ほど毎夜そうしていると、両掌の間に「圧」のような物を感じ、「これは・・・カメハメ波」的なもんじゃないかと。

それから息子が中学に入り自分のベッドで寝るようになるまでそれは続いた。

もやっとした白い煙がほわ~とでたり。そうしているうちに、1人寝となりその習慣は終わり数年が過ぎて今に。

 

 昨年の腹痛の件があり、今年に入って始めたエネルギーワーク。

自分の中の「恐怖、不安、怒り」から生じる生きにくさの原因は、目の前に見えている現象ではなく、自分の中にある「何か」だとわかり、日々内観していく事になった。

日常私を振り回していた「恐れ、不安、怒り等」の「根源」を感情を俯瞰して見る事で徐々に分かってきた。

ベクトルを外から自分の内側にむけるにつれ、内から外へのエネルギを感じて、目の前現実が変わってきた。そんな事を日々実感し始めてから、このエネルギーに振り回されずに上手くコントロールする事が必要だと思うようになった。

前から気になっていたけど見てなかった「気」の動画。

ある日「やっぱり気になる」と見てみた。すると・・・画面から「大丈夫かな」級の圧が。

「感じますかね~」って言ってたけど、いやいや胃も背中も胸まで「ぐわーん」って。

気になって2,3日続けて見ると、見るたびにこの「ぐわーん」がすごい。

 

初めて見た時、喉から「圧の棒」がめりめりめりっと下に向かって広がっていって。

気管が押し広げられてる?って感じ。

どこまで行くんやろ~っと思ていると、胸を通り過ぎて胃の当たまで落ちておへそで広がった感じ?

「面白いやん」

次の日、すぐに連絡とってこれから詳細を聞く運びとなった。。

 

1月に始めた「感覚のワーク」とこれからの『体感のワーク』

どちらも根源は同じエネルギーワークなら、見えないセンスからと感じる体感の両方でやってみよう。

 

考え方や物の捉え方が物凄いスピードで変化して、2か月前の私では想像出来ない感じ。

これも昨年の腹痛のおかげやな。 私のおなか、ありがとうね。

勉強は進み、だんだんブロックとはどういった観点で捉えるのかが分かってきた。

ブロック=ネガティブな事柄や現象からできた物。またその現象を目の前に引き寄せる物。

 

前述したように、私は「人から攻撃される」「戦わなければやられる」といった恐怖のブロックがまず最初に自分の中から出てきた。自分の中のネガティブのブロック、どんな物に対してあるのか、について考えていた。そうこうしていると、そもそもネガティブ/ポジティブの定義って自分が勝手に決めているもだと気付いた。

 

起こる現象には、良いも悪いもない。ただ起きているだけ。現象自体に感情も意味ない。

ラベル(感情付き)を貼ってその方向から見ているだけ。その感情が嬉しいとポジティブに感じ、苛立ちや不安だとネガティブになるだけ。実は結構シンプル。この構造に気付いた時、実は実は目の前に起こる現象は単にラベルの違いだけで、ポジティブを引き寄せる事自体はシンプルで単純なんじゃないか。

 もう一つ思った事。今までネガティブは悪いこと、無い方が良いみたいに思っていた。でも違うんじゃないか。例えば、紙の表と裏。表を見ている人は、文字がびっしり書かれている。裏を見ている人は真っ白。自分がどちらから見るかで紙の様子は全く違ってくる。でも紙は紙。ただそれだけ。表に光を当てるか、裏に光を当てるか、その時どんな感情を持ち合わせているか・・・で全く見え方は違ってくる。

 でも、紙は裏だけでも表だけでも存在できない。両方があって初めて存在化できる。良い物、悪い物とは双極性でなくて、それ以上に良し悪しはなく、単に両方ある、と言う事。

陰陽の太極図の白と黒で円。白だけでも円にはらないし、その反対も同じ。片方けでは円にはならない。その黒。それも自分が黒だと決めつけているだけで、クルっと逆にすれば黒も白なんやないか・・両方とも円の中に溶けているし。分離して見えているだけで、元は一つなんやし。

 

 そう思い始めたら、ネガが思ったほど怖い物でないように思えてきた。ポジばかりでは成長していない気がする。

自分の内に意識を向ける。ほんで、『ありがとう+もう手放すね』やな。

自分にはどんなブロックがあるのか?

このブロックを探すためには、私自身の魂に問いかけることが必要だとわかった。



 それで気付いた。

私はずーっと何十年も自分自身の内側を見てもこなかったし、まして話なんでしてこ
なかった。

いつも日常必要な事、何をすべきかとか、これをするために何を優先するべきとか、
物事をこなすために学習して身に着けるべきことは何か、人とうまくやる為にどうす
べきとか。。そのベクトルは全部外に向かっていて、自分の内側には向いていなかっ
た。

それを知って、いかに自分自身の体も魂も無視して放っておいたかを痛感した。

これってもう小さい頃からやったかも。

初めは自分のしたい事を思うようにした時、叱られて、「あれ?心のままに行動したらあかんのね?」って。

そんでだんだんこの世界にはルールがあって、その四角■の箱の中にありのままの自
分の丸●を押し込めないといけないのか、と驚いた事を覚えてる。

 お腹が痛くなった時も、始めは「お腹の中の腸か子宮が調子悪いんやわ」って病院
で検査して。結局、何も異常なし。

ベクトルを自分の中に向ける事に気付いたのは、やっとそれから。

お腹に手が自然と行って、意識をお腹にむけた。そして、どうしたん?なんか痛い
ん?って聞いてみた。

そうこうしてたら・・・「ごめんね」って言葉がでて。

 

 社会人になってから、私は人が怖かった。人は攻撃してくるのが当然で、いつも自
分は戦闘態勢。自分を守る為に武器をいかに装備するかって事を最も重視してきた。

その結果、私の目の前に現れる人全ては戦いを挑んで来て、寝る時以外は戦闘体制だっ
た。
でも社会で生きるってそれが当然と思っていた。だって、「世間は怖い。自分以外は
敵だと思え。」って先生言ってた。昭和の受験戦争、すさまじかったわ。。。

そうそう、それからお腹に日々意識を向けて話すようになり、「ごめんね。いつもあ
りがとうね。もう大丈夫やからね。」って小さい子供に話すようになって。

そこから2週間。あれ?ってみるみるうちに痛みがひいていった。ちょっと前までは
帰宅した玄関で痛みMAXで倒れて動けなかった程だったのに。

 

 結局、自分の内側に意識のベクトルを向ける事。自分の魂と話すこと。

これが単純で且全てかも。