この間は、
『友だち100人できるかな』の歌が
嫌いだった理由を書きました。
『友だちの数』
『友だちと親友の違い』
まあいろいろと悩んで育ちました。
いつも一緒にいる子が
少し違う友達と仲良くしただけで
嫉妬したり、されたり。
友達の多い少ないで、
ジェラシーを感じたり。
まったく女の子というのは
年齢に関係なく嫉妬深いようで。
かく言う私も、
そんな論争に巻き込まれたひとりです。
さてさて。
そんな『友だち』に関して
子どもが抱える孤独と
大人が抱える孤独は
当然のことながら、別のものです。
今日は子どもの孤独について
書きたいと思います。
これまで書いてきたように
子どもの場合は『友だち』
と言う言葉に振り回されがちです。
友だち100人できるかなー
なんて歌わされて。
友だちはたくさんいるほど
良しとされるわけです。
そんな中で
子どもたちが追い回されている
孤独の影。
お母さんや先生などの
友達が多くいることを良しとする
“大人たち”に
自分は友達が少ないだなんて
思われたくない。知られたくない。
そんな
『友だち』や『親友』が
いなくてはならない、という
一種の強迫観念のようなもの。
それに追い回されるのです。
私が死んだら
何人の友だちが
どのくらい仲の良い友だちが
お葬式に来てくれるだろう、とか。
これから先、
卒業しても友だちでいられる人は
何人いるだろうか、とか。
数えたこと、ありませんか?
私はありますよ。ええ。
もちろん本人は真剣です。
まあ、大人になってしまえば
わりとどうでもいいことです。
いや、たまには悩むことも
あるかもしれません。
ただ大人の場合、
もう少し違った孤独と
戦うことになります。
とりあえず、
子どもが戦う孤独。
それは大人や社会に貼られる
“レッテル”です。
実質的なことよりも
子どもはそういう偏見におびえます。
大人たちの力なくして、
ひとりで生きていけませんから。