お久しぶりのブログ。

 

最近は、ほとんど自分の気持ちを整理するときにしか使わなくなったなあ。。

 

先週、祖母が亡くなりました。

2月7日(火)0時44分でした。

 

2週間前から、調子が良くないと病院の先生から連絡は家族にきていました。

 

2週間前、テレビ電話で話したというか、面会した時が意識がある最後の面会になるかもしれないと言われました。

 

その時は目も開いていました。

 

その電話から1週間後の土曜日に、とうとう危ないと。。今週末乗り越えられるかわからないという連絡がありました。

私は県外に住んでおり、県外に住んでいる人の面会は基本的にできないとのことでしたが、最期になるかもしれないということで会わせてもらえました。

 

その時は意識はないものの、自分で呼吸をしていました。

とても苦しそうではあったけれど。

肩で呼吸をするというより、喉の筋肉を使って呼吸しているような、苦しいながらもちゃんと生きている祖母を見て、なんとも言えない感情でした。

 

自分の家族は、ずっと生きていく。なんてありえないけれど、そんな気持ちでいたからいなくなるなんて考えられなかった。

もうすぐ命がなくなる、という感覚はありながらも、どこかで持ち直して元気に帰ってくると思っていました。

 

苦しみながら呼吸をしているばあちゃんの右手を握ったり、揉んだり、額の汗を拭いたり、声をかけていると、ばあちゃんが泣いてた。

意識があるのかどうか分からないのに、会いに来たことがわかったのかな?と少し嬉しく感じました。それと同時に、ばあちゃんは覚悟したのかなという感情もありました。

 

実家がとても大好きで、じいちゃんが大好きで一人でいることができないばあちゃんが約半年も一人で入院していたのかと思うと、無理やりにでも面会に行けばよかったなと感じたりしています。

絶対寂しかった。こんな時、面会ができない状況になるというコロナが許せない。

コロナは、自分の家族の時間を大幅に奪っていった。

 

面会中、泣かないでいようと思っていたけれど、ばあちゃんと生きているうちに会えるのはこれが最期かと思うと、無理だった。

今まで一緒に生活して来て、大学から一人暮らしだったけれど、ずっと一緒に生きて来た人がいなくなるのはばあちゃんが初めてだったから、耐えられなかった。

 

多分、書いている今もまだ整理はついてません。

整理するために書いているのに、結局はまだ信じられない自分がいるなと思います。

 

人生で一番泣いたと思います。

 

どこかで覚悟はしていたけれど、やっぱりいざ亡くなってしまうと、想像以上の悲しみであって、耐えられなかった。

 

まだ、時間を見つけて書きます。

 

ばあちゃん、ありがとう。