父と娘と膠芽腫と

父と娘と膠芽腫と

私にとって絶対的な人である父親(82歳)が悪性脳腫瘍の中でもグレード4である膠芽腫の診断を受けました。
人生の晩年にまさかの困難

家族と共に最後まで父を応援し支えて行きたいと思いブログを始めてみようと思います。

父がホームに入居して(2024年10月4日)から1ヶ月が経ちました。


私と妹は交代で父の面会に行くのが日課となり

父が寝ている時は音を立てない様に部屋のお掃除や洗濯物の回収、時には椅子でお昼寝💤。


父が起きている時はお茶を入れて差し入れの焼き芋や鯛焼きフルーツなどを一緒に食べたりして過ごしました照れ


母は誘うと面会に来ますが、自分から来ようとはしません。

理由は1人で来れないからガーン


自宅から最寄りの駅まではバスで10分→駅から電車で20分→父のホームまでバスで10分


77歳の母は出不精で決まったルートでの外出はできるけど新しい場所や新しいルートでのお出かけは自分の中でNGな人ですショボーン


大学病院への通院も私と妹に丸投げ凝視


「お父さんの事任せっきりにしてごめんね、いつも感謝しています。私は何も出来ないから泣くうさぎ


と口癖のように言っていました汗


そんなある日、母に以前渡された実家の5年間の医療費の領収書もやもやを仕分けし、パソコンで明細書を作り確定申告書を作成していました。


還付金の口座を入力して完了となる予定でしたが父の口座番号を教えてもらっていない事に気がつき母にLINEを送りました。


5分たっても10分たっても既読にならず少しイライラハッ

電話するのは嫌でしたが作業を早く終えてしまいたいと思った私は電話をかけてしまいました....

これが運の尽き魂


父の口座番号を聞いて直ぐに電話を切る予定だったのに母の不安やこれからのことについてウジウジぐだぐだな話を永遠と聞かされるハメにえーん


「お父さんのホームに行っても辛いだけだわ。

お父さんぼーっとしてて話しかけても反応が薄いし

私の顔を見てもニコリともしないの。

家に帰ってきてからも気持ちが塞いじゃってねー」

「抗がん剤の後は副作用が出る時期だから眠いみたいで、私や〇〇妹が行ってもずっと寝てることもあるよ。でも体調のいい時はお茶飲みながら甘いもの食べる日もあるんだよ」


「大学病院の通院もいつまで続けるの?治療して良くなるの?抗がん剤飲んだってあんなに体調わるそうだったら意味ないんじゃないかと思って」


だんだん私の中でドロドロとした感情が流れてきました。


「大学病院の通院は続けるよ。ドクターが治療を続けてくれる限りね。

お母さんはたまにお父さんに会うと不安になる事があるかもしれないけど、元気な日もあれば悪い日もあるの。

私と〇〇妹は出来る限りの事をやってるつもり。

正直お母さんのメンタルまでフォローする気力は残ってないの。」


「私がちょっと不安を口にする事も許されないんだね。もうわかりましたむかつき

お姉ちゃんには今後、私のどうでもいい気持ちなんて二度と伝えませんから。」


ガチャンもやもや


電話は切られてしまいましたタラー

やってしまったーネガティブという気持ち半分

もう知らん魂が抜けるという気持ちが半分


娘2人におんぶに抱っこの母が父の通院の事に口出してきたり、自分の気持ちが沈むとか悲壮感を漂わせてきたり母らしいと言えば母らしいのですがこの場に及んでもまだ言うんだというのが正直な気持ちでした。


妹に母を怒らせてしまった事を報告して、暫くは母と距離を置きたい気持ちを伝えました。


12月の中頃ホームの職員さんに「年末年始はどうされますか?」と度々聞かれる様になりました。


入居している方の半分くらいは年末年始を自宅で迎える様でした。


妹は父に実家でお正月を過ごしてほしいと希望していました。

母は予想通り絶対にNGガーン


古い家で寒い為お父さんを家に連れて帰ってきて風邪でも引かせたら大変だから

というのが母の返事でしたが、単に嫌なのです。


自分の生活スタイルを変えるのが嫌

父の衰えている姿を間近で見るのが嫌

父がホームに戻りたくないといったら困る


そんな不安が母の心の中にあったのかもショボーン


妹は年末年始を旦那さんの実家で過ごす為

父を実家に連れて行き父のお世話をするのは私の役割です。


「お母さんは本当に冷たい人だわあせる

お父さんにとって最後の年末年始かもしれないのに」


わかるけど....結局あなた(妹)はお正月不在なのだから理想論を言っても

結局両親と過ごすのは私な訳で汗うさぎ


長くなるので続きます


父と娘とクリスマス🎄