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ファッション談義

ファッション雑誌はもはや女の子のためだけのものではなく、最近は男の子向けのファッション雑誌も多い。


「SMART」「メンズノンノ」「HUGE」「COOL」などなど。それも若い人たちだけではなく、いわゆる「モテリーマン」を目指す中高年向けの雑誌も多いから本当に面白い。


さらには男性用整髪料に男性用コスメ、メンズエステともう何でもアリらしい。

 そういった男性のファッションに対する意識の拡大やそうして新たに開拓された市場の活発さは言語表現の豊富さとなって我々の前に姿を現す。


例えば、「スケーター系」「お兄系」「B系」「サーファー系」といった既存のカテゴライズもいまではもっと細分化され、何種類もの表現が使われるようになっている。

日本だけではなく世界のファッションをリードする街となった原宿に行くと、上記のようなジャンルに属する人たちが闊歩している。

 日本の男性は昔に比べればずっとおしゃれに気を使うようになってきた。それは確かに良いことではあると思う。「外見よりも中身だよ」なんて以前はよく言ったけれど、人と人がコミュニケーションをとるときにまず見るのは外見なのだから、外見を磨くに越したことはない。

 でも・・・何かが変だ、とも感じてしまう。


なんというか「おしゃれすぎる」のだ。


確かにある程度お金をかけているのはわかるし、ブランドものも取り入れたりしているからまあそれなりにおしゃれに気を使っているのはわかる。


でもその服、実生活に向かないんじゃない?

歩きにくくない?

って思ってしまう。



要するに見せるためだけに着てるという印象をぬぐえないのである。

服装だけが先走ってその人の人間性やライフスタイル、趣味なんかがまったく反映されていない。



所詮洋服は洋服、それ以上でもそれ以下でもない。



洋服を通して自分という人間(これまでの人生や価値観を築いたバックグラウンド)を透かして相手に見せる。それが本来のファッションだと僕は思うのだ。



自分の人間性すべてを覆い隠して、塗りたくったキャラクターを演じるようなファッションをしながら、それを「おしゃれ」だと平然と言い切る人々に、僕は嫌悪感を抱かずにはいられない。

もしも自伝を書くのなら

誰でもツラくなって落ち込むことってありますよね?


いったんそういう感情が出てきてしまうともう他に何も考えられなくなって

ひたすら引きこもってしまう。


これを読んでいる人の中には

そういう方もいらっしゃるかもしれませんね。




かくいう僕はどうかと言いますと、

わりとポジティブな人間なのであんまり落ち込むことってないんです。


友達とかには「お前いつも楽しそうでうらやましいよ」って言われます。

このセリフそのものはうちの会社の役員の人が言ってたんですけどね。



でもまあこんな僕でも落ち込むときはあります。




20年以上も生きていればへこむ時もあります。





で、


そういう時に僕はどういう風に考えるかというとですね。







「将来めちゃくちゃ有名人になって(別になりたいと思っているわけでもないんですが笑)

自伝を出した時」を想定します。




イメージしてください・・・

イメージしてください・・・




「あんまりヤマ場がないと面白くない」



ですよね?




特に僕なんかは学歴とかだけ見ると意外と優等生に見えてしまって波乱万丈というわけではないんで、


せめて感情だけでも起伏がないと・・・ねえ。




僕はどん底に落ちたとき

いつもこんなことを考えます。


すると不思議なもんでこれまではそのことしか頭に無かったのに急にそれがスーッと遠くで起きている僕に無関係な出来事のように思えてきます。




みなさんも是非試してみてください(笑)

広告における自己主張

世の中には多くのキャッチコピーがあふれています。


その中でも特に優れたものは、その商品がなくなった後でも人々の記憶に残ります。



僕も今週から本格的に求人広告の原稿を作成するようになりました。




言葉の選び方、文章の抑揚のつけ方等基本的な部分がまだまだできていなかったりするので

上のようなレベル云々の話ですが、



強く意識していかなければならないと思うことがあります。





それは


自己主張をゼロにすということです。


文章やイラストを描くとき、


僕たちはついつい自分なりの主観や表現を入れてしまいがちです。




しかし僕たちは小説家でもイラストレーターでもない。




企業の求める人材と、転職者を効率的に結びつけるのが仕事です。





それは完全に客観的なもので、主観の入る余地はない。



僕はそう考えています。




とはいえ僕たちは常に主観の中で生きており、完全な客観など存在しない。



そこでもがき続けるのが、僕たちの仕事です。






TOEIC

もはや英検がもてはやされる時代はとうに終わり、現在就職やキャリアアップにおける英語力判断の基準にはもっぱらTOEICが用いられているようだ。




TOEICとはTest Of English for International Communicationの略で、これは英語が国際的コミュニケーションを円滑に行うためのツールとして捉えられていることを示唆している。



 公立の小学校の教育レベルが全体的に低下していることに加え、キムタク・工藤静香など、芸能人の子供が多く通っているという一種のブランド的要素も手伝って、最近インターナショナルスクールの入学志願者が急増していると言う。





ここでは、外国人の教師が授業を行い、会話はすべて英語で行われる。




子供達は幼い頃から生の英語に触れ、ネイティブ並の発音が出来るようになる。




うーん確かに効果はありそうだ、とRとLの区別が出来ない僕なんかは思ってしまう訳だ。
 



でも、実際どうなんだろう?





発音はネイティブ並、それはいい。






じゃあ話す内容は?





いくら話している英語が流暢で日常会話がスムーズに出来ても、いざ自分の国の文化や歴史、価値観の話題になると口ごもってしまう。





それで国際人って本当に言える?





結局問題はそこにある。






 極端に言ってしまえば、英語を話す人なんて世界で一番多いんだから発音の癖や言い回しも多岐にわたる。




アメリカとイギリスでさえかなり異なるし、「正しい英語」なんてあってないようなもの。





アメリカでは通じてもイギリスでは通じないってこともしょっちゅう。






ネイティブの人たちもその辺は分っているから、ある程度の間違いは許容する。





要するに相手を判断する基準は英語そのものではなく話す内容である、ということだ。





 ここでもう一度さっきの問題について考えてみよう。





言語が人の思想に大きく関わっているというのは前にも述べた。





我々はいくら英語が話せるようになってもやはり思考に関しては、それが複雑になればなるほど日本語によって行わざるを得ない。





そして日本語による思考回路が形成されるのは小学校くらいまでの限られた時間なのである。





この時期に複数の言語体系に触れることは、




この思考回路の形成を妨げてしまう危険性をはらんではいないだろうか?









インターナショナルスクールの存在意義を全否定するわけではないが、

英語の会話技術を身に付ける代わりに失うものも大きいのではないかと思わざるを得ない。



 僕は英語がいくら流暢でも話す内容に深みがない人を本当の国際人とは認めない。





たとえ文法が間違いだらけで発音がめちゃくちゃでも、話の中身で人を惹きつけられるようにありたいと思う。







自国の文化と歴史を熟知し、それに自分独自の価値観をのせて語ることが出来る。







それが本来のInternational Communicationのあり方だよね?

エイプというブランドの強さ



僕が高校生くらいの頃に絶大な人気を誇った裏原系ブランドの老舗、A Bathing Ape。



新作が発売されるたびに行列が出来、ネットオークションでも信じられないような値段をつけてました。



しかしあまりにも流行してしまったために、

つい最近までは「修学旅行に東京に来た中高生のおみやげ」的な要素が強くなってしまった感も

ありましたが、



さすがはNIGO!!




今をときめくネプチューンズのファレル(写真)と「BBC」、「Ice Cream」というブランドを立ち上げ、



カニエやジェイZ、モスデフ、コモンといったヒップホップ界のスターがこぞって着用したことで

アメリカでも人気が爆発し、




ついに海外進出、また日本のB-BOYの間でも人気が再燃した。




カフェ、美容院、CDと幅広く展開していくエイプ。



どこまで拡大していくつもりなのか。





NIGOいわく「飛行機をエイプカモにデザインするのが夢」なんだとか・・・



個人的にはこういった形で日本のブランドが認知され、

その相乗効果によって日本での人気も高まるというのは非常にうれしいかぎりです。












異動になって

私事ですが、

9/1付けで営業から商品プロデュースに異動になりました。


要するに広告の原稿を作るコピーライターみたいな仕事です。



僕はまだ新米なのでまずはそこからスタートし、

(とはいえ奥が深いのでなかなか難しいですが)


だんだんとサイトのコンテンツの企画・プロデュースというレベルまでいければいいなと思います。



会社としても色々と事情があり、

今回はかなり大幅な人事異動があったため、

僕もこんな形で移動することになりました。



4月に入社してから実質4ヶ月間、新規事業の立ち上げとその営業に携わってきましたが、


なかなか思うように結果を出すことが出来ず、


僕も会社も志半ばでいったん退却というような形になってしまったのは、


非常に悔しく、残念な思いです。





ただ、新入社員でこんな経験を出来るのもうちの会社の魅力の一つだと思います。



営業であれ企画であれ、相手のニーズを引き出しそれに見合ったサービスを提供するという根本的な部分はまったく変わらないところだと思うので、



とりあえずは早く仕事に慣れるよう勉強しなくては。



懐古主義か?高齢化か?

週間ヒットチャート<シングルベスト>=山野楽器

1.CLOSE YOUR EYES/YAMATO
  .....長渕剛
2.キズナ
  .....ORANGE RANGE
3.東京(限定盤)
  .....福山雅治
4.8月のクリスマス(限定盤)
  .....山崎まさよし
5.OCEAN
  .....B’z
6. 100億のLove Story(CDのみ)(通常盤)
  .....THE ALFEE
7.I’ll fall in love
  .....松田聖子
8.EXIT(CD+DVD)
  .....EXILE
9.100億のLove Story(CD+DVD)(初回生産限定盤)
  .....THE ALFEE
10.ONLY ONE
  .....矢沢永吉
 提供:銀座山野楽器(期間8月22日─28日)
 [29日 ロイター]


なんか面白いですね。このシングルチャート見てると。



まるで僕が小学生のころのミュージックステーションにでも出てきそうなメンツです。





安売りっぽいポップスがついこの間まで流行していた反動なのでしょうか。

人々の関心はもっぱら往年のスターへと移っているようです。



それともi-podなどによってCDの売上そのものが落ち、シングルCDの購買層は

40代から50代の中高年層に完全にシフトしたと見るのが正しいのでしょうか。

役に立たない勉強

去年、様々な国の14歳の中学生を対象に行われた学力検査の結果によれば、日本はこれまでダントツで1位だった数学を含めあらゆる科目においてランクダウンした。




マスメディアはこぞって「学力低下」であると嘆き、現行の「ゆとり教育」を批判した。



ようやく政府も危機感を抱き、対策を講じているというところである。



自分達がはじめた時は「ゆとり教育」が素晴らしいだとかなんだとか言ってたくせに、いざ国民の間に不安や不信感が高まると掌を返したようにこれを否定する。




むしろ政府のこうした対応や、政策における一貫性のなさこそが問題の根本にあると思うのだが。





 僕たちが中学生くらいの時もそうだったし、塾講師のバイトをしてた時もそうだったんだけど、生徒ってよく「勉強なんかして将来役に立つの?数学なんか掛け算が出来ればいいじゃん」って言う。





こんな時に先生達が決まって言うのは、「そんなこと知らなくてもいい」とかの類のこと。




生徒に好かれようと思って自分のプライベートなんかは知りたくもないのに暴露するくせに、そういう大事な質問は拒絶する。





要するに先生達も学校教育の基本的な部分を理解しないまま教師になっちゃったんだよね。






 本来日本において学校教育の目的とは生徒に論理的思考力を身に付けさせ、自立した社会人を育成するということである。







数学でも国語でも英語でも、すべては物事を論理的に考えるための題材として使われている。




数学は買い物が出来ればいいと言うのではなく、抽象的な問題を具体的に考えたり、具体的な議論を抽象論へと昇華させたりするための訓練なのである。





英語教育において文法の占める割合が極端に高いのもこのためだ。






「ゆとり教育」にも、今後施行されるであろう教育制度にも、お互い欠点があって難しい問題ではあるのだが、




「何をやるのか」の議論をする前にまず「何がしたいのか」の議論をしなければ、解決の糸口は見えないだろう。

ピアノマン騒動を思う

ピアノマンは実はピアノが下手だった???



「謎のピアノマン」は芝居 英紙報道 20歳のドイツ人、すでに帰国

 【ロンドン=蔭山実】英国南東部の海岸で四月に保護され、「謎のピアノマン」として世界的に話題となった身元不明の男性は実はドイツ人で、芝居をして医師らをかついでいた、と二十二日付の英大衆紙デーリー・ミラーが報じた。報道を受け、ドイツ外務省は同日、名前は明かさなかったものの、この男性がドイツ南部バイエルン州出身の二十歳で、今月二十日にドイツに帰国したことを確認した。
 同紙によると、看護師が二十日にこの男性に面会し、「今日は何か話してくれるか」と尋ねたところ、男性は「はい。話します」といきなり答えた。保護されてから約四カ月間、何も話さなかった男性がついにわれを取り戻したと看護師はあぜんとしたという。
 ところが、男性はそれまでも話すことができなかったわけではなく、自分はドイツ人で、「父はドイツで農場を経営し、姉妹が二人いる」とちゃんと話した。パリで仕事をしていたものの、職を失い、ユーロスターで英国に渡って自殺しようとしたところを警察官に保護されたとも明かした。
 男性は保護された直後、ペンと紙を渡されてグランドピアノの絵を見事に描いたが、それもとっさに思いついたまでのことだった。礼拝堂のピアノでクラシックの曲を弾き続けたというのは間違いで、実際は一つの鍵盤をたたき続けただけで、男性もピアノがうまくないと認めたという。
 病院では当初、記憶喪失とみて音楽療法や絵画療法を試したものの、効果はなく、その後は自閉症の兆候もあるとみて治療を続けていた。自殺しようとした際に背広や靴から身元確認につながるようなラベルをすべてはがしていたことも自閉症と関連があるとされたが、それも男性の策略だったとされる。
 病院では「悪ふざけと思えるようなところはまったくなかった」と語るものの、むだな治療に多額の費用がかかったとして男性を訴えることも検討しているという。

8/23 産経新聞より

Photo


どういうわけか全世界を巻き込むことになってしまったこのニュース。

結局なんだったんだろう・・・

という思いをしている人も多いはず。



昨今のメディア不信をいっそう助長するだけの結果となってしまったわけですが、

なんか僕たちが納得できないのはこの事件のどの部分に対してなんでしょう。




思うに、事実そのものが誤って伝えられたことではないでしょうか。





意見や推測がずれていたり、外れていたりすることに対しては、

僕たちはメディアに責任を押し付けないし、

押し付けるべきではないと思います。




僕たちはそうした点については自己認識や自身の価値観によって

複数のメディアを比較検討して情報を取捨選択する必要があるし、

それは義務だとも思います。




ここで問題とすべきなのは、



クラシックの楽曲を次々とひいたという事実がまったくと言っていいほどないにもかかわらず、

それが事実として伝えられたという点にあります。



こういった点についてはきっちりと批判していかなければならないでしょう。


メディアの存在理由にも関わってくる問題だと思いますし。



ていうか





ピアノ弾けないんだったらもはや「ピアノマン」ですらないんじゃ・・・



と思った人も僕だけじゃないはず。


燃やせる?燃やせない?

今日の日経新聞でもチーム・マイナス6%の運動について掲載されていたので、

それに関連してゴミ問題がらみ(?)の話を一つ。




この頃コンビニや駅前などのゴミ箱の表記が以前とは変化していることに気づいてる人はいるだろうか。






前は「燃えるゴミ」「燃えないゴミ」という表記の仕方だったのに対して、

最近は「燃やせるゴミ」「燃やせないゴミ」と変わっている。




こんなのたいしたことじゃないと言ってしまえばそれまでだが、


だったらなんでわざわざ表記を変える必要があるんだろうと思ってしまうわけだ。






それなりのコストをかけてまで(おそらく全国規模で)こうした政策を行う以上、何かそこには意味なり目的なりがなければならない。







 これは、昨今のゴミ分別方法の厳格化やリサイクル法の制定などとリンクしていると思われる。





都内をはじめ関東の一部ではかなりゴミの分別が厳しくなっていて、

千葉県白井市(だったかな?)などに至っては、

12種類にも分けて出さなければいけなくなっているようだ。





例えば、アルミホイルであっても、カッターの部分、ホイルの芯の部分とわけるように。





従来の表記では、「燃えるゴミ」「燃えないゴミ」のイメージは、


どちらかと言えば自然科学的に「燃える」か「燃えない」かで分けていた感がある。




つまり、常識的に考えて「燃える」ものか「燃えない」ものかというカテゴライズである。




この分類では、ビニールゴミでも「燃える」のではないかという解釈を大衆側に与える可能性がある。




一方、新表記で強調されているのは、

国の定める法律、条令において「燃やせる」か「燃やせない」かという要素が色濃く反映されている。




つまり、芯の部分もアルミホイル自体も「燃える」ものであるが、日本あるいは各地方自治体によって制定されている法律上は、同一に扱って「燃やせない」のである。




ゴミ箱の表記の変化は、日本がこれまでの常識や倫理によって統治された社会からアメリカに見られるような法律や規約によってすべてが決定される社会へ本格的に移行していくということを象徴しているのかも知れない。





 アメリカでは、電子レンジで猫の体を乾かそうとしたら猫が死んでしまい、怒った飼い主が「説明書には猫を乾かしてはいけないとは書いておらず、事故の原因はすべてメーカーにある」として裁判を起こし、飼い主側が勝訴するという珍事件も起きている。

それ以来以来、電子レンジの説明書にはそういった内容までが含まれているという。


←ガセネタらしいが。



この話の真偽はともかく、こんな日本では考えられないようなエピソードが生まれるところが、訴訟社会と呼ばれるアメリカを象徴しているのかも知れない。
 



国際化社会と言われる今日において、欧米諸国は日本人の国際的視点が欠如しているとして事あるごとに批判している。



そうした中で、学校教育にディベートを取り入れるなどの政策が日本国内でも徐々にとられつつあるが、ゴミ箱表記の変化も、極端に言うとこうした諸政策の一環であるのかも知れない。



ただ、先のアメリカの事例が示すように、欧米の法治主義や訴訟社会が決して完全なものではないことは明らかであろう。




ゴミ箱の表記が変わる程度ならば何の問題もないが、すべての政策がこうした方向に走ると言うのならば、賛成は出来かねる。




日本の歴史や国民性を再認識し、それを理解した上で日本独自の国際的視点や国際性を模索することが求められている。