前記事を書いてから、しばらく
「なんでハイジの言葉には腹が立たない
・・むしろ、一緒になって泣きそうなぐらいの気持ちになる・・のに、
いわゆる『慢性痛の啓発サイト』の言葉には
腹が立ったり悲しくなったりするんだろう・・」
って、考えてました。
そして、今、
カギは相手への敬意なのかなと思い至っています。
尊重して大切に思う気持ち。
その気持ちが無いと
諭す言葉は、上から目線と感じやすい、
だから悲しくなったり怒りを感じたりするのでは・・と。
・・・・・・・・・・・・・・
痛みに苦しむ患者が
わらにもすがる思いで検索して、たどり着いたサイトで、
いきなり、今までに受けてきた治療や
自分なりの痛みの対処法を全否定されるような言葉を目にしたらどう思うだろう。
自尊心ズタズタになって
それ以降の言葉が入ってこなくなるような気がするのは私だけ?
たとえ、それまでの治療が慢性痛に適していなかったとしても
たとえ、患者自身のネガティブな要素が、痛みの増悪に関与していたとしても。
まずは、患者さんの「今」に対する敬意。
●なんとか痛みを治したいと治療を頑張ってきたこと。
●日々、痛みに耐えて、やっとの思いで暮らしていること。
●周囲に分かってもらえず孤独感を深めながらも気力をふりしぼって何かとつながろうとしていること。
・・等々、に対する、
ねぎらいや、敬意の言葉があっても良いように思うんです。
「お辛い中、よく頑張って来られましたね」
というようなこと。
もちろん、対面での対話と
ネット情報を「読む」ことには大きな違いがあって
文字では限界もあると思います。
それでも、そのサイトを訪問してくれた患者さんに思いを馳せて
最初の言葉は、辛さを労う、温かなものであってほしいです。
ちなみに、
ペイン主治医が、教授に就任された時。
病院ニュースに掲載された、ご挨拶の言葉を読んで、
ああ、とても先生らしいなぁ。と。
だから何度もぶつかりながらも、
一度も上から目線とは感じたことが無かったんだなぁ、と
じーんとしたのを覚えています。
いつだったか記事にした記憶があるけれど、再掲。
『・・ペインクリニックでは、痛みに悩む患者さんたちに薬物治療、神経ブロック治療、カウンセリングなどを通して関わり合い、痛みに伴うさ まざまな苦しみを教えていただきながら今日に至っています。』
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ほんまかいなと突っ込みたくなるキャラではあるけど、ね