飄々としてます
なおみんです。


絵を習い始めました。
ステッドラーは心の投資にもなる。


さて昨日の続きというか。

今日、夫氏に
子どもの頃の楽しかった記憶と辛かった記憶
両方聞いてみたところ。

楽しかった記憶は話してくれたけど
辛かった記憶は、思い出したくないと言われ。

辛かった記憶を思い出すと
そのときの感情ごと、思い出すらしい。



いや、多分それが普通なんでしょ?


なんか余計なこと思い出させて
申し訳ないことをしたなぁと反省。
むしろわたしの胸が痛んでおる(HSP)


わたしが過去のことを考えて泣く時って
自分のことじゃなく、誰かの感情を思った時で

あぁあの人、もしかしてあの時本当は!
みたいなのに気づくと泣けるんだ。
親の気持ちとかね。

けど、自分の過去の記憶については
ものの見事に、すーん。てなる笑笑


まじでわたしの記憶装置どーなってんの。
感情の反芻機能が短期のみだよ。


このやり取りを夫氏として言われたのが

『だからあんな文章が書けるんだと思う』


あんな文章とは。
過去の記憶をサラサラと克明に自己開示。とか
自分の思うことを感情入れずにつらつら。とか


うん、確かになぁ。
みんなもっと苦しむのかも。
でも泣きながら出せと言われても無理だな。
これもまたひとつの才能ってことにしよう。


面白いなぁと感じたのは

つい1か月前の
手術後の、麻酔切れてくときの感覚。

この記憶を思い出そうとすると
オエェっ_:(´ཀ`」 ∠):となって
その時の感情にアクセスできなくなってるの。

わたしの『嫌な記憶の消し方』って
多分こんな感じなのかもしれない。


そして
30歳前後あたりの記憶が
もしかしたら一部消えてるのか
思い出そうとするとハカハカしちゃって
辿り着けないゾーンがあるっぽい。



記憶なんて曖昧で
自分の都合の良いとこだけ覚えてて
あとは記憶を捏造してたりもするけど

わたし、
ところどころ記憶ごと消去してそうで
でも全部を覚えていたくて
もどかしくて発狂しそうにもなる。

そんな意味で、ブログって
わたしにとって
感情を書き留めておけるツール。
多分、追体験はできないけど。

記録って、大事なのかもな。