愛媛県在住。3男2女の母
現在、娘2人と、猫3匹、オカメインコ1匹と暮らしています。
ライスワークは、H27年1月から、母親のお店(たこ焼きえっちゃん)で働いております。
同、H27年2月8日、フラクタル心理学カウンセラー3級の資格を取得。
【自己紹介】
1963.1.24愛媛県新居浜市にて2人姉妹の長女として出生。
【幼少期】
登園拒否児で母を困らせる。
行ってしまえば問題なく遊べる子。母の気を引く為の行動は、大人からみたら問題行動で、夜中に突然泣き、暴れる(夜驚症と後で知る)そんなとても育て難い子だったと母から聞く。床下に入れられたり、馬乗りになってお灸をすえられたり、ずっと虐待を受けたと思っていた。
【小学校低学年】
母が祖母の病院の付き添いでいない日が続き、2.3年生の頃の記憶は無し。
4年生の頃から、両親が自営業を始めたのがきっかけで、近所の母方の祖父母宅に居着いて、そこから登校していた。男女で一緒に畑で遊んだり、郷山に登ったり天真爛漫な小学生だった。
【中学校】
校区外だったが、同じ小学校の子と同じ中学校に進学。
この頃から、成績に順位が付いたり、自分と人の違いに気づくようになり、劣等感を感じ始める。
【高校】
普通の高校受験をせず、地元の病院附属の看護学校に入学。休みの日は、バスで松山にスクーリングに通う。看護学校卒業後は、3年間勤務しながら、夜間の定時制高校に通う。
普通に高校生活をエンジョイしてる同級生が羨ましく感じていた。
娘の不登校にイライラしたのは、これがあったから。
【結婚1】
正看護学校を受験し、入学する直前に、昼休みに勉強を教えてくれていた職場のドクター(最初の夫)に求婚され、入学を取り消し、S59年に結婚すると同時に、
短大に行かせて貰う。
S61短大卒業後、長男出産。
H元年 次男出産。
この頃、長男の言葉の遅れ、集団に入れない、こだわり、カギをかけてないと、どこへでも行ってしまうくらいの多動に気づき、岡大の小児科や、当時の友人の紹介で徳島教育大学に相談に行く。
徳島教育大学で自閉症の診断がついた時に、ホッとしたのを覚えている。
それまで、私の育て方や、家系の問題云々と、夫や姑に言われ続けていたので、私のせいではなかったという安堵感でもあった。
しかし、子供の将来の希望や夢を閉ざされ、更にパワフルになっていく息子に絶望し、共に命を絶つことも考えた時期もあり、障がいを認めるのには、時間がかかった。
次男は、公園でゆっくり遊んだり、砂場遊びをしたりという経験をさせてやれず、常におんぶや抱っこだった。
幼少期は、自閉症の子供の言語訓練とリトミックを受ける為、バスを乗り継ぎ旭川荘に通い、
小学校は、出来るだけ普通クラスにという思いから、3年生まで普通クラスに在籍。H8年長男が事故で5ヶ月入院。4年生から支援学級に移行。
長男は、高機能自閉症で、会話は出来る為、理解ない教師に暴力を受ける事もあり、中学からは、専門の先生のいる学校に入学する。
【自立】
長男の自立の目処がつく頃、
私自身も自立心が芽生える。
「私らしく生きたい」
そう決意して、夫に内緒で看護師の道に戻る。
H14 長男だけ連れて出て行くのが条件で、協議離婚。
【結婚2】
職場の介護士をしていた16歳下の夫と、2度目の結婚をするも、理由は割愛しますが、3年間で終わり。当時次女はまだ5ヶ月だった。
【離婚2】
H17 10月、母と妹の協力で、地元愛媛に戻る。
全て自分が良いと思って選択した人生なのに、何故私は同じことを繰り返しているんだろうと、その頃から自分探しをし始める。
レイキに始まり、シータヒーリングや色々なヒーリング、
アロマアドバイザー、若石式足揉みと、様々な資格を取り続ける。
そして、フラクタル心理学に辿り着く。
きっかけは、幼少期の虐待の話をした時、
「それは虐待ではなく躾です。
そうまでされないとあなたは言うことを聞かない子だっただけでしょ」
と言われて、初めての事で開いた口がふさがらなかったのを覚えている。
思考が現実化する100%例外なくと言う現実化のしくみを学び、
周りは自分の投影
自分の人生を振り返ってみた時、愕然としました。
過去の捉え方を変えることで、全てオセロのコマがパタパタとひっくり返る感じがして、伝える側になりたいと思い、カウンセラーまで学び進んで行く。
ところが、カウンセラーを学んでいる最中に、母親が、ネフローゼを発症し、店を半年閉める。
母の店は地元では人気店で、再オープンを心待ちにしてくれているお客様に申し訳ないという事で、
私が店に立つと決めて、H26の年末で看護の仕事を辞める。
店をしながら、休日を利用して、カウンセリングをしたり、講座をしたりしていた。
【病気】
H29.8月 息苦しさと、体調不良が続く為、健康診断を受ける。
受けてる途中で、呼び戻され松山の病院に入院の準備をして家族と共に、すぐに行くようにと医師に告げられる。
何がどうなってるのか分からないまま、松山県立中央病院へ1人で行く。
そこで通されたのが、血液腫瘍内科🩸
えっ?………………
骨髄穿刺をし、慢性骨髄性白血病と告げられる。
今は、良い薬がありますからと言う先生の声を遠くに聞きながら、
冷静に、
カウンセラーが病気になった?
現実化のしくみを伝える側が、病気になった…
もう、カウンセラーは出来ないと、どんどん自責していく。
でも自分が作ったのなら、死なないという確信はあった。
どんだけ休みたいん!
どんだけ怠慢なん!
動け!動け!動け!
こんな思考はダメ!
感情を動かすな!
チャイルド撲滅!
そんな言葉で自分を痛めつけてきました。(インナーは萎縮して小さくなって、どんな言葉にも無反応)
そこからは、カウンセリングから一切手を引き、自分自身と向き合う事を優先しました。
もちろん学んだ心理学は素晴らしいものです。
ただ、優先順位があって、自分自身と仲良く、信頼関係を築くのが私にとっては最優先だっただけ。
それから地元のメンターである山田美妃さんのテキストを3年かけて学び、
平成30年の年末に、藤本さきこさんの設定変更の一冊の本に出会い、3冊目まで一気に読み、自分を知る事が加速していきはじめる。
どんなに理想のアファメーションをしても、潜在意識に、相反する思考があると、現実化は阻まれる。
その為にも、自分が本当は何を望んでいるのかを、深く深く潜って知る。
そうする事で、とても思考がシンプルになってきて、色んな事が変わり始める。
その頃知った吉良久美子さん。
R1、12月高知まで逢いに行く。
久美子さんのお話は、とても分かりやすく、誰かの話ではなく、実体験に基づき話をしてくれるので、同じ「思考は現実化する」話も新鮮な感じで聞き入ったのがきっかけで、
魂を震わせる自分ビジネスのお話を是非学びたいと思って現在進行形。
1期の徳橋美穂さんと話をしているうちに!
修正完了していると思ってた幼少期の話、
「それって親が正しくて、自分が悪いっていう設定じゃない?」
えっ?
この視点が私には無かったんです。あまりにも当たり前すぎて。
でも、このプロフィールを読んだ皆さんならお分かりかと思いますが、
私がダメだから、悪いから……こうなる、
って出来事ばっかりなんですよ。
虐待してたのは、私!!
私が私のインナーの直美ちゃんを叩いて、罵って。
気づいた時には、涙が溢れてました。ごめんね。
人生のシナリオを自分が創ってるなら、こんな波乱万丈なのはもういいわ。
可哀想な私、自分責めは卒業しよう。
誰かのシナリオの脇役もしたくない。
自分自身のことって、たった5%も分からないのがほとんどの方の、現実なんです。
そう思えた時、こんな私だからこそ力になれる、寄り添える人、応援出来る人が必ずいる。
私の過去と同じループにいる人を深い底から引っ張り出してあげられるんじゃないかと思えるようになりました。
今の思考が未来を創ります。
共に、楽に、自分らしく生きていけるようお手伝い致しますので、是非、応援して下さいね😊