また、病院の話に戻るが、A病院は精神病院で閉鎖病棟

(外出するときには同行する人がいないと外に出られない病棟のこと)

だったけど、幸い主治医がいいお医者さんにあたり、

看護婦さんたちも感じがよい人たちばかりで、

今までの入院生活と比べると、快適な入院生活だった。

病院食はまぁまぁ美味しく、週に2回はお風呂に入れた。

でも、入院中は他の患者さんとは情報交換程度にして、

あまり深入りはしないというスタンスをとっていた。

ただ、ちょうど同じ頃に入院してきたKさんとだけは仲良くなり、

毎日いろいろな話をした。



Kさんは息子さんがいるのだが、実は娘さんもいて、15才のときに

電車に飛び込み自殺をして亡くなってしまった。

それがひきがねになって、Kさんはうつ病になり、

何度も手首を切ったりしていたようだ。

夫婦関係もうまくいっていないと言っていて、

家族がいるのにどこか孤独な感じがしていて、

かわいそうだな、と思いながら話を聞いていた。



Kさんとは数ヶ月間同じ部屋だったのだが、

たまにみんなが夜寝静まった頃に、突然娘さんの名前を呼ぶことがあり、

それで周りが目を覚ますことがあった。

かなりつらかったのだろう。

そういうときはKさんはしばらくすすり泣いていた。

Kさんのことはこの1年間すっかり忘れていた。

それを思い出すと、私のトラウマも出てきてしまうから、

思い出したくなかったのかもしれない。

Kさんが退院するときに連絡先を交換し、一度電話をくれたことがあったが、

私は入院していたことは早く忘れたかったので、

Kさんにはこちらから連絡することはしなかった。



だから、今私の周りでうつ病体験者といえば母だけである。

その母とも実は8年間まったく連絡をとっていない。

父ともずっと会っていなかったのだが、私が去年入院するときに

ダーリンが父を呼び出し、病院に行くときに同行し、

その後一度面会に来たのを含めて2回だけ会ったが、

その後は連絡をとっていない。

両親との関係は書き始めると長くなるので、

また今度書こうと思っている。

私がうつ病になったのは両親が原因なので、もう会いたくない。

だから、入院中ダーリンの他にお見舞いに来てくれた人といえば、

仲良くしている伯父と親友2人だけだった。



退院してから、私が心を割ってうつ病の話をするのは、

主治医と電話カウンセリングでお世話になっているカウンセラーの人と

一部の友人たちで、普段はあまり話すことはないのだが、

たまにこうやって体調を崩すと、会う約束をしていた人たちに

簡単に話すとみんな分かってくれて、

特に詮索されずに今まで来ているので、

普段元気なときの私はうつ病のことを真剣に考えることはあまりない。



でも、こうやってたまに具合が悪くなると、

やっぱりうつ病って再発するんだな、まだ完治していないんだな、

と思って気が重くなる。

これから何年間は薬を飲み続けないといけないだろう。

栄養療法も続けていかなければならないだろう。

34才で発病してから、私は薬なしでは生きていけない

身体になってしまった。

子供の頃から持病がある人もいるかもしれないが、

私の周りは健康な人が多いので、なんで私だけが・・・

と思ってめいることもある。



でも、薬を飲み続け、ダーリンに協力してもらえば、

私は自宅で闘病しながら生活を送ることができる。

それは幸せなことなんだろうと思う。

よく年取った人が「老人ホームに入りたくない、

自宅で暮らしたい」と言う、という話を聞くが、

その気持ちがすごくよく分かる。

昼間一人でいても、自宅でルネがそばにいて、

毎日ダーリンを見送り、帰ってきたら出迎えてあげる、

というものすごくシンプルな生活ができるというのは

とても幸せなことなのだ。

今5時15分だ。

ルネがじっとこちらを見ている。