昔、斎藤一人さんのお話の中でこんな一節を耳にしました。
「天国と地獄と、入り口はよく似ている。だけど中は全然違うんだよ。」と。

また、出処はわかりませんが、こんな話も目にしました。
「地獄への道は天国で舗装されている。」と。

地球では、目に見えてわかりやすいもので価値基準は判断されやすいです。
近年では、「成功」という概念も定義も千差万別で人によって異なり、人の数だけ成功の形が存在することを多くの人は頭では理解していると思います。

ですが一方で、
極端な話、例えは辛辣ですが、どれほど親切で心が純粋な人であったとしても、その人がホームレスであったなら、その人の話に真摯に耳を傾ける人はそう多くないでしょう。
酷い話ですが、ホームレスであるということで、視界にすら入れてもらえないかもしれません。
つまりはそれほどに、多くの人は、その人が目に見えてわかる形で、今手にしているものでもって、その人の人となりを判断する材料にしてしまいがちです。 
昔読んだ故船井幸雄さんの著書に「本物は困らない」との一節があり、そこからも、うまくいっている状態というのは、仕事、経済、人間関係の全てが好循環というのがいわゆる成功している状態といえるし、それが本来あるべき人の姿であるため、成功者に憧れる人はなくならないのだと思えます。
(ホームレスの状態にある方を差別や非難する意図は一切ありません。)


昨今、大成功をおさめて雲の上のような存在であるかのように、崇拝されていたかのような人物が、ある出来事をきっかけに、全てを失うかのごとく転落の一途を辿るような現象を目にする機会が増えています。
それは、ひとつの出来事がきっかけであっても、元を辿ればその人の心の在り方が元凶で、その在り方でもって行動した結果、関わる人や言動の数多くを見誤り、その積み重ねでもって、いよいよ終わりを迎えたように見て取れます。

これも色々な方のお話の要約にはなりますが、
目に見えない世界の、目に見えない存在からの働きかけや力というものは確実に存在します。

そのうえで、
いわゆる成功者と呼ばれる人を見たときに、その成功者の背後の目に見えない応援、協力は、
◇「光」である神々からのものなのか、
◆「闇」として対峙する邪悪な存在によるものなのか、

一人ひとりが冷静に見極めないといけないと考えています。


◇神々は、常にこの世界と、そこに住まう人たちに幸せであってほしいと願っています。
幸せのためにより良くなることを願ってやみません。
神々は常にこの世界がさらに良くなるべく共同創造を人々としたいと願っています。
エゴや我欲、小我によるものではない自分以外の存在や、この世界そのものをより良くしていこうと考え、行動する人には、神々は応援協力を惜しみません。
ただし、そこには、境界線があり、境界線を越えてまで手を貸すことはできません。
あくまでこの世界を生きる肉体を持つ存在が行動するしかないので、愛しい我が子の幸せと成長を願い信頼しながらも、時に心を鬼にしながら過酷な試練にも立ち向かうことをただ見守っていたりもします。けれど、本当に危険な邪悪なものや、しなくていい苦労からは遠ざけたり、避けるべくインスピレーションや気付きなども授けてくれます。

神々は、慈愛に満ちています。

神々との共同創造をしている人であるならば、
心身ともに健康で、物心両面で豊かで、人間関係にも恵まれており、さながら天国のような世界をこの地球上で体現されています。



反対に、
悪魔や邪悪な存在との関わりを持つ人というのは、
見た目には、仕事、経済、人間関係の全てに恵まれているように思えても、その実は全く異なる様相なのです。
悪魔というのは、必ず対価を求めます。
天使や天国の神々には、無償で無条件の愛がありますが、悪魔にはそういった概念がありません。
対価というよりは代償といえるかもしれません。

悪魔が人に力を貸す目的は、必ず悪魔自身の目的達成のためなのです。(その人の真の幸せなどには悪魔は興味関心がありません。調和のとれた世界や平安なども悪魔は望みません。)
そのため、一時的には、社会的地位や名誉、名声、富など、人間界の多くの人には魅力的に映るそれらを与えますが、そこには条件付で限りもあります。
悪魔にとって力を与えた人間が、それ以上の役立つ要素がないと悪魔が判断した場合、今度は身ぐるみ剥がしに転じます。
最悪の場合は、命も奪います。
が、多くの場合、悪魔との関わりは、大きなトラブル、犯罪や暴力、警察や裁判沙汰、恐怖による支配、凄惨な事件などにつながるため、社会的生命を絶たれた状態ともなり、結局は、生命を奪われたも同然となります。
(ただし、成功や成長の過程で一時的にトラブルや災難、警察裁判沙汰となる出来事を体験することとは異なります。悪魔との関わりりを続ける間は、上記のような出来事からは逃れられず永続的であるという意味です。)

天界の神々は無条件で無償の愛であるのに対し、
悪魔は必ず大きな犠牲をはらうことを強います。
つまり、悪魔にとっては、人間のエゴの欲にまみれた理想を現実に具現化することは、応援協力などではなく、悪魔の目的達成のための単に使い捨ての駒であるともいえます。

二極化や多極化といわれて久しくなりましたが、
古来より万物に働く法則や原理原則というものが存在し、地球上でのそれらは誰も無関係ではいられません。

天使と悪魔のような両極の概念は、光が当たればそこに必ず影が現れるように、または、コイン裏表のように、この地球上ではそのどちらか一方をなくすことは不可能であり、そのため対立構造を良い悪いで判断することは目的ではなく、意味も成しません。

ただ、自分自身はどのような世界を生き、どのような人間として存在していきたいのか、そのために何をしていこうかと、そこに尽きると思います。



✨最後まで読んでいただきありがとうございました✨