役割を降りた人にだけ訪れる軽さ

― 私は私で整う、という選択 ―

人の役に立つことが、生きがい。
困っている人を助けるのが、仕事。

そんなふうに生きてきた私は、
自然と「困っている人」が集まる場所に身を置いてきました。

キズの舐め合い。
私は、それが悪いことだとは思っていません。

弱っている時、誰かのぬくもりに救われることは、確かにある。

そういう場所や時間は、必要だと思っています。

けれど、ある時から、
その場にいる自分に、強い違和感を覚えるようになりました。

誰かが、私のキズを舐めようとした時。
優しさのはずなのに、心がザワついた。
その人が嫌だったわけではありません。

ふと、気づいたのです。
ここで癒されようとしている自分自身が、嫌だったんだと。

私は長い間、
癒す側、支える側という役割で立ってきました。

その役割の中で、バランスを取り、生きてきた。

でも、いつの間にか、
「困っている人の中にいれば、私も満たされるのではないか」
そんな期待を、無意識に置いていたのかもしれません。

けれど、そこでは満たされなかった。

私は一度、こう思いました。
「キズの舐め合いの場所を、捨てなくてはいけないのだろうか?」
でも、それは違いました。

行かない、捨てる、ということではなかった。

ただ、私はもう、
そこに住む人ではなくなっただけ。

同じ悩みや境遇の人たちだと思って飛び込んだ場所でも、
向いている方向が違えば、
自分の感覚は正直に教えてくれます。

私が渦を起こせるなら…
そんなふうに思った瞬間も、確かにありました。
でも、無理に渦を起こそうとする私は、どこか浮いていて、正直、楽しくなかった。

それでも、
「この人たちを助けたい」という気持ちが、私の中に芽生えていることも、確かです。

だから、私が選んだ答えは、これでした。

その場にいながら、人生までは預けない。

常に居続けなくてもいい。
同化しなくてもいい。
必要な時に、必要な分だけ、関わる。

私は、私自身をもっと整えたい。

そして、もっと良いエネルギーを持って、関わりたい。

人と人がつながることは、大切。
いろいろな人と関わることも、大切。

その上で、
今の自分が育つ場所を選ぶことも、大切なのだと思う。

これは、区別ではなく、選択。
優劣ではなく、相性。

役割を降りた人にだけ訪れる軽さ。

それは、冷たさでも、諦めでもなく、自分の居場所を、自分に返した軽さでした。
私は私で整う。
その上で、手を差し出す。

離れるのではなく、
関わり方を変えるという選択を、

今、私は大切にしています。