※楽日までナチュラルに観劇したい方
※グロが苦手な方
※パーソナルは知らないままでいたい方

は、読まずにスルーしてください!

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ウチは親がなかなか残念なタイプで、いわゆる毒親に属するのだけれど、お金の管理が下手だった母のせいでその週の生活費がなくて今日食べるものも用意できないみたいなことは当たり前にあったのですよ。

そんなある日、母が「古本を売って今日の分の食費作ってくるね。帰りにお弁当買ってくるからね。」と言って出かけました。私はやっとまともなご飯が食べれるのが嬉しくて、ウキウキしながら待っていたら、帰ってきた母が手にしていたのは某コンビニスウィーツのハロハロ家族人数分(かき氷にソフトクリームとかゼリー乗ってるおいしいやつ)だったのですよ。
母に「あれ?そんなに本が売れたの?てかお弁当は…?」
と尋ねると母は「お弁当?そんなのコレ買ったから買えなかったよ。ハロハロ食べたかったから!菜緒もハロハロ好きだから嬉しいでしょ?」と逆ギレで言ってきたのです。

私は子供ながらに、ハロハロじゃお腹いっぱいにはなれないし栄養も取れないし、お弁当の方が絶対に良かった。てか約束と違うじゃないかと、湧き上がる落胆と怒りを抑えつつ、母の前で喜んだふりをしながら涙目でハロハロを食べたのを覚えています。

それから数年、母親の病気が発覚して入院してからは私と妹と2人暮らしで家のことを全部やって生活していました。(最低限の生活費はたまに会う父親から供給されてた)

そんな母親は癌で私が15才の時に亡くなったんですよ。最期の方は自宅療養で、でもそれなりには普通に過ごせてた方だったのですが、最期の1週間だけご飯も一切食べれず何も口にしないまま衰弱していく一方で、そんな7日間の後、吐血しながらだんだん話せなくなっていき、救急隊員に運ばれながら目を見開いてまさに亡くなるその瞬間を見ていて。その後は病院で一応最期を迎えた形には法律上はなったのですが。

食べ物を与えなかった母親が、私が用意した食べ物を受け付けない状態になって、そのまま亡くなっていく。

その因果かはわからない皮肉な状況は思春期の私に複雑な感情を呼び起こしました。

ショックではあったけれど……、普通は悲しむべきなのですが、私は「やっとこの母親中心の苦しい生活が終わった…」と安堵の気持ちが大きかった自分に自分で驚きました。

私はずっと心のどこかにそのトラウマを抱えていて。普通の生活の中では忘れて過ごしてますけど。
人が死んだ瞬間てなかなか生きてて見ないですし見たくないですよ…肉親だから看取れた的な観点では…良かったのかもしれないけど…だから街中で酔っ払いとかでも人が倒れてるところ見れないのですよね…

そこから、父親と数年は暮らすけどそっちもそっちでネグレクトで無理すぎて、高校生の時に一人暮らしを始めて、勢いで受けたオーディションに合格してダンサーとして働き出したのですよ。

(そこから、また紆余曲折あってAVの面接を受けにいくのですが…そのあとも、前の職場の人にいろいろ偏見で噂されたり、悪いマネにあって苦しめられたり、なんやかんやあった後に、今は踊り子として楽しく生活させて頂いてるのです。)


そんな私の人生を今日まで忘れて意識せず過ごしていましたが、今、皆様に"狂気と人間臭さがすごい"と感想を多く頂いて、私の中でナチュラルにオタク心でこだわりを持って組み立てたベッドを日々演じている私が、予想以上にここまで解釈に驚かれたり、深く受け取って頂けるものになっているのは何故だろうと考えた時、ふと腑に落ちたのです。

"私は死の匂いを知っている"

羅生門を学校で習った際に何の違和感もなくすんなりと下人の気持ちや情景が浮かんで、深い話だなぁとみんなほど怪訝に難しい作品とは思わず当時から読んでいたのかもしれません。
今回この『羅生門』の景を頂いて、私は楽しみで仕方ありませんでした!知ってる作品だし、唯一のフィクションだし、想像・創造しがいがあるぞと。絶対素敵な景だろうなーと。

みんなの気になる空中だから地上だから…や、自分が2ndということを意識せずにただ純粋にやりたい展開を詰め込みました。プロデューサーさんが今回は装置の稼働以外は指示もなくベッドは自由に私に預けてくださったので、私から構成を全部提案させて頂いて、それを面白いね!いいね!と全部受け入れてくださって、照明を作り替えてくださって、こうやって実現できているのが今とっても嬉しいです。

生きるか死ぬかを実際に経験した経験があるから。
幸い悪事は働いてないけど、偏見の多いAVやストリップ業界を選択し、覚悟を決めて生業として生活していること。
そして何より、子供時代の数日間の空腹の耐え難い辛さ、人間の我儘さ、明日の生活のために自分1人で切り開いていかなければならない人生、死の間際の人間…

そんなことも意識せずナチュラルに私なりの羅生門をお届けするぞ!下人を演じるぞ!と今日までやってきましたが、こうやってふと思い返して書き起こしてみると、そんな私の今までの人生が全部ステージに滲み出ているのかもしれませんね。

自分の人生と何気ない演目がリンクする瞬間、ストリップやってて良かった!今までいろんな経験してきて報われた!このためだったのかな!と辛かった過去すらも舞台作品・表現としてアウトプットできたことは私の人生にとっても何よりの伏線回収であり、ステージで生きる醍醐味かもしれません。偶然なのか必然なのか。
この数々の奇跡は生きる希望となっていて、それを受け取ってくださる皆様がいて、私は踊り子になった今はとっても元気で充実していて幸せです!

長くなりましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました!

あと3日、ぜひじっくりと味わって観て欲しいです☺️