先日、過食嘔吐はもうやめると書いたけれども、実は昨日をしてしまいました
過食をした日は体力的に限界で、すぐに寝てしまうのでブログも書けないし家事もできません
このブログを見ていると皆さん過食をしながらも、お仕事をされたりして本当にすごいなと思います。
私自身働いてる時に、過食嘔吐しているときは、休日の前の日とか平日してしまうと次の日は、なかなか使い物にならないポンコツでした
昨日の会食は夜でした。でもその前兆は、おとついからあって、おとついも旦那が飲み会のため1人でご飯を食べていて、最後おやつもいっぱい食べてあー食べ過ぎたなぁと思ったながらも過食にはつながらず我慢していました。
それはお昼も続いていて、なんだか毎食綱渡りのような状態でした
そんなのがずっと持つわけもなく…
昨日の夜ついに我慢のダムが崩壊してしまいました
この我慢ていうのが曲者ですよね。
決して誰かに押し付けられたルールではなくって自分の中でこれ以上食べたらだめとかこれは食べたらだめとか、ご飯に関するルールがいっぱいあって、それには何かしらの我慢をしていて、本当に食べたいものとは別のものを食べている場合がよくあります。
特に1人で食べるときは意識的に野菜を多く食べたり、野菜は嫌いなわけではないけれども、お肉やきっと揚げ物も食べたいのに野菜ばっかり食べている。
その小さな我慢の積み重ねが、もっと食べたいもっと食べたい→そうだどうせ食べるなら白ならいつも食べれないものを目一杯食べてから吐こう→買い出し→過食と言う感じになっています。
昨日もまさにこのいつものループに乗っていました
そしてこの思考のループから、
前は結婚したら抜け出せるんじゃないか?
一緒に暮らしだしたら抜け出せるんじゃないか?
いろんなこと考えていましたが、
全て自分を裏切ってきてしまいました。
なんとなく自分ではわかっているのです
太っている自分もそれでもいい、別にそれと幸せとは別だと自分自身が思えない限りは、決してこのループから抜け出せない。
太っている自分もそれでもいい、別にそれと幸せとは別だと自分自身が思えない限りは、決してこのループから抜け出せない。別に太ること=良いことではなくて、
痩せること=幸せの絶対条件出ないということそれを腹落ちさせないとダメ
例えばちょっと食べ過ぎたとしても、
今日は食べ過ぎたけど、また少ししたら頑張ろうかな、でもまぁいいかなとか
ちょっとぐらいまるまるしたとしても、人生変わらない!どうにかなるさ!って言う気持ちとか、
ちょっとしたその気持ちの余白を持つことができなくなっているのが今の私で、
それは他のことにも影響していて、
他人にもきっと厳しくなって、顔も険しくなってると思うのです
ちょっと位まるまるしても
きっとニコニコしている奥さんの方が私の旦那さんもいいと思うし、
ちょっとぐらい食べ過ぎても、毎食おいしいねって一緒に笑える奥さんの方が絶対幸せだと思うんです。
なのになのに抜け出せない。
何度だって宣言します。やっぱり過食のある人生より、まるまるしてもおだやかな人生それが私の望む人生。
次食べ過ぎたとき、次過食した時これを思い出します。