月末月初めは、締め切りごとが多く、

またドタバタ忙しくしておりました。



肩書きがつくまでは、

仕事も早く、あまりミスをしないタイプで、

締め切りより随分前に、

きっちり、ぬかりなく提出していました。




肩書きがついて、仕事量が増えてからは、

そうそう、そういうことができなくなり、

ミスも増えたし、

支障がないものは、後からでいいや

みたいな、いい加減なことも増えました。




自分を許す




ようにしているので、

そんなふうに、

ミスしたり、きっちりできなくなったりする自分も、

「仕方ない」と許せるようになったことで、

自分は、そんなに大した人間ではなかった

という事実も受け入れられました。




ミスしたら、怒られよ💕




ぐらいで、ちょうどいいなと。

でも、実際、あまり、というか、

ほとんど怒られない。笑



上司は、大体、私のミスを笑ってくれるし、

私のミスをカバーしてくれる。




自分を許す

を勘違いしてる人も多いのかもなーと思う。



なんでも自分勝手に、好き勝手に、

自分にとって都合よくではなく、

やはり、在り方なのだと思う。




同じことをしても、

違う結果になったり、違う対応されたり、

というのは、

その人の在り方から発せられるものが

違うからだろうと思います。



私が、

ミス少なくきっちり仕事していたのは、

自分で自分を律する私で在りたかったからで、

それは、ミスが増えた今も変わらないです。




許されるから

してもしなくてもバレないから

大して怒られないから

やらなくていいならやらない




とか、いろんな状況はありますが、

そんないろんな状況によって、




やるべきことをやらない私になりたくない

成長しない私の方を選びたくない




言われようが言われまいが

叱られようが叱られまいが

褒められようが褒められまいが

許されようが許されまいが





私は、




やるべきことはやる私で在りたい

成長し続ける私で在りたい

できないことはできるようになりたい




そう思うから、やってきました。

そして、それは今も変わらない。

その在り方の上でしたミスは、




許してもらえるから、これぐらいいいよね

叱られないから、しなくてもいいよね

という在り方の人がしたミスとは、



例え、それが同じミスだとしても、

全然違うのです。




それは、私が自分の後輩を見ても思うし、わかるから、

私の上司もきっと、そうなのだろうと思います。




他人のことに、気を取られている暇などないな、

と50歳を前に、本当に思います。





自分の在り方を整えながら、人生を楽しむだけ





すごいシンプルになりました。




他人にどうかしてもらおう

現実を変えよう




そこに時間を使うのをやめました。




忙しい日々ではあるけれど、

大変なことも多いけど、




どんな出来事も、

私を通して感じる体験でしかない。

どう受け取るか

どう感じるか

選びたい放題




その時点で、もう自由だな




と思うのです。



自由が外側次第、条件次第だとすごく苦しいはず。



自分にとっての自由は何か?



を、日々、感じる出来事から、

自分で自由に決めていいと思います。