今日は私の父の命日。
亡くなってから、28年が経つ。
私は父が旅立つのを看取った。
その時、私12歳、弟10歳。
私は2週間後には中学入学を控えていた。
父が亡くなり、わずか2週間でいつもと変わらない状況に無理やり戻して、中学校生活をスタートさせたっけ。
父が亡くなって、周りの友達から同情されるだけでなく、金銭的な部分でかなり嫌な事を言われたりしたっけ。
今もし元気で生きてくれてれば…なんて「たられば」な事を思う時もある。
生きてたら、夫の事も娘の事も心配して父なりのユーモア交えて話を聞いてくれてたかもしれないなあ…とか。
弟だって、引きこもってなくて何かしらの職に就いて父と息子の関係を築いてたかもしれない。
私は相変わらず、父に色々相談したり時には甘えてたかもなあ…
とまあ、「たられば」論に当てはめたら色々な事が次から次へと浮かんでくる。
今は私のタンスの上にとびきりの笑顔で写っている父の写真に何かしら思う事があるとまるでそこに居るかの様に1人話しかける。
不思議なもので夫や娘の事を話すととびきりの笑顔の父が居て、逆に私や母、弟の事になると笑顔で写っている父の表情が違って見える。
笑ってはいるんだけど、シビアな感じに見えるっていうか…
その時の自分の状況でそんな風に見える錯覚が起きるんだろうけど…
今週水曜に春のお彼岸中日に実家へ行き、仏様、ご先祖様、父へ手を合わせ線香をあげてきた。
今から洗濯物を干すついでに私のタンスの上にいる父の写真に色々話しながら手を合わせて来るかな。