私が幼少の頃に父母と私とで愛媛から
愛知へ移住してきた
のちに妹が生まれ4人家族になった
親父はやきもを志
愛知の陶芸訓練校に1年行ってた
そして卒業後に
多治見の陶器会社に就職していたが3年ほど勤め
独立して陶芸家になった
当時の記憶は借家の空き地に
古材やトタンで作業場を
セルフビルドしてた
ワイルドすぎるだろ
その頃はバブル期で景気がよく
器がよく売れた時代だったから
独立するにはいい時代だったと語っている
おふくろいわくこの仕事(自営業)は
会社勤めとは違い
収入に波があるからお金は貯まらないが
「夢があるじゃろ」が口ぐせだ
しかし息子の私が思う
よくお金のやり繰りをしてたものだと
土地を買い家とアトリエを建て新車を買い
2人の子供を私立の大学まで行かせたのだから
感謝しかない
私はそんな環境で育ったので
陶芸の世界で生きて行けたら楽しいかなて
ぼんやり思ってた
中学校では家がボロいとか
貧乏だとかいわれ
集団で陰湿なイジメにもあった
中がよかった友達にも突然なぐられ
意味がわからん
そんなの経験したら
人間が信じられないし
学校もつまらんかった
だから孤立してた
つまらん高校時代をへて
大学で信頼できる友達ができた
ちなみ今でも交流がある
大学を卒業し陶芸の学校に入った
そこで陶芸アートを知った
親父がやっていた器を作る仕事意外で
オブジェ的なアートで
生計をたてれたらかっこいいな
と思った
しかし器を作れば生活できると
親父にスリコマレていたので
アートの世界は無理かもしれないとあきらめ
器作りを始めるのだか
次第に作る事がおもしろくない
ありがたい話だが注文を頂いているのに
作れない事もあり
申し訳なくて自分を責めた
次第に作る事が苦痛という
ストレスになっていた
がむしゃらにやりたのにうまく行かないし
力の入れる場所がわからない
後輩たちは楽しそうに仕事をしている
やっかみうらやみした
この頃の自分は気分が落ち込んで
死に対して興味深々だった
そんなに苦しいのだったら
陶芸を諦め社会人として生きていけば
楽かもしれないと
いく度も会社に就職したのだが
なぜか心に大きな穴が空いたような
やるせない気持ちになる
そして人のせいにしてすぐに会社をやめる
常習犯であった
今になって思うのだが
やり方や計画ができていなかっただけ?
それだけ?
この自分に気づくのに20年以上はかかっている
オレの一番弱いとこはどこだ!
強みはなんだ!
これを知り認めれば全てうまく行くはず!?
己を知れば道が開ける!
いやいや人生そんなにあまくないよね
ですよねー
でも「夢があるじゃろ」
以上
yunoyama-works
hed naoto oono
ぐちとプロフでした
くま君「へー計画ねーぼくも同じだ
夏休みの日記とか一日で書いちゃうもん」
エテジジイ「ワシは自慢じゃないがノープラン、ノーマネーじゃ」
くま君「はいはい また話長いからやめとけよジジイ」
エテジジイ「はいはい このくまジャリ!」
くま君「あん やんのかエテコー す」
エテジジイ「ぶぁかじゃないの ジャリジャリ」
くま君「てめー! す」