先月公開された、映画「マクベス」。
今月頭に、ギリギリ滑り込みで観て来ました!
舞台でも多くの方々が演じられてる作品です。
(舞台いくつかのverを拝見させて戴いてるのと、訳された本も読んでいたので、ストーリー面は問題なし♪)
私は、野村萬斎さんの再演「マクベス」(2013年)を観て、「魔女」の存在印象が強く残っているのですが、
この、映画「マクベス」では、女性の魔女が確か4人いたんですね。
(「女性の魔女」と表記するのは、萬斎さん「マクベス」では男性が魔女を演じてらっしゃる為。←頭痛が痛いみたいな表記になりましたね(爆))
映画「マクベス」の魔女は、
女性、女性に抱かれている赤ん坊、女の子、老齢の女性……という、
どこか「人間が重ねる年齢」、
生まれてから老いていく《人生》をも表したかのような存在のように思いました。
最初に、マクベスが戦いに加わる場面の草原で、霧の中の魔女達に出会う時も印象深くて。
何というか、気づかない間に、魔女達の森(敷地内というか)に入ってしまっていたというか……
魔女にマクベスが見つけられてしまった、出会ってしまったというか。
物語が進むにつれて、私が感じた「霧に囲まれた魔女たちの草原」(魔女が霧を発してるようにも)が、
魔女と共に、映画の中で、ひとつのキーになってるように感じたり。
マクベスが魔女達と出会うのも、マクベス夫人が亡くなる直前に魔女達と会うのも、予言も、あの、魔女達が現れた草原…魔女達の草原の中で。←と見えた。
映像だからこそ見せられるシーンだなぁ…と。
そして、自分の中でつっかかっていたものが取れたと思ったのが、マクベス夫妻の部分。
マクベス夫人は、「愛しい我が子に、お乳をあげる幸せを知っている」(短く言うと)
…というような事をマクベス夫人がマクベスに言うんですが(セリフ曖昧でスミマセン!)、
後にマクダフから、「あいつらには、子供はいない」というようなセリフがあるんです。
ここの矛盾から、もしかしたら、前にも「こうかも?」と思ったかもしれないけど、
「もしかしたらマクベス夫妻の間には、子供は産まれたけど、何かのかたちで失ってしまったんじゃ…?」と。
そして、《魔女から予言を告げられる前のマクベス夫妻》と、《予言を受けてからのマクベス夫妻》。
夫への愛情から、マクベス夫人がマクベスを叱咤して、ダンカン王を殺害したら…
(一番最初は、マクベス夫人の中に、魔女が入り込んだかのようにも最初感じたシーンもありましたが。←夫からの手紙を読むシーン)
先々…特に後半で、
「思っていた幸せは、こうではなかった。いつの間にか、ボタンを掛け違えてしまった。夫マクベスが変わってしまった…いや、自分が変えてしまったのかもしれない」
…そんな想いや、
夫マクベスが、罪のない人までも(マクダフの妻子たち)手にかけてしまう事への悲しさや罪悪感等々。
マクダフの妻子のことは、子がいなくてもショックだと思いますが、
もし、子を亡くしていたら……夫人のショックは、計り知れないと思うのです。
夫人の中にある本来の心…抑えていた気持ちと、様々な思いが、一筋流れる、「夫人の涙」という形で表現されていたように感じて。
実は、購入したパンフは未だ読めてないので、これから読まねばなのですが
私の中で、マクベス夫人って、決して強くない、男勝りでもない女性で。
ただただ、「夫マクベスを愛する」という愛情から叱咤するし、
こうあってほしいという事も伝えるだけなんだよね、と、改めて映画という形で観ても思ったんですね。
運命の歯車を狂わされたのは、マクベスもだけど、マクベス夫人もその被害者なんだよなぁ…と。
…と、ここまで書いていたのに、UPし忘れてましたA-_-;)
あくまでも、個人的に感じた事、特に気になった部分のみ、つらつらと書き連ねてみました!
今年は、シェイクスピアyearなので、様々な作品が舞台でも上演され始まってますね!
…よし!
パンフ読むぞー!!(^o^)/
久々のメール投稿だ!
今月頭に、ギリギリ滑り込みで観て来ました!
舞台でも多くの方々が演じられてる作品です。
(舞台いくつかのverを拝見させて戴いてるのと、訳された本も読んでいたので、ストーリー面は問題なし♪)
私は、野村萬斎さんの再演「マクベス」(2013年)を観て、「魔女」の存在印象が強く残っているのですが、
この、映画「マクベス」では、女性の魔女が確か4人いたんですね。
(「女性の魔女」と表記するのは、萬斎さん「マクベス」では男性が魔女を演じてらっしゃる為。←頭痛が痛いみたいな表記になりましたね(爆))
映画「マクベス」の魔女は、
女性、女性に抱かれている赤ん坊、女の子、老齢の女性……という、
どこか「人間が重ねる年齢」、
生まれてから老いていく《人生》をも表したかのような存在のように思いました。
最初に、マクベスが戦いに加わる場面の草原で、霧の中の魔女達に出会う時も印象深くて。
何というか、気づかない間に、魔女達の森(敷地内というか)に入ってしまっていたというか……
魔女にマクベスが見つけられてしまった、出会ってしまったというか。
物語が進むにつれて、私が感じた「霧に囲まれた魔女たちの草原」(魔女が霧を発してるようにも)が、
魔女と共に、映画の中で、ひとつのキーになってるように感じたり。
マクベスが魔女達と出会うのも、マクベス夫人が亡くなる直前に魔女達と会うのも、予言も、あの、魔女達が現れた草原…魔女達の草原の中で。←と見えた。
映像だからこそ見せられるシーンだなぁ…と。
そして、自分の中でつっかかっていたものが取れたと思ったのが、マクベス夫妻の部分。
マクベス夫人は、「愛しい我が子に、お乳をあげる幸せを知っている」(短く言うと)
…というような事をマクベス夫人がマクベスに言うんですが(セリフ曖昧でスミマセン!)、
後にマクダフから、「あいつらには、子供はいない」というようなセリフがあるんです。
ここの矛盾から、もしかしたら、前にも「こうかも?」と思ったかもしれないけど、
「もしかしたらマクベス夫妻の間には、子供は産まれたけど、何かのかたちで失ってしまったんじゃ…?」と。
そして、《魔女から予言を告げられる前のマクベス夫妻》と、《予言を受けてからのマクベス夫妻》。
夫への愛情から、マクベス夫人がマクベスを叱咤して、ダンカン王を殺害したら…
(一番最初は、マクベス夫人の中に、魔女が入り込んだかのようにも最初感じたシーンもありましたが。←夫からの手紙を読むシーン)
先々…特に後半で、
「思っていた幸せは、こうではなかった。いつの間にか、ボタンを掛け違えてしまった。夫マクベスが変わってしまった…いや、自分が変えてしまったのかもしれない」
…そんな想いや、
夫マクベスが、罪のない人までも(マクダフの妻子たち)手にかけてしまう事への悲しさや罪悪感等々。
マクダフの妻子のことは、子がいなくてもショックだと思いますが、
もし、子を亡くしていたら……夫人のショックは、計り知れないと思うのです。
夫人の中にある本来の心…抑えていた気持ちと、様々な思いが、一筋流れる、「夫人の涙」という形で表現されていたように感じて。
実は、購入したパンフは未だ読めてないので、これから読まねばなのですが

私の中で、マクベス夫人って、決して強くない、男勝りでもない女性で。
ただただ、「夫マクベスを愛する」という愛情から叱咤するし、
こうあってほしいという事も伝えるだけなんだよね、と、改めて映画という形で観ても思ったんですね。
運命の歯車を狂わされたのは、マクベスもだけど、マクベス夫人もその被害者なんだよなぁ…と。
…と、ここまで書いていたのに、UPし忘れてましたA-_-;)
あくまでも、個人的に感じた事、特に気になった部分のみ、つらつらと書き連ねてみました!
今年は、シェイクスピアyearなので、様々な作品が舞台でも上演され始まってますね!
…よし!
パンフ読むぞー!!(^o^)/
久々のメール投稿だ!