上地の1年先輩に丹波慎也という投手がいた。
中学3年の時にこの投手のピッチングを見た彼は
『この人の球を受けてみたい』
強い意欲に駆られ横浜高校への
入学を決意。
翌95年入学後は、
いずれ将来を大きく期待される
バッテリーになる、と注目もされた。
特に丹波の存在感は松坂、
涌井らの高校現役時を遥かに
しのぎ、
だからこそ後輩の捕手上地は、
監督や小倉部長(当時)からの
リード、
捕球にインサイドワークの
基本的な考え方など
連日、怒鳴り声と高度な特訓に
涙する野球部生活だったはず。
その姿に丹波が優しく接していたことも
充分承知している。
この年の夏、
甲子園たけなわの8月17日に
丹波は突然、帰らぬ人となる。
心臓肥大による急性心不全。
前日、
練習試合を終えて帰宅、
就寝した自宅で
二度と目覚めることはなかった。