限りなく白

 綺麗めな青いワンピースに、お気に入りの厚底ブーツ。
 普段よりも少し濃い目に入れたチークと長めのアイライン。

 まぶたと涙袋にはラメを仕込んで、セミロングの黒髪は美容院でヘアセットをしてもらう。

 鏡に映る姿は、普段とはまるで別人のよう。


 私がこんなにも気合を入れて準備したのは理由がある。推しに会いに行くからだ。

 誰に見られても恥ずかしくないように、周りの可愛い女の子たちに見劣りしないように…。せめて見た目だけでも整えないと、推しのイベントに行くなんてできない。今日だけは、自分に自信が無いことをひた隠して、私が一番納得できる着飾った私で一日を過ごしたい。そう思って朝早くから一人でせっせと準備をして、10時の電車に間に合うように家を出た。


 6月13日から原宿の竹下通りの一角で開催されている、高本学第二回写真展「I am…」。今日は、そこで行われるトークイベントに参加する。実は前日にも大学の授業が終わってから原宿へ向かい、展示されている作品を一通り見てきた。昨日、会場に入って白い壁に飾られた写真を見た私は思わず固まってしまった。まさか本人が撮った写真ではなく、本人が写っている写真が展示されているとは思っていなかった。さらにプロジェクターで撮影時のメイキング映像まで流れているではないか。なんて贅沢な空間なんだ。

 そんなことを考えていると、不意に左奥から「ガチャ」とドアが開く音がした。気になって振り返ると、スタイルの良い金髪の男性が立っていた。一瞬で誰が出てきたのか理解した。

「推しだ…!高本学が出てきた!!」

 そういえば、受付のときに「後から本人が出てきますので、質問がありましたらどうぞ」と言われていたっけ。完全に作品に気を取られていて、すっかり忘れていた。

 彼はベージュのセットアップの服を着て、爽やかな笑顔で「あ、こんにちは〜」と一言。会場には、15人ほどのお客さんがいたが、彼の歩く邪魔にならないようにサッと避けて道を作っていた。その道を通って、彼は受付に用意されていた椅子に座った。

 「では、質問どうぞ」

 そうスタッフの方が声をかけると、会場にいた多くの人が列を作って順番に彼に質問を始めた。

 「写真展開催おめでとうございます!」

 「高本さんが一番お気に入りの写真はどれですか?」

 「全部で何枚くらい撮ったんですか?」

 一人一人の質問に、推しは「ありがとうございます」と言って丁寧に答えていく。推しとファンの方が笑顔で話す姿を見ることができただけで、私は満足だった。同じ空間に推しがいる事実だけで心臓が飛び出してしまいそうなのに、目の前に行って会話するなんてできっこない。その上、私は緊張すると声が出なくなるということに最近気づいた。なんという弊害だ。せっかく推しが貴重な時間を割いてくれているのに。

 自分が質問することは最初から諦めていたので、推しの姿をチラチラ見ながら「お顔小さいな〜」とか「足長いな〜」とか「あ、飲み物はやっぱりコーラなんだな」と考えていたら、質問タイムの30分はあっという間に終わってしまった。

 「今日は来てくださりありがとうございます。」

 そう言って推しは今回の写真展の説明を少しした後、出てきたドアから控え室へ戻って行った。

 現実離れした30分間だったな、そう思いながら私はふわふわした気分で左側の展示を見るために場所を移した。まじまじと写真を眺めていると、再び奥のドアが開く音がした。先程まで着ていたジャケットを脱ぎ、荷物を手に持って、いかにもこれから退勤しますという様子の推しがそこにはあった。その場にいたファンの方々に「お疲れ様です!」と言われた推しは、「ありがとうございました。お疲れ様です!」と言いながら出口へ向かい、会場を後にした。その道中、私の目の前を通って。

 突如与えられた衝撃に、私はゼンマイを失った機械式人形のようにその場に立ち尽くした。そこからの記憶は曖昧で、唯一覚えていることは会場の机に置いてあったノートに感想を書いてから帰ったことくらいだ。ちなみに自分が何を書いてきたかは覚えていない。

 

 「今日はどんな髪型にしますか?」

 美容師さんからの問いかけにハッとして、現実の世界に戻された。ヘアメの待ち時間に昨日のことを思い出していたら、ついぼーっとしてしまっていた。今日の天気は午後から雨予報。なので、耳横にお団子を作る羊ヘアに、後ろ髪は崩れてもわかりにくい外巻きにしてもらった。

 ヘアセットをしながら美容師さんは、「綺麗な黒髪ですね!」「イベント楽しんできてください!」と言ってくれた。髪のセットだけでなく、私のモチベーションまで上げてくれた。

 セットし終わった髪は言わずもがな完璧な仕上がりで、鏡に映る私はいつもより幾分か可愛く見えた。やはり美容師さんは天才だ。お礼を言って美容院を後にし、会場に向かうべく新宿駅へ向かった。


 14時35分、会場前に到着。しまった緊張して早く着きすぎた。早くからの整列はご遠慮くださいとサイトに書いてあったのに。でも、他にも私と同じ時間に参加するであろう二人組のお姉さんもいたので、私は端っこの方で待つことにした。しばらくすると周りにはだんだん人が集まってきて、時間になるのを待っているようだった。

 14時45分、一つ前の時間のトークイベントに参加していたお客さんたちが会場から出てきた。ついに中に入れる。私がどのタイミングで入ろうかと周りの様子をうかがっていると、先に待っていたお姉さんが

 「おねえさん3番目にきてたから!一緒に行くよ!」

 と声をかけてくれた。私は驚きつつも言われるがままお姉さんたちの後について中に入った。


 受付を終え、「お好きな席にどうぞ」と案内される。お好きな席、か…。私はどこに座るべきか立ち止まって悩んだ。入り口で声をかけてくれたお姉さんたちは、推しが座るであろう席の目の前に座っていた。会場の広さ的に、おそらくどこの席を選んでも推しの表情まではっきり見えるだろう。問題は、お姉さんたちが座っている席以外の全てが空いていること。つまり、今の私には最前から一番後ろの席まで選択肢が与えられている。

 この状況を見て一番初めに思い浮かんだのは「私が最前に自ら行くなんて烏滸がましい」という考えだ。しかし次に考えたのは、「せっかくお姉さんが一緒に私を連れてきてくれたのに、後ろの席に座るのも気が引ける」ということだ。なんとも、自分に自信の持てない私らしい迷いだ。着飾って隠したはずの自信のなさが、こんな時に邪魔してくるなんて。

 結局私が導き出した最適解は、一番前の席の端に座ることだった。お姉さんの気遣いを無碍にすることへの申し訳なさが勝ったのだ。それに、もうこんなに近くで推しを見れる機会はないかもしれない。

 お姉さん達の前を通り一番奥の席に座ろうとしたそのとき、

 「こっちの方がよく絶対よく見えるから!私の隣座ってください!」

 とお姉さんが再度、声をかけてくれた。私はまた言われるがままに、お姉さんの隣に座らせてもらった。そんなわけで、私は推しの真ん前の席でトークイベントに参加することになってしまった。

 

 15時、トークイベントが始まった。推しは昨日と同じ奥のドアから出てきた。

 「やばいお顔ちっっさ…!肌白っ!」

 「背高い、スタイル良すぎる」

 「今日もおしゃれなお洋服着てるな…」

 推しが椅子に座るや否や、あまりの近さに私の頭の中はパニックだった。目の前で椅子に座り、参加者に微笑む姿は周囲に飾らている写真と同じか、それ以上に美しかった。

 推しは早速、今回の写真展の話をしてくれた。

 ここに飾られている作品達はそれぞれ、孤独、プライド、反骨心、調和を表現しているそう。

 白い背景に白い衣装、パールの付いた白いヴェールを身につけた写真は孤独。パールは悲しみの象徴である涙。

 黒の空間に堂々と佇み、黒いジャケットを着た写真はプライド。肉体を魅せることで自分を誇示。

 ギターを持ち、赤いリップを引いた白黒の写真は反骨心。上目遣いで自らの意思をより強く訴えかける。

 背景、つなぎ、自分自身にもペンキで色を纏った写真は調和。たくさんの色に染まり、社会に溶け込む。

 作品に込めた想いを語ったあと、推しはこう言った。

 「僕は、作品を見たお客さんが感じたことが全てだと思っています。だから、あえて作品に含みを持たせるようにしています。僕の伝えたいこととか、表現したいことを写真を通じて皆さんに知ってほしいです。それで、写真に興味を持ってくれたら嬉しいなって思っています。」

 大好きな写真について話す推しは、キラキラしていた。


 「あぁ、彼は本当に真っ直ぐな人だな」

 話を聞いていてそう思った。どんな感情も偽りなく、切り取られた一枚の作品にする。努力家で、正直で、それでいて多くの人を魅了する、彼らしい生き方だと思った。

 真っ白なキャンパスにはどんな色もよく映える。彼はこの言葉を体現する人物に相応しい。舞台俳優としてステージで輝く彼に心惹かれるのは、きっと彼が限りなく白いから。完璧で隙がなく、美しい演技。彼の芝居が役という色を魅力的にする。努力の上に成り立つものだとわかっていながら、彼の純粋さがそれをより一層際立たせているのだと感じてしまう。そして、今この瞬間に私の目の前にいる彼から凛とした美しさを感じるのも、彼の持つ白さ故。いつも私が見ていた舞台上の彼とは違った、演じるわけでも着飾るわけでもない、高本学という人間本来の白さ。これを目の当たりにした私は、なんだか泣きそうになってしまった。彼の人間性を知れたことがたまらなく嬉しかったのだ。それと同時に、彼から目を離せない理由もわかった気がした。私が彼を追いかけるのは、この白さが羨ましくて眩しいから。自分には手に入らないと理解していながら、追いかけることをやめられないのだ。

 

 トークイベントが終わってから見る作品は、これまでよりも格段に洗練されて美しく見えた。どの作品もずっと見ていたいと思った。しかし、私が一番印象に残っているのは一つのキャプションだった。

 「『私』が好きな話をしよう」から始まる文章には彼の考えが綴られていた。その中でも、「自分を蔑ろにしてはならない・自分に嘘をついてはならない」という言葉が心に残っている。先ほど目の前で感じた彼の真っ直ぐさがよく表れた言葉だと思った。

 この言葉を受けて、私はどうだろうかと考えた。自分に自信がないことを隠して生きる私は、自分に嘘をついているのかもしれない。でも、私にはこの生き方しかできない。どうやったら自分に自信が持てるのかもわからない。けれど、写真展やトークイベントで見た彼の姿から、私も自分に正直でありたいと思えた。 

 写真展「I am…」は、私が自分自身と向き合い、「私」とは何なのかを考えるきっかけをくれた。

 そういった意味でも今回のイベントはとても記憶に残るものになった。

 私はこれからも彼を追い続ける。白が色に染まる瞬間を、この目で見ていたいから。