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高校生日記

実は私、小学3年の時から毎日日記つけてました。
社会人2年目ぐらいまで続けてたのかな。
でもそのぐらいの時、もう人生がつらすぎて笑

日々の思いを記してたら私死ぬわ思て、やめました。
つらい思いをわざわざ反芻することはない。

まぁそんなわけで今は書いてないけど、
ふと高校の時の日記を読み返してて
うわーーーー
ってなってます。
あの時から恋愛体質だった私。

中学3年の時にですね。
めちゃめちゃ好きな人ができたんです。
6歳も年上の、当時大学生。
塾の先生。

受験前の秋に塾に通いだして
冬に大好きになって
春前に告白して
返事も聞かずに塾を辞めた
あの時はロングマフラーが流行ってて
黒いロングマフラーをぐるぐるに巻いて塾に通ってたから
次の年はつらくてそのマフラー巻けなかった

今思えばそんな数ヶ月、半年もないくらい?の期間だったのかってびっくりするけど、
当時はほんっと好きで塾辞めるのがつらくて
日記は悲しみに溢れてるという笑

そんなこんなで高校生になった私は
環境が変わって心機一転することもなく、うじうじ引きずって
でも何だかんだで高校1年の8月に人生で初めての彼氏ができるんですよね。
(この彼とは4年付き合いました)

で、うわーって思うのが、
私ずっと引きずってたんですよ。
彼と付き合ってる間も、先生のこと。
4年ですよ。
バカでしょ。

人の感情って白と黒の間に無限のグレーがある。
私はちゃんと彼のことが好きだった。
でも先生を忘れられない気持ちもあった。
そこに矛盾はなかったのだ、不思議なことに。
だけど高校生の私は、自分自身の感情を受け入れられずに、もがき苦しむんです。

かわいそうに。

彼は束縛が激しく、とても窮屈な人だったから、
先生の話なんてとてもできなかった。
日記の中では何度か試みてたけど、玉砕してるんですよね。
まぁ一般的に昔の好きな人の話されたら怒るのが普通だから、高校生の私も自分を責めちゃったりして。
あの時、もう少し視野が広くて余裕のある人が彼氏だったら、私はぽつぽつと先生の話をして、消化することができたのかもしれない。
ほんと、ただそれだけのことで。
押さえつけられた感情は、歪んで、暴れて、膨れ上がる。
せめて自分で自分を認めればよかったのに。でも、そんな器用でもなかった。

不器用だなぁと思う。うわーって。
でも、暗くてもちゃんと考えて、えらいねって思う。
おつかれ、あの時の私。
あの時たくさん悩んだから、今の私がいる。
ありがとう。

後日談ですが、先生とは再会します。私が大学生の時。
何とその時、
先生には6歳下(私と同い年)の彼女がいました。

あの時諦めずにつながりを持ち続けたら、可能性があったんだなと思うと、何だか笑えました。

キープって大事。笑
うん、でも冗談じゃなくほんとに大事。
好きになったってことは、その人に魅力を感じたり共感したり尊敬したりしたってことやから、
恋愛抜きにしても、
その人と関わりを持ち続けることで影響は少なからず受けるはず。
それを、変な理由で、無理矢理離れるなんてもったいない。
実際、再会してから先生とはいい友達になれました。

一方的に告白して別れるなんて、滑稽やったなぁと思う。
でもその滑稽を、私はその後も何度か繰り返してしまうのですが。
キープの大事さを知るのはもう少し後です。

自分の思考回路の形成過程が見えておもしろい。
また日記始めようかなと思うお正月です。

成果

今手元にあるものは成果だよ
自分が今までやってきて手に入れたものだよ
それを蔑むのは、自分のやってきたことを貶すことだ

みたいなことを言っている人がいた

全くその通りだなと思った

私は、今結構いろんなことが順調だ
順調であることの恐怖は、まぁいつもあるのだけど。
それは別の話なので置いといて。

友達に、いいなーって羨まれた。
嫉妬を感じることもある。
そういうのってひしひしと伝わるよね、うん。
もちろん純粋に喜んでくれる人がほとんどですが!

でもね、って
私それだけがんばったもん、と反論した。

バリで日本語を教えてる先生が言ってたことがある。
いいなー、ってよく言われるけど、
いいなーって言うのは自分がそうなりたいと思ってるから
じゃあそうなればいいだけよ、って。

今この歳になって思う。
じゃあ努力しなよって。
なりたい自分があるのは幸せなことだよ。
あとは努力するだけだもん。

そして努力の方向を間違わないことが大事だなと思う。
何事も先達はあらまほしきことなり。
一つレイヤーが上の人
半歩先行く人
メタ視点の人
そういう人を必死に探すことがすごく大事。

私は本当にこの点においてラッキーだった。
人生の岐路において、そういう人が2人もいた。
1人は前職の上司。
もう1人は、私の婚約者。

変わりたい、こうなりたい、って思うなら、
応援してくれる人は絶対いる
何時間も私の為に費やして、私を変えてくれた2人にすごく感謝してる

私も、きっと同じことをすると思う
私を全面的に信頼してくれて、本人が変わりたい、って努力できる人がいたら
いくらでも自分の時間をあげると思う

案外世の中ってそうなってるのかなと思ったり

だから努力は最大の味方

あと、漠然と、実績って大事だなと思ってたのですが、本当にそうだった
正直変な大学院行かなくてよかったと思う。
夢を叶えたい、変わりたいと漠然と思う人は多いから、そこにフックをかける変なシステムはたくさんある
情報過多の世の中で、そこに引っかからないのは意外に難しい
だからこそ先達だったりメタ視点の人だったりが必要と思うのです。

私はただただ、井の中の蛙になりたくないのだと思う。
いつまでも世界を見たい。最先端に触れてたい。
ふらふらして、仕事も辞めちゃって、家族に呆れられて、
芯がないと思ってた自分にも一貫性があった。
私がそう思って努力し続ける限り、道は開けると思うのです。

このままいこう。
2015年の年の瀬、
何となくそんなことを思う。


2007年

へぇー、昔つらかったんやなー。
と、言われた時に、何か客観的に軽く伝えられないものかと思い
8年経った今、あの頃を振り返って、あの時の私がどんなだったかをつらつらとまとめる

当時私は大学生活にも慣れて、とても楽しい日々を送っていた。
優しい彼氏がいて、気の合う友達がいて、授業は楽しくて。
本当に、悩みがない状態だった。
こんなに悩みがなくていいのか、何もなさすぎて不気味なくらいだった。
そんな話を母とよくしてたのを覚えている。

母が癌だと知ってから、3ヶ月。母が他界した。

悲しいことは当然なのだけど、
私は当然以上のショックを受けていたなと思う。
元々哲学的な思考をするタイプだったことと、
感受性が人より豊かだったこともあって、
生死についてとてもリアルに、生々しく考えてしまったのだ。

よく当時、頭の中がめちゃめちゃな中で、
自分の中の一部が死んだなと思ってた。
そしてこれは再生不可能だなと思った。

母が他界して、たぶんもう本当に一瞬で、私は悟ったんだ。
私は一生立ち直れない。根本的なところで。
だけどその一層上のレイヤーで、立ち直って、傷ついて、また立ち直ってを繰り返して生きて行くんだ。
誰かに支えられて、感謝して、涙して。
それなりにうまくやっていくだろう。
だけど一層上のレイヤーを取り繕うまでに、たぶん少し時間がかかる。
その環境を整えるまで、
誰かに支えられて、感謝して、涙してのサイクルを回すことができない
支えられるはずもない私を、きっと身近な人は支えようとする
そしてできなかったと落ち込む
そうなる前に離れようと思った
優しかった彼とは葬儀の後すぐに別れた。

そんなことがある少し前の何にもない日々
私は何かを感じてたのか、びくびくして過ごしてた
こんなに平和で、幸せでいいんだろうか
そしてそれはやっぱりあっけなく崩れた
とてもあっけなかった

これからはびくびくすることはないと思う
崩れる時はあっという間に崩れることを知ったから
それは悟りとか諦めであり
メメントモリであり
ポジティブでありネガティブである
だから私は自分の感情に正直になったんだと思う
そしてそういった感情に近いものを持つ人が近寄ってくるんだと思う

そしてそういった人同士でわかりあうしかないんだと思う

当時とてもつらかったけど、
つらかったからといって何かがあったわけじゃない
次の週から普通に大学に行ったし
バイトもしたし。
だけど誰かがいたかもしれない日常を生きることは
いつまで経ってもつらいものだよ。

そうやってたぶんこれからも、一つ以上上の層で生きていくんだと思う。
そういうものかーって笑って聞いてくれると嬉しいな。



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