綾ちゃん、こんばんは ^ ^
わたくしの今朝は体調が悪く、部屋の中なのに体がブルブルふるえて困りました。
痛み止めを飲んでいるために、お腹をずっと壊していました。
わたしの病気はやたらお腹を壊す、困ったお腹です。
やれやれ、まいったまいった ^ ^
-------
六角堂、なんか気になって、もう少し続きます。
ひとりごとひとりごと ^ ^
六角堂に、聖徳太子が身を清めたと伝えられる池の跡があるそうです。
この池のほとりに、小野妹子を始祖とする僧侶の住まいがありました。
この住坊は「池坊」と呼ばれるようになったそうです。
代々六角堂の住職を務め、仏前に花を供える中でさまざまな工夫を加えたのだとか。
やがて、室町時代の「いけばな」成立に至ります。
-------
室町時代は庶民の生活がいまに多く残っている時代です。
平安時代の庶民の様々は、こんにちにあんまり伝わっていないのです。
室町時代のことはよく伝わっています。
たとえばなしとして、海外の人に日本のことを説明するために出てくる話題から、室町庶民発信の文化の部分を省かなきゃいけなくなったら、ちょっと無理だなあと感じます。
室町時代は、それ以前の時代とか社会よりはずっと「めしの食える社会」だったので、農耕従事者以外の職業選択が可能な社会へと変わっていく過渡期の時代だったのです。
農耕従事者の余剰のコメがそれ以外の職業の者の口に入るから、農耕従事者の文化以外の文化が花開いていったのだと思いますです。
-------
聖徳太子さんは四天王寺建立の材木を求めるために京都盆地を訪れました。
京都には秦という大豪族がいて、聖徳太子をずっと助け続けた後援会の主要メンバーです。
秦氏と知り合ったのはこの頃なのか、このときよりも前から知り合いなのかはわかりませんが、協力を得て四天王寺をつくります。
秦氏は秦の始皇帝で有名な一族の末裔だとか、秦の始皇帝一族は金髪で青い瞳だったとか、秦氏の個人的な建築物にキリスト教だかユダヤ教だかの影響の強いものがあって境内に行けばこんにちでも見ることができるとか、歴史ロマンというかオカルトというかそんな伝承の多い人々です。
あと、聖徳太子がなくなると、その直後から日本史からフェードアウトしちゃった、不思議な人びとでした。
さて、聖徳太子はのちの六角堂のあたりの池で水浴びをしたときに持ってきていた仏像が動かなくなりここで人びとを救いたいと希望したので、六角形の御堂を建てて安置したとのこと。
-------
以下、ホームページ『六角堂』 紫雲山 頂法寺 ~いけばな発祥の地|六角堂といけばな から。
この池のほとりに、小野妹子を始祖とする僧侶の住坊があり、「池坊」と呼ばれるようになりました。代々六角堂の住職を務める池坊は、仏前に花を供える中でさまざまな工夫を加え、室町時代の「いけばな」成立に至ります。東福寺の禅僧の日記『碧山日録』には、寛正3年(1462)に池坊専慶が花を挿し、京都の人々の間で評判になったことが記されています。
とありました。
また、このお堂は親鸞さんとも深い縁があります。
鎌倉時代の初め、比叡山で修行していた親鸞は、建仁元年(1201)二十九歳の時、六角堂に百日参籠するという誓いを立てました。聖徳太子を深く尊敬していた親鸞は、京都における太子ゆかりの寺院として、六角堂に思いを寄せたのです。
参籠は、夜になると比叡山を下りて六角堂に籠もり、朝には山に戻る繰り返しだったといいます。そして九十五日目の暁に如意輪観音からお告げを受け、浄土真宗を開くきっかけを得ました。
とあって、なんだかものすごく重要な場所のような気がしたり。
こういうのを教えてくれたテレビ番組はありがたいなあ、ありがとうございます。
-------
綾ちゃんのプロフィールに華道とあったことから、ながながと、思いつくままに書き残してしまいました。
綾ちゃんは華道の昔話の部分はご存じに違いありませんが、わたしにはおもしろい話題でした。
ではでは ^ ^
※


