先日戸籍謄本を
わたしの分
そして父の生誕から
現在の分を取りに
行ってきました
あ、両親とも健在
いや、健在ではない状態
ですが両親の資産の管理を
する観点からです
先日相談したことで
ひとり娘にかかるのが
二次相続の負担の
可能性を拝聴しました
兄弟姉妹がいないから
相続で争う必要がないと
呑気に考えている場合
ではないみたい
こうして綴っている
時点でも何も分かって
いないのですが
平日は有休を取って
窓口に、また休日相談日に
相談し始めました
何をどうしたらよい
あまりにも分かっていなくて
質問ができない状態で
相談窓口に行くのを
躊躇していましたが
まず電話または
ネットで予約申し込みで
ひとつでも内容を
伝えて進めるしかないです
そこではじめて
視界が広がって
いみじくも手続きが
スムーズにいったり
状況が理解できると
一度で済まさず
段階を踏んで
慎重に行なったり
するものもあったりします
そこで、入手した謄本を見て
父は祖父より
長く生存
祖母の行年までは
あと7年か
母も祖父母より
生存しているんだなと
仏様もよくやっていると
褒めているのかもなんてね
と謄本を眺めていたら
ふと思い出しました
先日、大学の友人が
誕生日を迎えました
メッセージを送った
返信に母が亡くなった歳を
超えられて一段階
クリアできたと
大学在学中に
48歳で逝った
お母さまに対する
孝行を毎年背負うように
歳を重ねてきたのか
そう言ってしまうと
身を削ってというように
勘違いされちゃうか
生きていることを
存分に味わって
過ごしてきたことを
お母さまに
安心して見て
もらえたんじゃないかな
長生きの
すべてが幸せの
イコールではないですが
生きていたかった
親より長く現世で
過ごせたことは
心から尊いことだなって
今の母の病状と
重ねながら
思うのでした
父は
一カ月の入院生活で
心不全と肺炎の合併症状で
水が溜まり12㎏ほど
抜き取り治療して
退院後の施設入居して
ひと月経った今
あれ、前より元気で
イキイキしています
ふらつきもなく
滑舌もよくて
食事のおかわりを
こよなく楽しんでいる
様子です
覇気がなく魂が抜けたような
廃人の状態だった2カ月前とは
大違いです
父と同時に施設に
入居した母が救急搬送され
地域包括病棟に入院が
できてひと月
母は死の淵に立っていた
状態でした
これまでの経緯は
おいおい書くとして
主治医、看護師
ソーシャルワーカーと
わたしたち夫婦で
話し合い無理な
延命治療を行わず
寿命を全うする選択を
しました
廃用症候が
多く見られ
アナログな母が
認知症になっても
続けていたのが
日記やメモ書きでしたが
ペンも握れなく
なりました
先日は肺やお腹に水が
溜まって苦しい状態で
血管内の水分まで
奪うわけにはいかないし
だからといって各所に水が
溜まる一方で
なかなか栄養が
摂れない点から
経口栄養が
できなくなったとき
経鼻栄養か中心静脈栄養
に切り替える話もでましたが
認知症から管を
抜き取ろうとしたり
する懸念が出て二次受傷の
可能性も大きいのです
面会もコロナや諸々の感染
ましてや治療で免疫が低下して
いるなかで感染してしまうのが
一番の危険なため、できない現状
母を守るのが近づかないこと
なんて、切ないですね
週2回の洗濯物の引き取り
と衣類の届けるときの
看護師に病状を訊く連続です
長男の手紙
読ませてもらい
感涙してしまいました
主治医との話し合いの際
先日面会できたとき
会えない日が続いても
母は、わたしたちのこと
分かってくれているのです
母の手を握りながら
話をしたら
母の手がすごく
カサカサしていました