1945年8月9日11時2分 長崎市に原爆が投下された。


私が学生の頃は夏休みの登校日で

11時2分になると全校生徒で黙祷をささげた。


近年この日に児童誘拐事件が起こり

以降福岡市は夏休みの登校日を廃止した。


私は年に一度でも子供たちが戦没者を悼み全員で

祈りを捧げる日があってもいいのではないかと思う。


原爆投下した機長スウィーニーの回想によれば、爆心地に立ったときのことを

以下のように回想している。

私は瓦礫の中に立ちつくし、両方の陣営でいかに多くの人が死んだことか、その場所だけでなく戦争が行われたすべての恐ろしい場所において、どれほどの人間が命を奪われたかを考えて、悲しみにおそわれた。

 (中略)

当時私は戦争の残虐性について、苦しんだのが自国の人間であろうと他国の人間であろうと決して誇りや快感を感じたわけではなく、それは今でも変わらない。

すべての命はかけがえのないものであるからだ。


だが私は、自分が立っていたその都市を爆撃したことについて、後悔も罪悪感も感じなかった。


破壊された周囲の光景が物語っていた苦しみは、日本の軍事主義文化の残虐さと、「下等な」民族を征服することを光栄とし日本がアジアを支配する運命にあると考えていた伝統によって、もたらされたものだからだ。


後悔と罪悪感を抱くのは日本の国家のはずであり、偉大なる野望を達成するために国民の犠牲を惜しまなかった軍の司令官たちこそが、とがめられるべきであった。


著書『私はヒロシマ、ナガサキに原爆を投下した』284頁より引用

何万人の命を奪ったことの罪悪感も感じない上に勲章まで与えられてる。

日本人は自虐感を持つように教育されてきた。


歴史は勝者が作り上げたもの。

昭和史も同じだと思う。


国の認識は敗戦国だから仕方ないけど

正しい歴史観を子供たちに伝える義務が.私たちにはある。


過去の歴史を知れば、日本人がどんなに繊細で勤勉で

人情味あふれる人種であるかわかる。


教科書では残虐な行為だけがクローズアップされていることを

伝えないといけない。やりすぎもあったけど全てが悪じゃない。


先人たちの思いを受け継いでいく。

100年後の日本に希望を託して命を落としていった人達の思い

その上に私たちは生きていることを忘れてはいけないと思う。


日本人としての誇りを持つ・・・・


震災を受けてどう復興していくか。

国を愛する気持ちで考えれば、答えは見えてくる。


今日は粛々と過ごそうと思う<(_ _)>