前回ここで

『私の考え方は凝り固まっていた』と書いた。

『みんなと同じ』であることを息子に求めたり

理由を聞かれたら答えられないような

「こうあるべきだ」を押し付けたり。

そういうこと。

今はそんな凝り固まった考えは

だいぶとほぐすことが出来ているように思うけど。


さてさて。

今回は少し私自身のことを。


数年前。

私は「あなたはもっと自由になるべきだ」と

言われたことがある。


例えるなら。

私は綺麗なエメラルドグリーンの海を

思うがままに自由に泳いでいるイルカだったとして。

でも自由に泳いでいると思っていた

そのエメラルドグリーンの海は

実は水槽の中。

もっと広い世界へ。

ずっと水槽の中で良いの?


そんな感じ。


その後私は

趣味を仕事にすることに挑戦した。

夜は外出しないと言う考えもやめ

息子たちをパートナーに任せ

友達とご飯を食べに行くことも増えた。

出来ないものは出来ないと。

苦手なものは苦手だと

伝えるようにするようになった。


沖に着くにはまだまだかもしれない。

でも

ついに水槽から出ることに成功した。



不登校の息子が中学生になる年。

私は一旦

水槽に戻ることにした。


自分が何処に向かっていたのかが

分からなくなってしまったから。


不登校の息子が家にいる。

だから

水槽の中でも退屈ではなかった。

水槽の中でも

やるべきことはたくさんあるから。


水槽の中での生活が

1年ほど経った時。

少し窮屈だと感じることが増えてきた。

自由が恋しくなった。


そんな時に

藤井風の『grace』の歌詞

「あたしに会えて良かった やっと自由になった」

というフレーズが気になり

この曲が何を伝えたいのかを検索することにした。


それは

『本当の自分に気付く。本当の自分になる。

ありのままの自分でいられるようになった時

それは自由で無敵』

ということだと解釈した。


今の私は

『本当の私』なのか。


人と違って良い。

私が信じたことを信じたら良い。

パートナーが押し付ける『正論』に

合わす必要なんかないし

正論ばかりじゃつまらないと言い返せば良い。


私らしくいよう。

本当の私でいよう。


考え方をそっちに持っていったら

不登校なんて

悩みにもならず

なんなら上等だと思える。


ただここは

水槽の中ではなく

広い広い海の中だから。


穏やかな波が続くわけではなく

荒れて荒れて荒れまくる日もあり。


だから

私の気持ちも安定しない。


でも穏やかな波の日でも荒れた波の日でも

変わらず言えるのは

自分の考えを押し付けないということ。


息子には息子の

『本当の自分』がいるから。


大きな海で

力強く逞しく泳ぐことが出来るよう

しっかり準備をしよう。