看護学校3年生の初冬。

ハイキングクラブのコーチが、雪の降り始めならお金のかかる冬装備がなくても、雪山の経験ができると連れて行ってくれた初冬の鳳凰三山。山が好きでたまらない後輩2人、私、コーチの4人で午前中に授業を受けてから午後1番のバスで出発。

歩き始めは雪がなかったのに、峠に近づくと雪道になりそのうち積雪5㎝を超え始める。
ハイカットの夏山の靴(キャラバンシューズ、一番低価格)、ウールのニッカボッカ、夏山用のレインウェア。
靴の中に雪が入って足が濡れ凍傷を防ぐために膝下までのゲーター。
手持ちのセーター、ウールの下着、ウールの手袋。
協同装備は、テント、クッカー、ガス、ガスストーブ、食料は夕食のカレー用野菜と豚肉、コメ、食パンなど。

ゲーターをつけてまた歩いてみるが、段々雪が深くなっていき積雪が10㎝を超える。
夜叉神峠からすこし上ったところで、この雪では冬山装備のない私たちは無理と判断し、近くの小屋に入り一晩を過ごすことになる。

看護学生の山食はいつもうまい、とほめてくれるコーチ。
お湯を沸かして、コーヒーで体を温めてから、夕食つくり。コーチのザックに入っていたビールで乾杯。
替えのシャツや靴下などあるものすべてを見に着け、新聞紙を体に巻いてレインウェアを着て、小屋の中にテントを張り、その中で過ごす。気温は零下何度かという寒さだったはずだが、新聞紙のおかげで夏シュラフでも眠れた。
時々目が覚めると、ゴーゴー林の枝が騒いでいるが、何とか朝に。

朝起きると、一面の雪。コーチがラッセルをして道を作ってくれ、ちょっとした小山まで上る。
下りは、尻セードで滑り落ちる。

箸が転んでも笑い転げる娘時代。キャーキャーワーワー笑って騒いで楽しんだ初めての冬山。一日目で敗退したけれど、いつかは絶対冬山に上って、雪景色を眺めるぞ! と思ったものだ。

冬山に行くには、とにもかくにもしっかりした冬山装備が必要。
社会人になっても夏と冬のボーナスがすっからかんになるほどお金がかかる。
月曜日から土曜日の昼まで学校があり、夏休みも冬休みも義務教育程度の日数。夕方の時間帯か、山に行かない日曜日にしかバイトができない看護学生にとって冬山は高根の花だった。

教室か、病院実習かという日々の暮らしの中で、自然の中に飛び出ていくハイキングはなんと楽しかったことか。
山育ちで小さなころから家族と仕事で登った山。最初はなんでわざわざ山に行くのかと思っていた。
入笠山、櫛形山、乾徳山など甲府盆地の周りにある低い山に登ると、頂上から富士山、南アルプスや八ヶ岳などが見える。
ガスが急に晴れて雲間から甲府盆地を眺めたり、チングルマやゴゼンタチバナなどの山の花。
みんなでメニューを決めて、ご飯を作り、同じ釜めし仲間の楽しい食事。
次はあの山へと思いが続き、本業の勉強より、放課後の部室で過ごす時間のほうが楽しかった。

20代、30代のころは、仕事になじむだけで精いっぱいで山どころではなかった。そろそろ落ち着いて仕事ができるようになった、40になる目前に山岳会に入ると、東京という地の利を生かして、奥多摩、秩父、八ヶ岳、南アルプス、北アルプス、中央アルプス。なんとも楽しい山旅を経験できたのも、バイトで稼いでハイキングに出かけていた学生時代の下地があったからだと思える。