羊と海の樹
2009年05月19日00:49
あなたと、ずっと一緒にいたいです。
だから、がんばって羊から人間になりました。
魔法を使えるようになりました。
だから私を捨てて、奈落へ降りて行ったりしないでください。
「ねえひつじ、私ね、じぶんのしんぞうを海にすててしまいました。」
今回はどんなご趣向ですか。
あなたの心臓はそうですね、さぞ剛毛そうですけども、
心臓はえら呼吸できませんのでそういう事はやめて頂きたい。
「ねえひつじ、私ね、なんだか苦しい。」
潜水艦を用意しろ。サルベージ計画開始。
そんなこんなで私、魔女は、この途方もない海を探し始めたのです。
ソナー探索をしても何も引っかからない日々が続き、
あなたのため息に私の寿命は縮むばかり。
時々は叱りたくもなるというもの。
まったく、どうして心臓を海になど。あの海になど!
叱られるのが大好きなあなたはいつものように
とても柔らかく笑って、
「自分のなかに、こんなにずるいものが存在しているのが、
許せなくなったのです。でも」
「こんなふうにひつじがいっしょけんめいになってくれるのなら、それだけで嬉しい。
でもすこし苦しい。」
潜水艦、ソナーの感度をあげてくれ。
てゆうか潜水艦ふやしてくれ。
サルベージ計画はあてもなく進む。
だいたい、この海はだれがどうやって作ったがお忘れですか。
海であなたの何かが死ぬことは、絶対に絶対にあり得ないんですよ。
かぽーんかぽーんとソナー音が鳴り響く中、
ソファからまんじりともせずあなたは口をとがらせる。
「私、私のしんぞうをやっぱり愛せないのです。でも、この海は、
私のしんぞうだけなら愛して、側にいてくれるかもしれないと、
そう姑息な考えもちょっとよぎりました。
私をすてて、奈落へ遊びにいってしまう、そんな弱い光のことなんて、
わたし、もうたよりにしていません。」
ああもうお姫様は、この海を作らせたあの野郎がいなくなったことがそうとうお気に召さないご様子で、要は自分をふたつに裂いてしまいたいくらいのお気持ちなんだと推測いたしますが、わたくし羊はすこし悲しいのでございます。
ひつじ2号からおかしな連絡が入ったのはその時で。
「魔女ひつじ応答願います。盆栽が浮いてます。」
わあもう、この世界はほんとになんでもありでこっちがどうにかなっちゃうよ。
盆栽サルベージ頼む。こちらから肉眼で確認する。
お姫様、盆栽だそうです。
お姫様はようやく、持っていたティーカップをソーサーにおいて、
丸い窓から海をみた。
「ひつじ、わたし、生きている。」
そうでしょうね。わたしとおしゃべりしています。
「ひつじ、わたし、呼吸をしている。とても切ない気持ちがする。心臓が側に要ると思います。」
急いで丸窓から覗いた青い青い海には、
ちょうど姫のこぶし大の、奈落から生える世界樹が漂って、
その根に心臓を抱き、酸素を供しているのでした。
一応魔女なので、潜水服など要りません。かっこいいところを見せようと、
そのままざぶざぶ深海に踊り出し、
柔らかな光を放つ世界樹を、掌に捕獲します。
奈落から生えるちいさな樹は、その根を血管と融合させて、
共存することで心臓を活かしていた。
それはまあるいひとつのオブジェのようで、
おひめさまと、あの野郎に育てられた私は、
とても懐かしいけど寂しい気持ちに捕われてしまいます。
お姫様に世界樹ごと心臓を御返しすると、世界樹は役割を終えた様に枯れ、
綺麗に血管から剥がれて落ちました。
お姫様はあーんとおおきくおくちをあけると、心臓をもしゃもしゃ食べてしまいました。
元ひつじで魔女だけど、けっこうグロイ映像とかダメな私は、ちょっと気分が悪くなりました。
「おかえりなさい。」
おひめさまは、自分の胸に手をあてていいます。
「もっと海で、もっと世界樹と、ただよっていたかったと言っています。」
悲しそうな目で笑いました。
濡れて腐って枯れ果てた世界樹をそっと手に取ると、
22.5センチのおみ足でふたつきのゴミ箱のステップを踏み、
ぐしゃっと音がする勢いでそれを捨ててしまいました。
「もう帰ってくんな!!」
ドレスの端で手をぬぐいます。
それ、洗濯するの私なんですけど。
天の邪鬼なおひめさまは、あの野郎の事を愛しているらしいです。
「ひつじ、どうもありがとう。胸がすーすーして息苦しいのが治りました。」
ああ、そりゃあそうでしょう。主に私の気持ちが大変なので、
しばらくは謹んで頂けると助かります。
「それはそうと、ひつじ。」
なんでしょう。
「なんでひつじじゃなくなっちゃったの?もう、奇蹄目でいるの飽きちゃった?」
かわいかったのに、と拗ねてみせる。
可愛い私のお姫様。
羊は、偶蹄目ですよ。
あなたとずっと一緒にいたいです。
そのためなら、ウシ科からヒト科にもなれるんです。
魔法も会得いたしました。
だから、あいつを追って奈落に行ってしまわないでください。
もしもあなたが奈落の底へ連れて行かれたら、
桃色の砂をかき分け、世界一の堀師を拉致っても、
不肖魔女めが探しだして連れ帰りたく存じます。
あなたと、ずっと一緒にいたいです。
***
なんか書きたいけどなんにもかけないやーと思ってひつじを書いてたらこうなりました。
魔女相変わらず美味しい。
ここから、tricker's trickに続きます。
ずっと閉じ込められていただけあって魔女の表情の豊かなこと。あんまりでてませんけど。
姫はそれでも、弱い光が大好きなのです。