結成前~デビュー

1987年 、音楽制作会社ビーイング に所属し、浜田麻里TM NETWORK などのツアーサポートスタジオ・ミュージシャン として活動していた[1] ギタリスト の松本が、「自らの音楽を表現できるバンド を創る」という構想のもと、バンド結成へ向けた活動を開始。その間、あるボーカリスト とバンドを組む事を音楽雑誌で公表したが、そのボーカリストとデビューする事はなかった[3]

1988年 5月 、ボーカリストを探していた松本は、ビーイングの社長で音楽プロデューサー でもあった長戸大幸 から1本のデモテープを渡される。そのデモテープは学生時代の稲葉が、T-ボーン・ウォーカー の「T-BORN SHUFFLE」、レッド・ツェッペリン の「YOU SHOOK ME」、ビリー・ジョエル の「Honesty」を歌ったものが録音されていた[4] 。長戸はB'z結成の2、3年前から「稲葉を何とかしたい、早くデビューさせたい」と事あるごとに言い続けていたという[5]

長戸を介して、2人は曲をあわせる約束を交わす(しかし松本は、「デモも聞いたし、写真も見たし、(稲葉と会う前から)自分は心が決まっていた」と後日語っている[6] )。翌日「SOUND JOKER」という小さなスタジオで初顔合わせした2人は、ビートルズ の「Let It Be 」、「Oh! Darling 」の2曲をセッション する[4] [7] 。しかし、機材の故障により結局その日は2曲しかセッションが出来ず、その場はお開きとなった。後日再び会った時には、何故か既にデビューへ向けての活動が始まっていたという[4] 。その後2人はユニットB'zを結成、1988年9月21日シングルだからその手を離して 』、アルバムB'z 』の同時リリースでデビューした。

2人が初めて出会ってB'z結成・デビューに至るまでは、約4ヶ月という短い期間であった。B'z結成時はお互い(特に稲葉)の合意が形成されないままデビューへの話が進んだらしく、稲葉は結成当時について「振り返ってみれば、これまで松本さんから『一緒にバンドをやろう!』とはっきり口にして言われたことは一度もない」とインタビューやライブMCで語っている[8] [9] 。ただし1993年に敢行されたライブツアー『LIVE-GYM '93 "RUN" 』でのMCでこのエピソードが語られたときは、「そういえば言っていないな」ということで、稲葉が冗談めかしながら「一緒にやろう!」と言った事もある。

結成当時の音楽業界では、「新人はアルバムを3枚リリースするまでにヒット作品を作れなければ見切りをつけられる」という風習があった。そのため、松本はデビュー時から明確なビジョンを持って制作に当たっており、稲葉と初対面した際に「3年以内に(当時一番売れていた音楽雑誌である)『Gb 』の表紙を飾る」「3年以内に『オリコン 』の(1位~50位までが掲載されている)左ページに載る」といった「三ヵ年計画」を力説していたという[9] [10]

初期のB'zのプロデューサーは中島正雄 である。B'zがブレイクした後も中島はスーパーバイザー という肩書きで指揮していた。

結成後~現在

デビュー当時はTM NETWORKのツアーにくっつける形でキャンペーンを行う など、地道な活動を続けていた[1] 。キャンペーンについては、「松本によるギターセミナー」と称して客を集めるものの、実際はセミナーを早々に切り上げて後半をB'zのお披露目コンサートの時間に当てる、といったものであった(これについては客の方もB'zのお披露目のためのセミナーだということは認識していた)[9] 。メンバーは「(多くのファンと)握手しすぎて手から指紋が消えた」「(お辞儀のしすぎで)一日が終わると体が"くの字"から戻らない」などと語ったことがあり、キャンペーンや挨拶回りはかなりのハードスケジュールだった[8]

しかし、デビュー作は全く売れずオリコンチャート 100位以内にも入らないなど、デビューからしばらくは苦戦が続いた。ブレイク のきっかけは1989年 にリリースしたミニアルバムBAD COMMUNICATION 』である。このミニアルバムに収録された同名の曲が、タイアップの効果もあり有線 で注目され始め、オリコンチャートに(10位以内には入らなかったものの)163週ランクインするというロングヒットを記録。1990年 リリースの4thシングル『BE THERE 』で初のトップ10入り、そして同年リリースの5thシングル『太陽のKomachi Angel 』が初のオリコンチャート1位を記録しブレイクを果たす[8]

ブレイク以降から現在にかけて、シングル連続初登場首位獲得数やアーティスト・トータル・セールスを始めとする日本音楽界における数多くの記録を樹立(詳細は後述 )、『日本が誇るロックユニット』と呼ばれるまでに人気を博す[2] 2007年 にはロックンロール ・音楽界に貢献したアーティストを讃える「ハリウッド・ロックウォーク」へ殿堂入りとなった(後述 )。2008年 9月21日 には結成20年となり、2009年に至るまでもコンスタントにCDをリリースしたりライブを敢行したりなどといった活動を行っている。