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グループ 名は、事務所社長ジャニー喜多川 による命名 。 「Sports Music Assemble People」の頭文字 から取られた。前身であるスケートボーイズ (後述)のキャッチコピー でもあった。

光GENJI のGENJIメンバーである佐藤寛之 ならびに佐藤敦啓S諸星和己M赤坂晃A、そして山本淳一愛称 「バンジー」を社長 がずっと「ンジー」と思い違いしていたためにPとなった。この件については、1989年 に『週刊マーガレット 』誌上にて連載されたSMAPが主人公漫画 「SMAPに夢中」の第1話でのインタビュー にて、SMAPメンバー 自身が答えている。また、『週刊女性2004年 11月9日 号に掲載されていた「元ジャニーズ事務所メンバー座談会」にて、山本淳一自身も説明している。

グループの歴史

1988年 4月スケートボーイズの中からグループ結成。結成当時の年齢はそれぞれ中居15歳、木村15歳、稲垣14歳、森14歳、草彅13歳、香取11歳。CDデビューまでのJr.内グループ期間が3年以上に渡り、その間アイドル番組やドラマ、舞台などに出演し、小中高生の間でアイドルとしての人気を確保していった。

1991年 9月9日待望のデビュー。当然のことながら当時SMAPを知っていたのは若い学生が中心であり、一般認識は低かった。

しかしデビュー半年後の1992年 4月、当時若者に絶大な人気を誇ったフジテレビの通称「Panasonic枠」にて、『夢で逢えたら 』の後番組として開始した『夢がMORIMORI 』へのレギュラー出演が決定したことが、彼らの転機となる。この番組への出演は、ジャニーズ事務所の社長並びに副社長がフジテレビの佐藤プロデューサーに頼み込むも当初何度も断られていた。最後の最後にメリー副社長が「彼らを一度見てくれ」と言って佐藤P(当時)と吉田D(当時)を連れて舞台を見せ、本人たちを会わせて何とか社内で協議するとこまでこぎつけた。このことをフジに持ち帰った佐藤が、当時自班に新人アイドルSMAPの起用を問うたところ、若手Dだった荒井が「僕にやらせてください」と申し出たことで話が動いたのである。この番組でSMAPは知名度と人気を獲得していく。

1996年、森が子供のころから憧れていたオートレース の選手になるためにグループを脱退(脱退時22歳で、オートレースの養成学校に入れるのは23歳が上限であるため)。この年はSMAP×SMAP の開始と並行して、4-6月期に木村主演のロングバケーション が高い視聴率を取った事から人気が上昇し、ドラマバラエティコンサート 、と多方面で活躍し始めた。

2001年 8月24日 、稲垣が東京都 渋谷区 の路上に車を止めていたところ、駐車違反取り締まりの警察官の足にバンパーを接触させる事故を起こし、公務執行妨害および傷害罪ならびに道路交通法違反の現行犯で逮捕された。このときマスメディア各社は、当初稲垣「容疑者」としていた呼称を、釈放後は稲垣「メンバー」という珍しい呼称を用いて報道していた。しかし事件の経緯に悪質さは見られず、道路交通法違反については反則金を納付し、稲垣本人に逃亡の意思はなかったという東京地検の判断により、公務執行妨害と傷害については起訴猶予となった。翌月には稲垣本人による謝罪会見も行われた。

同年の9月9日 CDデビュー10周年を迎えたが、4人だけで10周年を迎えざるを得なくなり、稲垣の顔がプリントされたTシャツを着たり、番組中に稲垣の名前を呼び掛けるなどメンバーは「SMAPは5人で必ず戻ってくる」ということをアピールした。さらに同年の『第52回NHK紅白歌合戦 』は当初は出場候補に挙げられていたものの、稲垣が出場不可の為、4人だけでの出場を拒み出場を辞退している。5か月余りの謹慎後、翌年1月14日 に稲垣は『SMAP×SMAP 』の緊急生放送で復帰した。

2003年 、『僕の生きる道 』の主題歌にアルバム『Drink! Smap!』に収録された「世界に一つだけの花 」が起用される。ドラマ人気と相まってこの歌も注目をあび、急遽シングルカットを行い、250万枚を超える大ヒットとなった。『第54回NHK紅白歌合戦 』ではグループとしては史上初、ポップス歌手としては25年ぶりに大トリを務めた。

2004年 、この年は「年内にシングルを1枚も出していない」ということを理由に『第55回NHK紅白歌合戦 』の出場を辞退し、これが2度目の出場辞退となった。また、香取が連続ドラマに出演しており、他のメンバーとスケジュールが合うのが『SMAP×SMAP』の収録日だけという状況だったため、この年はコンサートツアーはなかった(SMAPのメンバーの大河出演自体は1993年 の『炎立つ 』第一部における稲垣の出演という形で行われていたものの、通年作品ではなかったため特に問題とはならなかった)。

2005年 、2年ぶりにコンサートツアーを行い、7月30日の札幌ドーム を皮切りにアーティストの単独公演としては初の国立霞ヶ丘陸上競技場 でコンサートを行ったとして話題になった。ツアー開始に合わせ、シングル「BANG!BANG!バカンス!」とアルバム『SAMPLE BANG!』を同時発売し、発売当日でシングル、アルバム共にランキング初登場1位を記録し、3人組以上のグループの同じアーティストが同日発売のシングル・アルバムで同時に1位を記録するのは1993年のWANDS 以来12年ぶりの快挙であった。『SMAP×SMAP』のBISTRO SMAPコーナーに宇宙飛行士毛利衛野口聡一 が出演し、この時の勝者(稲垣・香取ペア)の料理と野口が希望し草彅が作ったカレーが、野口聡一と共にスペースシャトルディスカバリー 」に乗り込んだ。

5年ごとの節目に大きな出来事が起こるというジンクスがある。1991年のファーストコンサートに香取が骨折しコンサートに参加できなかったことに始まり、デビュー5周年の1996年には森の脱退、10周年の2001年には前述の稲垣の不祥事、15周年の2006年には草彅・香取のインフルエンザ 、木村の副鼻腔炎、中居のはやり目 、肋骨の疲労骨折、肉離れという災難が起こっている。これについて香取は「20周年(2011年)はツヨポン、突き指」とネタにしていたが、2006年から3年後の2009年に草彅の不祥事が起こった。

2007年 1月18日 に、文化庁が日本PTA全国協議会とともに主催し、公募していた「親子で歌いつごう 日本の歌百選 」の中に、「世界に一つだけの花」が選ばれた。

2008年 4月で、グループ結成20周年を迎えた。

2009年 4月23日 、草彅が酒に酔って公然わいせつ罪で現行犯逮捕。メンバーの逮捕は稲垣以来二人目。草彅以外のメンバー主演のドラマおよび出演しているバラエティにおいては予定通り放送された。なお、逮捕直後は稲垣同様「容疑者」と呼ばれていたが、「メンバー」と言い換えられた稲垣とは異なり、釈放後は「草彅剛さん」と通常通りの敬称になった。その後、本人の謝罪会見があり、後日、犯行自体が軽微で、本人の反省と社会的制裁を受けているとし、起訴猶予となった。5月28日から芸能活動の再開が発表され、5月29日の『森田一義アワー 笑っていいとも! 』でテレビ復帰。6月1日の『SMAP×SMAP』に5人揃ったSMAPが約1ヶ月ぶりに集合した。

2009年は、2001年以来8年ぶりにメンバー全員が、連続ドラマレギュラー出演を果たした。