盤古(ばんこ)は中国神話 で、宇宙開闢の創世神とされる。道教 が発展してくると、盤古の名前は「元始天王 」や「盤古真人」とも称されるようになった。


盤古についての記述が初めて現れる書物は、 代(3世紀)に成立した神話集『三五歴紀』である。そこでは、天地ができる以前の、卵の中身のように混沌とした状態から盤古が出現したと記されている。また、 (4世紀後半)のとき書かれた『述異記 』によると、天地が形作られたあと盤古は亡くなり、その死体から万物が生成されたと伝えられている。例えば盤古の左目からは太陽 が、右目からは が、頭と体からは中国の神聖な山である五岳泰山 など)がうまれたという具合である(こうした神話の類似から、『リグ・ヴェーダ 』の原始巨人プルシャ が伝播したものだ、という学説もある)。


盤古は天地創造の神であるから、時系列で考えれば人類創造の神(または偉大な人物)である伏羲女媧 よりも前に存在したことになる。しかし盤古の存在が考え出されたのは、(すくなくとも文献による考察によれば)『史記 』(前漢 代)や『風俗通義 』(後漢 代)に記述がある伏羲氏・女媧氏などの三皇五帝 が考え出された時期よりもかなり後代ということになる。


じょか、ふっき以前の人やっと調べれました!!

やったー!!!!!!!!!!

これ以前だと北京原人、藍田原人に一気になるそうです!!!!!

でも、神話の不思議なところは、どの国のでも、最初が猿っぽい形跡がどこにもないことなんだよなあ・・・・

何故、毛がボーボーとかの記述がないんだろ・・・・・・・

宇宙創生から始まってしまい、人類が猿っぽい感じがどこにもない・・・なんでだ・・

当時の人たち絶対今の人類より毛がボーボーな筈なのに・・・

仏教そのものが存在を説明するものとなっている。変化しない実体を一切認めない、とされる。また、仏教は無我論および無常論である[2] とする人もおり、そういう人は、仏教はすべての生命について魂や神といった本体を認めないとする。そうではなくて釈迦が説いたのは「無我」ではなくて「非我」である(真実の我ではない、と説いたのだ)とする人もいる。衆生(生命・生きとし生けるもの)と生命でない物質との境は、ある存在が (認識する働き)を持つか否かで区別される。また物質にも不変の実体を認めず、物理現象も無常、すなわち変化の連続であるとの認識に立つ。物質にも精神にも普遍の実体および本体がないことについて、「行為はあるが行為者はいない」などと説明されている。

人間存在の構成要素を五蘊 に分ける。これは物理作用と4種類の心理機能のことで、物理と精神との二つで名色 とも言う。[3]

猶、仏教には の存在を肯定する宗派もあれば、肯定も否定もしない宗派もあれば、否定的な宗派もある[4] 。世界の諸宗教は概して魂の存在を認めているのだが、仏教は宗教にしては珍しく霊魂に対して否定的な見解を示す宗派も存在する。その理由については様々な説明がありうるが、ひとつには、釈迦がある男に尋ねられた際の話が元になっているとする人もいる。

その男は釈迦に、この宇宙はどうやって出来ているのか、人間はどこから来て、 んだらどこに行くのか、霊魂 はあるのか、死後の世界はあるのか、極楽地獄 はあるのか、等と尋ねてみた所、釈迦は、「自分はそうした質問には答えない、お前は目の前で毒矢に当たって苦しんでいる男がいるのに、その毒矢がどこから飛んで来たのか、その毒は何なのか、その毒矢は誰が放ったのか、そういうことを訊くのか、そんなことよりも、目の前で毒矢に当たって苦しんでいるその男を救ってあげることの方が大事ではないか」と説いたという(毒矢 の喩え 『マッジマ・ニカーヤ』(中部経典)第63経「Cula-Malunkyovada Sutta」(小マールンキャ経))。

この思想は釈迦の「無記 」の思想とも言われている。仏教では、根本教義において一切魂について説かなかったとし、それに習う形でそういう質問については一切答えない宗派もあり、やがて後代になるといつのまにか「無記」でもなく、「仏陀は霊魂の存在に否定的な見解を示したのだ」と解釈 する宗派も出てきた。


どうも魂の見解は宗派割れしているらしい。輪廻転生が有名だから、魂とか認めないのとか意外でした。

今が大事とかの発想はこの辺からきてるのかな?



仏教における の扱いは、人間などと同じ生命(有情)の一種という位置づけであり、厳密には仏教徒の間で神々は帰依の対象とはならない。本来は何かに対する信仰という形すらない宗教であった。時代が下るにつれて開祖である仏陀 、また経典 に登場する諸仏や菩薩に対する信仰を帯びるようになるが、根本的にはイスラム教 のような信仰対象に対する絶対服従を求める態度は持たない。仏教における信仰は帰依 と表現され、他宗教の信仰とは意義が異なっており、たとえば修行者が守るべき戒律を保つために神や霊的な存在との契約をするという考えも存在しない。ただしこれらの内容は、民間信仰においては様子が一変していることが多く、それが仏教を分かりづらくする原因の一つとなっている。


あー、こういう感じ、この思想の感じ!という感じがする。

なんかもうね、仏教徒数千年、みんな考えまくって悩みまくった結果、物凄く世界観が膨大ではたして大体ですら掴めるか判らないのですが、一応の世界観くらいまでは理解して調べたいと思います~

は、はたして自分とこの寺の宗派までたどり着けるかしら・・?汗

大乗、小乗あたりまでが限界かもしれん・・・胎蔵界ってなんですか?汗

中華関係も、王朝変わりすぎてわけわからんので、隋~明あたりまでにしとこうかと~

中華最高文学とか一応、純文学の一ジャンルだしね!

過去王朝をハアハアしたり、道教にハアハアしたりするのは、現在の中華の革命否定派に位置する思想なので、過去中華歴代王朝にハアハアしたいと思いますラブラブ

いまのところ、唐王朝が一番ハアハアする・・!!もろこし!もろこし!!

2番目宋王朝。

彩雲国とかも唐(隋かなあ?)王朝ぽいからね・・・うへへ・・・



虫先生版ブッダがアニメ化するそーなので楽しみです!