早起き527日目
おはようさまです。
今朝も日付を間違えそうになりました(笑)
854日目と表示され、正直驚きました。527と押した筈なのに・・・
因みに“527”は“なかま”と入力して変換キーで数字にします。だから携帯の画面には“なかま”と表示されました。少しの違和感を感じながら変換すると“854”となり間違いに気づきました。
この数字、何かのメッセージでしょうか?
それとも、ただの押し間違いでしょうか?
人生は刻一刻と過ぎていく。よそ見していると大切なメッセージを見逃すのかも知れない。
チャンスは前髪で掴めと言われているが、よそ見している人はそのチャンスさえも見逃している。掴む以前に既に負けている。
よそ見とは前向きではない状態を言います。
前向きに生きるから、目の前のチャンスに気づくし、前向きな気持ちでいるから、チャンスを掴むために躊躇無く動ける。掴みかかれる。
目の前に起きたことは偶然に起きた訳ではなく、必然的に起きたのである。
よくあると思うのですが、「この人とはあの日あの時あの場所で偶然出会ったと思っていたけど、今考えると必然の出会いだった。」という経験はある筈です。
人生は一つとして偶然は無くて、でも、運命で定められた神の筋書きとは少しニュアンスが違うと思う。
今の自分は過去の積み重なりであり、それ以上でもそれ以下でもない。
過去の一瞬毎の選択の結果が今のあなたを取り巻く状況を作っている。
つまり自分が決めた通りの人生なのである。
よく人生を恨む人がいるがとんでもない勘違いだ。
その境遇を招いたのは自分の日頃の選択の結果であり、それを恨むというのは自分を否定しているのである。
自分を認められない人は一生幸せにはなれない。
過去の選択の結果だと自覚して、その結果に対して愚痴るのではなくて、受け入れることである。身から出た錆であります。
現状に大いに不満があるのなら選択する時の気持ちが間違っていたと反省する。
選択が間違っていたのではなくて、ものの見方と考え方が間違っていたのである。
だから、人生はいつでもやり直しがきくのである。
手遅れとかはない。
手遅れと感じるのは自分が間違っていなかったという意識があるから。
自分の過去の積み重ねを認められないから。
どんな時も自分を愛さなければ幸せにはなれないとは、そういうことなのである。
今を嘆いて命を終わらせる人が大変多い。
ものの見方考え方がずれている。
せっかくの命がもったいない。
考え方が悪いと心も段々と冒されていく。すると何も見えなくなる。
親や周りの大人達のものの見方考え方を何とかしないとこの悪循環は止まらないと思います。
この福井県でも未成年者の自殺が増えているそう。
子供は親や周りの大人達からものの見方考え方を学ぶのですから、先ずは大人から今一度学び直すことこそが自殺問題解決の早道だと思います。
今朝も日付を間違えそうになりました(笑)
854日目と表示され、正直驚きました。527と押した筈なのに・・・
因みに“527”は“なかま”と入力して変換キーで数字にします。だから携帯の画面には“なかま”と表示されました。少しの違和感を感じながら変換すると“854”となり間違いに気づきました。
この数字、何かのメッセージでしょうか?
それとも、ただの押し間違いでしょうか?
人生は刻一刻と過ぎていく。よそ見していると大切なメッセージを見逃すのかも知れない。
チャンスは前髪で掴めと言われているが、よそ見している人はそのチャンスさえも見逃している。掴む以前に既に負けている。
よそ見とは前向きではない状態を言います。
前向きに生きるから、目の前のチャンスに気づくし、前向きな気持ちでいるから、チャンスを掴むために躊躇無く動ける。掴みかかれる。
目の前に起きたことは偶然に起きた訳ではなく、必然的に起きたのである。
よくあると思うのですが、「この人とはあの日あの時あの場所で偶然出会ったと思っていたけど、今考えると必然の出会いだった。」という経験はある筈です。
人生は一つとして偶然は無くて、でも、運命で定められた神の筋書きとは少しニュアンスが違うと思う。
今の自分は過去の積み重なりであり、それ以上でもそれ以下でもない。
過去の一瞬毎の選択の結果が今のあなたを取り巻く状況を作っている。
つまり自分が決めた通りの人生なのである。
よく人生を恨む人がいるがとんでもない勘違いだ。
その境遇を招いたのは自分の日頃の選択の結果であり、それを恨むというのは自分を否定しているのである。
自分を認められない人は一生幸せにはなれない。
過去の選択の結果だと自覚して、その結果に対して愚痴るのではなくて、受け入れることである。身から出た錆であります。
現状に大いに不満があるのなら選択する時の気持ちが間違っていたと反省する。
選択が間違っていたのではなくて、ものの見方と考え方が間違っていたのである。
だから、人生はいつでもやり直しがきくのである。
手遅れとかはない。
手遅れと感じるのは自分が間違っていなかったという意識があるから。
自分の過去の積み重ねを認められないから。
どんな時も自分を愛さなければ幸せにはなれないとは、そういうことなのである。
今を嘆いて命を終わらせる人が大変多い。
ものの見方考え方がずれている。
せっかくの命がもったいない。
考え方が悪いと心も段々と冒されていく。すると何も見えなくなる。
親や周りの大人達のものの見方考え方を何とかしないとこの悪循環は止まらないと思います。
この福井県でも未成年者の自殺が増えているそう。
子供は親や周りの大人達からものの見方考え方を学ぶのですから、先ずは大人から今一度学び直すことこそが自殺問題解決の早道だと思います。
今朝の早起きブログの記事タイトルを間違えました♪
256日 × → 526日 ○
何故間違えたのか謎です。
分かる方います( ´艸`)
タイトルは起きて直ぐ書きますのでまだ目が開いてません。
ブラインドタッチが原因です。(嘘です。携帯でのブラインドタッチを私は出来ません)
いや、正確には頭の中がブラインドタッチですねA=´、`=)ゞ
早起き526日目^^;
おはようさまです。
屋根がまた白くなってますね。春の手前でこんなにじらしてもらえて、本格的な春の陽気が来たら心から楽しめますのでこの冷え込みもありがたいことです。
この世界は陰と陽、白と黒、光と闇、昼と夜、といったように2面性を持っている。
私たちはその両極端にいるのではなく、その狭間にいる。グレーゾーンと考えると分かりやすいと思う。
だからこの世は混沌としているのだ。曖昧なのだ。これは、この世の根元的な大前提であり、光の世界も闇の世界も人が住む世界ではない。死んでから行くところなのかも知れない。
曖昧の中に居るのだから、その住人は皆曖昧なのだ。暗い方に行ったり明るい方に行ったり。
両極に近付き過ぎるとここはあなたの居場所では無いかの如く偉大な力で逆方向へと引き戻される。
だからこの世界は波のようであると思ったらいい。
寄せては返すあの波である。
だから、いいこともあれば悪いこともある。
だから、目の前の事象も曖昧なのだ。
どうとでも捉えることが出来る。そのどう捉えるかの選択権は己が持っている。自分次第で何事もプラスにもマイナスにも出来るということである。
これまでは、なるようにしかならないと思っていたことも見方を変えればどうにかなったりした経験は無いだろうか。
常識とかは自分が勝手に作り出した自らを縛るロープであって、自分でぐるぐる巻きにしている訳で、それを外せるのは自分しかいない。
がんじがらめになっている自分に気付くのにはキッカケも必要だと思う。
それは、他人をみること。
人の振り見て我が振り直せ。
ガチガチに縛られた不自由な人を見て、あれっ?自分と同じだ^^;と気付いたり、全く自由な人に出会って自分の不自由さに気付いたりと他人の姿から自分を知る訳である。
だから色んな人に会うことは大切である。
毎週違う講和が聴ける環境を倫理法人会は提供しています。
ただ話を聴くだけでもいいし、直接会話を交わすことも出来るし、自分に合ったスタイルで参加すればいいと思います。
混沌の中でとじ込もっていては、何も見出だせないまま人生は終わってしまう。
他人は言わばあなたの灯台です。
それは、あなたの足元を完全に明るくは照らしてくれないけど、足元の小石くらいは気づかせてくれます。
そんな明かりでも沢山増えればそれなりに明るくなって見えてくる景色も変わってくる。
その変化は微かなもの。
ずっと継続してある日振り返った時に変わったなと改めて思うくらいの静かな変化です。
何でも継続するから見えてくる世界があります。
積み重ねた時間は嘘をつかない。だけど、積み上げたものが少なかったら時間の割には大した成果は生まれない。
今日も一日頑張りましょう。
屋根がまた白くなってますね。春の手前でこんなにじらしてもらえて、本格的な春の陽気が来たら心から楽しめますのでこの冷え込みもありがたいことです。
この世界は陰と陽、白と黒、光と闇、昼と夜、といったように2面性を持っている。
私たちはその両極端にいるのではなく、その狭間にいる。グレーゾーンと考えると分かりやすいと思う。
だからこの世は混沌としているのだ。曖昧なのだ。これは、この世の根元的な大前提であり、光の世界も闇の世界も人が住む世界ではない。死んでから行くところなのかも知れない。
曖昧の中に居るのだから、その住人は皆曖昧なのだ。暗い方に行ったり明るい方に行ったり。
両極に近付き過ぎるとここはあなたの居場所では無いかの如く偉大な力で逆方向へと引き戻される。
だからこの世界は波のようであると思ったらいい。
寄せては返すあの波である。
だから、いいこともあれば悪いこともある。
だから、目の前の事象も曖昧なのだ。
どうとでも捉えることが出来る。そのどう捉えるかの選択権は己が持っている。自分次第で何事もプラスにもマイナスにも出来るということである。
これまでは、なるようにしかならないと思っていたことも見方を変えればどうにかなったりした経験は無いだろうか。
常識とかは自分が勝手に作り出した自らを縛るロープであって、自分でぐるぐる巻きにしている訳で、それを外せるのは自分しかいない。
がんじがらめになっている自分に気付くのにはキッカケも必要だと思う。
それは、他人をみること。
人の振り見て我が振り直せ。
ガチガチに縛られた不自由な人を見て、あれっ?自分と同じだ^^;と気付いたり、全く自由な人に出会って自分の不自由さに気付いたりと他人の姿から自分を知る訳である。
だから色んな人に会うことは大切である。
毎週違う講和が聴ける環境を倫理法人会は提供しています。
ただ話を聴くだけでもいいし、直接会話を交わすことも出来るし、自分に合ったスタイルで参加すればいいと思います。
混沌の中でとじ込もっていては、何も見出だせないまま人生は終わってしまう。
他人は言わばあなたの灯台です。
それは、あなたの足元を完全に明るくは照らしてくれないけど、足元の小石くらいは気づかせてくれます。
そんな明かりでも沢山増えればそれなりに明るくなって見えてくる景色も変わってくる。
その変化は微かなもの。
ずっと継続してある日振り返った時に変わったなと改めて思うくらいの静かな変化です。
何でも継続するから見えてくる世界があります。
積み重ねた時間は嘘をつかない。だけど、積み上げたものが少なかったら時間の割には大した成果は生まれない。
今日も一日頑張りましょう。