遠州横須賀 三熊野神社大祭(予習) | 大明神からこんにちは

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お祭りが大好きな『南がく次郎』の日記です

今回はなかなか更新ができなくて延び延びになっていました『遠州横須賀 三熊野神社大祭』の予習をしたいと思います。気がつけば『遠州横須賀 三熊野神社大祭』まであと一ヶ月をきってしまいました。


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最初はお囃子から。

『三社祭礼囃子』は『江戸囃子』の流れをくむお囃子ですね。

『江戸囃子』とは神田、葛西囃子等の総称だそうです。

現在、その江戸囃子を伝承しているのは

下総佐原囃子

遠州横須賀三社祭礼囃子

近江日野祭囃子

と言われているそうです。

いずれのお囃子にも『馬鹿囃子』という曲目があるそうです。

そういえば二俣にも馬鹿囃子がありますね。

たぶん遠州横須賀から伝わったと思いますが・・・。


『三社祭礼囃子』の曲目は、

大間(おおま)

屋台下(やたした)

馬鹿囃子(ばかばやし)

昇殿(しょうでん)

鎌倉(かまくら)

四丁目(しちょうめ)

の六曲です。

囃子道具は小太鼓・大太鼓・摺金・笛です。

笛は特一本調子といって節があって太くて、篠笛の一本調子よりもさらに長いです。


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次に祭装束。

各町定められた染め抜きの法被、肉襦袢、腹掛け、股引き、白足袋はだし、揃いのねじりはちまきと江戸町火消装束です。

いいですねぇ。変な法被等を着ている輩もいないし『粋』ですね。


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最後に祢里(山車)です。

遠州横須賀の山車は『祢里』と呼ばれる『一本柱万度型』の山車です。

この『一本柱万度型』の山車は初期の江戸型山車で安永年間(1771~1780年)に江戸天下祭に登場した山車だそうです。後期(天保八年(1837年)頃~)の江戸型山車は雄踏の浅羽の舘車 の型だそうです。

そして江戸では諸般の事情(明治政府の陰謀? 電線や路面電車?)により御神輿に移行していきました。

しかし遠州横須賀では初期の江戸型山車(祢里)が現在でも曳き回されています。


以上のようにお囃子の名調子、曳き手の「したした」のかけ声、左右に蛇行する祢里が三位一体となり、何とも言えない優雅なお祭りです。

去年はお囃子の奉納等が見学できなかったので、今年はしっかり見学したいなぁと思います。


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