ひまわり世帯年収高め(1500万以上2000万以下)

ひまわり子供4人

(便宜上、いち子・に子・さん子・よん子とします)
ひまわり中高一貫私立(目標含む)
いち子・に子…達成
ひまわり国立大学(目標含む)
いち子…達成

ひまわり持ち家ローン完済

ひまわりアラフォー夫婦



    


自分トークうぜぇな!と自分でも思い始め、恥ずかしくなってきたところで前回は終わっていまして、その続き。


まぁ、こんな私も紆余曲折を経て現在に至るわけです。


働きたくねぇな…まじで…
社会こえぇ。。


いや、わかる。

むちゃくちゃわかるで。


でもな、働かざるもの食うべからずや!
食うだけちゃうで!今、医療費の話やで!働きたくないから働いてないけど病気になったら保険使って医者にかかります、て、なんやねん!



アリとキリギリスで言ったら、キリギリスが冬の間、アリさんのお宅に居候&生活の面倒を見てもらっているのに「あー、一日中引きこもってると疲れるな〜。ちょっとマッサージしてくれます?」とか「風邪ひいちゃった〜。病院行きたいから、アリさんお金かしてよ。(返さないけどな)」とか言ってるようなもんかと。




誤解がないように記述しますが、「働かない者」
と「働けない方」は全く別物だと考えています。
「働けない方」は社会が手を差し伸べ、「働ける」ようになった時に、お返しをする。
そのお返しというのは、例えば納税であったり、消費活動だったりすると考えています。
中には生涯「働けない方」もいらっしゃると思います。
社会が守るべきだと思います。
「守る」とか「手を差し伸べる」っていう表現が正しいかわからず、また、なんだか上から目線だな…と思うのですが、語彙力が足りず、このような表現で不快に思われる方がいらっしゃれば申し訳ないです。意図を汲んでいただければ幸いです。


いつ自分が働けなくなるかわからない。
それは肉体的にかもしれないし、精神的にかもしれない。
もしまた私たち夫婦に子供ができて、その子が働けない状態で産まれてくる可能性もあります。
今いる4人の子供たちのこの先の長い人生でも、いつ何が起こるかわかりません。
そういう「働けない方」に対して使われるお金であれば、良いと思います。
社会とはそうあるべきだというのが私の考えです。


つまり何が言いたいかというと



社会というコミュニティで生きていて、何かの資本がある限り、社会活動を行うべきなんや!



ということです。




自分の意思であろうがなかろうが、神様の意思であろうがなかろうが、この世に産まれ、働ける資本(例えば体力であったり、知力であったり、時間であったり、何かのセンスであったり、その他特殊能力など)があるのであれば、それぞれ何かの社会活動を行うべきで、「社会活動を行えるのに行わない」という選択をしてる人が、社会に生かしてもらってるっておかしいやろ!



相互扶助じゃねぇ。
もはや社会パラサイト。