今日は、「夢」という言葉についてのイメージを、考えてみたいと思います。
日本人は、大なり小なり「夢」という言葉に抵抗感を感じていると思います。
能力開発や自己啓発の分野に「怪しい」「胡散臭い」といった抵抗感を持っている人は、特に「夢」という言葉自体に無意識にアレルギーを起こし、嫌悪感すら抱いていると思います。
かく言う私も、まさにその一人でした。
「今度の仕事で上手くいくようにしたい!」「出世したい!」「お金持ちになりたい!」
などと思うのならともかく、
「夢は叶います!」なんて、わざわざ「夢」という言葉を使うのが、なんだかそういう大きいことを言うことで人をけむに巻いて、背伸びさせてだますのに利用している、というような、漠然としたそういう匂いを感じて、嫌悪感を感じていました。
また、「夢を持つ」なんて、現状で十分幸せだと思って満足に謙虚に暮らす、という概念からは正反対で、欲深い悪いこと、のような気がしていました。
↑特にこれ、思っている人は多いと思います。
しかし今、勇気をもって足を踏み入れてみて、分かったことがあります。
自己啓発や能力開発で、自分を信頼し、他者への貢献を考えるようになったとき、
考えるスケールが自然と急に大きくなってしまうので、
「夢」という言葉を使わないと、その人の願望を表現できないのです。
自己啓発や能力開発をして、その結果、「私は万年平社員で、時々家族で小旅行に行ったりするくらいの小さな幸せで十分です」とか、「せいぜい部長までです」とか、
そういった思考には行きつかないのです。
そういう状態は、どこかで自分に無意識にブレーキをかけてしまっています。ブレーキをかけてしまっていることに自分では気付けないくらい、深いところで自然と判断してしまっています。無意識に、自分の夢にロックしてしまっているのです。
夢を意識してしまうと、現状と差がありすぎて、夢から遠いところにいる自分を責めてしまったり、これまでの経験上夢を意識して努力してもほぼ叶わないと思っているため、叶わなかったときにまた辛い思いをする、そんなのが嫌だから、はじめから心にロックしてしまうのです。
しかし、自己啓発や能力開発で勉強してくると、自分を許せない、自分を幸せに思えない人が、本当に他人を幸せにすることは難しいことがわかってきます。「自分が自分の本当の夢を解放する!」ことを自分に許せてない(自分をセーブしてしまっている)人が、「他人が自由な夢を思い描いて好きに振る舞う」ことを許すことはできないのです。
そうやって、少しずつ自分の心のロックを外していくと、だんだん自分のなりたいものが見えてきます。それはおそらく、「夢」という言葉が一番ふさわしいものになっていることと思います。



