先日延期されていた運動会が開催された
秋晴れの気持ちの良い日に青空の下
走ったり踊ったりする子供達
2学年ごとの入れ替え制、保護者は各家庭1人までの縮小運動会だったけど
子供達みんなうれしそう
目がキラキラしててカワイイ
その光景を見てたら、突如昔のことを思い出した
あれはまだ上の子が1年生の頃
運動会ではなくマラソン大会にむけての練習をしていた頃
帰宅してすぐだったか、お風呂入ってる時だったかに上の子が言った
「ママ!ぼく分かったことがある!」
何かを発見したらしい
こういうときの子供は目がキラキラしている
「なになに?教えて」
「あのね、どの学年でもね、マラソンでビリになる子はね
太ってる!」
今まで、こういう子供が何か発見をしたような話の時は、それが当たり前のことでも、くだらないことでも、たとえ思い込みが含まれていようと、とりあえず
「そうなんだ!よく見つけたね!すごいね!」
とか、とりあえず肯定して、その観察眼をオーバーアクションで褒めるようにしていた
しかし、この時は褒めていいのか迷った
マラソンという競技で、太っている子がビリになることは多いだろう。例外はあるだろうが、自分の経験からもそうだし、身体能力から考えても太っているとマラソンには不利なことが多い
客観的事実としてこの子はそのことに気づいた
1年生なので出番は最初。あとの5学年が終わるまで屋外でじっと待たなければならない
そこで騒ぐでもなく、ふざけるでもなく、他の学年のマラソン練習を見続けて得た発見
褒めるに値する
しかし、どうだろう?
これをいつものオーバーアクションで褒め良いものか?
太っている=ノロマ
という概念を褒め称えることにならないか?
太っていることはディスっていいという概念を植え付けてしまわないか?
そんなことが会話中の一瞬で頭の中を駆け巡り、でてきた私の言葉は
「そうなんだ。太ってる子って全学年にいるんだね」
だった。
すると上の子が
「うん。いるよー。うちの学年はね、〇〇くんと△△くんが太ってる」
などと話し始めて、会話は流れていった
あのとき、なんと答えるのがよかったのか
今でもたまに考える
子育てって、ほんと自分が試される場面が多い
そんなことを、徒競走で遅れて拍手をもらいながら走る子を見ながら考えていた