先日パスポートへの中性別の記載が認められたオランダで、

今度は生年月日を20年後にする権利を裁判所に提訴した方がいるらしい。

公文書の生年月日を変更して、実年齢より20年遅く生まれた事にしたいとの事。

彼の主張は

“私達は名前や性別を変えられる時代に生きている。
何故、自分の年齢はダメなんだ?”


この話を聞いて、
「なんと自由過ぎる人間だ!」
と思うか?
「なるほど~!」と思うか。笑

意外と沢山の方が
両方の意見に納得される事だろうと思うのです。


生年月日までは変えなくても良いけどね…


自由を完全に感じられなくなった時、
そして、周りの一定数の人がそれを納得して貰える時、
自分の寿命を決める自由と権利は欲しいかな。

「そうなった時、苦しまなくて良いお薬一錠くださいな。」

先日から私の周りでは、そんな話がチラホラ聞こえる。


例えば寝たきりになってしまったり
歩けなくなったりして、
しかもそれが治る見込みが無く、有終へのカウントダウンを実感する時とか、

例えば高齢になって、下の世話を家族にして貰わなくては自力で出来なくなるとか、

家族に迷惑を掛ける事に対する耐え難い苦痛は、人の尊厳に関わります。


自由と権利と義務について。


小中学生のゲームやスマホ事情でも、
同じように意見が分かれて話が進まない。

ゲーム中毒で不登校や鬱になる子が、とても多いんです。
スマホで動画を撮られて、SNSなどで勝手に公開される事も多いんです。
SNS内でのイジメも後を絶たない。

国会で、これはカレンダーかポスターか?
と言い争っている姿を見ると
ガックシ肩を落とす私でござる。苦笑

私たちが納めた税金の何円分かの無駄を嘆くより、
もっと有益な国会討論する人たちに変わって欲しいと願う。

小さな島国なのに、小回り効かない。

話し合わなくてはいけない事、
本当に沢山ありますよね。