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病院勤務の看護師は、日勤と夜勤の勤務シフトがある。
近眼の看護師は、日勤はコンタクトレンズを装着していても、24時間使用できないので、夜勤の場合はメガネにすることが多い。
コロナ禍以後は、マスクを装着するようになって、メガネが曇らないように注意する。患者の様子を的確に把握するため、視力矯正用のメガネをかけている。
夜勤では、眠れない患者のストレス解消を兼ねて話し相手になり、夜遅くまで
つきあうことがある。
男性の看護師もいるが、以前として女性看護師のみの職場も多くある。
担当の看護師真優は、夜勤になって、メガネに換えたら、日勤とのギャップがあり、
別人のようだった。昼間は優しそうな目が、夜はメガネ越しの目が鋭く凝視する。
節子は小学校6年の時の視力検査で、0.7だった。メガネをかけたいと思っていた
節子は、クラスのみんなに「私0.7よ」と級友に言いふらした。
中学校の2年になって、視力減退して常時メガネを掛けた。
スポーツ音痴の節子は、ソフトボールで、バットを振ると見事に空振りした。
男子生徒から「メガネかけているのに、ボールが見えないのか」と野次られた。
卒業後、20年経って開催された同窓会で、節子の近眼について話題になると、
「中学2年からメガネをかけている」と言って、メガネフレームに手を当てた。
節子はひとときもメガネを外さず、人前で素顔を見せることはなかった。
「17歳の時、盲腸手術を経験している」と言って、お腹のへその辺りからさら
タイトスカートを下ろして、盲腸の傷跡を露出した。「その下には私の大切なものがあるから、夫以外の男性には見せられないわ」と言って、それ以上は露出しなかった。盲腸手術前に、「メガネを外すように言われて、剃毛された」と語る。
手術後に、麻酔から醒めた時に「お腹を切られて、泣くほど痛かった」と言った。
病室では、メガネを外していたが、友達が見舞いに来ると、手を伸ばしてメガネを
取ってかけたと言っていた。
小学校時代の同級生の澄恵は、控え目な性格の目立たない存在だった。
6年の視力検査で0.2だったので、養護教諭から「メガネをかけなければなりません」
と言われると、泣き出した。当時、クラスでメガネを掛けている子は誰もいなかった。中学校に入学すると、そのクラスで唯一メガネを掛けた佳乃がいた。
澄恵も佳乃も部活はバレーボール部にいた。佳乃は勝気な性格で、クラスのボス的
存在だった。近眼の目が悪い者同士で、澄恵は佳乃に感化されたのか、メガネをかけることにした。メガネをかけるようになった澄恵は、これまでとは見え方がちがう世界に感動して、勝気な活動的な性格になり、学業成績が向上した。そして、メガネ女子として生きる決心をして、人前でメガネを外さなくなった。
運動面でも、チーム1のサーバーとなり、チーム1のアタッカーの佳乃とともに、
二人のメガネ女子の活躍がチームの貴重な得点源になった。
中学校、高校、大学のいずれかでクラスメイトだった人が、就職して同じ職場で
再会することがある。
高校のクラスメイトだった弘子は、私とともに小柄で、2人並んでいると、似合いのカップルに見える。当時、汽車通学で同じ方向の同じ駅から乗車していた。
出目の美しい瞳は、近眼のため、授業中はメガネを掛けていた。
女子大学を卒業した弘子とは、高校卒業後10年経っていた。
この頃の弘子は、常時メガネになっていて、再会した時に、メガネを外して、
「ナンシーさん、私よ。わかる。弘子よ」と言った。
結婚して姓が変わっていて、気づかなかったが、メガネを外した素顔は高校当時
と変わっていなかった。高校の家庭科教師として、調理実習でエプロンをつけて
いる姿から主婦の様子が窺える。
明子は目が悪いので、小学生の5年の時から近視用メガネをかけている。
社会人になって、黒のスーツにタイトスカートで、黒セルフレームのメガネを掛けたはキャリアウーマンである。
化粧をする時、メガネを外して、鏡に顔を近づけて見た自分の顔は、美人のようだ
と自画自賛する。
「私、本当は素顔でいたいが、近眼なので、メガネがひとときも外せません。
目が悪くなって困ったことがあるんです。」と明子は語る。
素顔とメガネ顔とのギャップが大きく、「もう駄目だと思いますが、私の視力が
せめて0.9にならないか。」とメガネで視力矯正しなければならない身の上を嘆く。
レーシックかICLで近視矯正手術できれば、メガネ生活からおさらばできる。
メガネ女子のキャリアウーマンからキュートな女性へのイメージチェンジか。