誰そ彼→黄昏時
夕刻。18時頃のこと。
彼は誰→彼は誰時(かはたれどき)
明け方頃の時間帯。
「そこにいる彼は誰だろう。よく判らない」
といった薄暗い事象を表した言葉。
日本語って美しいですね。
今日は定休日ということで。
ひたすらに洗濯したり、掃除機かけたり布団干したり。
マッサージ受けにいこうかと考えながら、取り込んだ毛布にくるまってたらそのまま寝こけてしまい、新聞の集金で目を覚ますという…
お金を使わずに済んだと考えるか…身体バキバキやけど…。
少し、焦っている。
一度しかない、刻々とすぎていく時間を一人で過ごすことを。
友人だっているし、職場もよい人たちばかりだ。
それでも、誰かに必要とされたくなる。
誰かのために存在したくなる。
三浦しをん著『まほろ駅前多田便利軒』
に、大好きなシーンがある。
所々、文章を変えておりますが、台詞はそのまま。
フランダースの犬を全話見終えた、小学四年生の少年、由良に、主人公多田が問い掛ける。
「由良公。おまえはあのアニメを、ハッピーエンドだと思うか?」
由良は思わないよ、と答える。
「だって死んじゃうじゃないか」
「俺も思わない」
死んだら全部終わりだからな、と多田。
「生きていればやり直せるって言いたいの?」
由良は馬鹿にしたような笑みを浮かべてみせる。
「いや、やり直せることなんかほとんどない」
多田は一度目を伏せ、再度視線を上げ、由良をまっすぐに見据えた。
「いくら期待しても、おまえの親が、おまえの望む形で愛してくれることはないだろう」
そうだろうね、とマンションのドアを開けて家に入ろうとする由良。
「聞けよ、由良」
多田はその手をつかみとめた。
「だけど、まただれかを愛するチャンスはある。
与えられなかったものを、今度はちゃんと望んだ形で、おまえは新しくだれかに与えることができるんだ。
そのチャンスは残されてる」
由良の手が多田から離れた。
閉まりかけたドアに向かって、多田はつづけた。
「生きていれば、いつまでだって。
それを忘れないでくれ」
いまどきの、冷えきった家庭に育つ由良。
過去に傷と罪悪感を持つ多田。
いつも、ふとした瞬間、このシーンを思い出す。
生きていれば、あがき続ければ、あるいは、と思わせてくれる。
センチメンタルな季節の到来。






