こんにちは。
昨日、一昨日と神宮球場のライブに行ってきました。
楽しかったです。
楽しかったし、何より嬉しかったです。
東京ドーム発表された時に溢れる感情が抑えられませんでした。
ついにここまで来たんだなって凄く感じました。
一番初めの全国ツアーはzeppでした。
zeppでやった日々を昨日の事のように思い出します。
メンバーも必然的に近かったし、ヲタクがわちゃわちゃしたり、おいシャンでヲタク飛ばすの好きでした笑
前にも書きましたが、お見立て会を見た時に、西野七瀬が一番アイドルに向いてないと思いました。
というか、そもそも僕は白石と握手するつもりでした。
偶然が重なって西野と握手することになって、
いざ彼女のレーンに行くと、
当時ギャルっぽい印象とは真逆にこっちが話すまで何を話すこともなく、ただ恥ずかしげに僕の手をこねくり回してたことがホントに昨日の事のように覚えています。
それから約6年。
昨日東京ドームが発表された瞬間に、走馬灯のように思い出がこみ上げてきました。
ティッシュ配りで泣いてたこと。
無邪気に握手したり、人が増えて慣れなくても必死に頑張ってたこと。
初めて福神に入ったり、センターに立った時のこと。
後退したり、決していい事ばかりではなかったこと。
そして、西野との記憶はもちろん。
仲間達と「いつか東京ドーム立とうな」って話して乃木坂46を共に応援し続けたこと。
もう胸がいっぱいでした。
スタート自体は、確かにAKBよりは恵まれていたと思います。
最初から1000とか2000人くらいはヲタクも集まっていたと思います。
でも、楽な道だったのか?と言えばそうではありません。
6年です。
あっという間に感じますが、6年です。
正直東京ドームについては、ここ2年くらいの間「もう届くだろうもう届くだろう」と思っていました。
夢にまで見た舞台が、手の届くところまで来て、
そして昨日、ついに目の前に来ました。
自分達の曲もない中、イベントをやっていた日々を思い出したり、ガラガラの全握とか思い出すと本当によくここまで来てくれたなと…
AKBの時は途中の言い訳Maybeからハマって、推しがセンターにいるのも、東京ドームの舞台があるのも、どこか客観的に感じました。
でも、今回は違います。
推しがセンターまで上り詰めた姿も、グループが東京ドームを掴むまでの過程を初めから見ることができました。
AKBの東京ドームの時に「結成当初から見てきた人たちはどんな気持ちなんだろうな」って凄く不思議に思いました。
今、なんとなくですが、
その気持ちが分かる気がします。
AKBの初期の方々はもっと厳しい境遇からの事ですから、今の僕以上に感じることは多かったとは思いますが。
あぁ、本当に叶うんだなと。
乃木坂46を応援してきて良かった。
そして、なによりも西野七瀬を推してきて本当に良かった。
ありがとう。
でも、東京ドームが終点ではないと僕は思ってます。
そこから先、いかに進めるかが乃木坂46の本領だと思ってます。
そして、僕は西野七瀬が乃木坂をやめるその日まで、通い続けます。
一緒に応援してきたヲタクがみんないなくなってきました。
内心めっちゃ寂しいし、みんなに戻って来て欲しいと思う。
でも、あの一番最初握手した時に「この子を最後まで応援しよう」と誓いました。
一番最初から通ってたら何かしてやれることあるでしょって
まぁそこらは卒業する時にでも書きます笑
今回のライブ、東京ドーム発表
みんなそれぞれ思うことがあると思います。
乃木坂46の夢は僕らの夢
形だけ見たらヲタクはただの消費者だけど、
彼女達から日々貰えるエネルギーや思い出や出会いは掛け替えのないものです。
そして、こうやって大きくなった姿を見せてくれる。
ありがとう。
東京ドームまであとひとっ走り。
西野七瀬推しのプライムでした。
お久しぶりです!!!w
実に去年10月ぶり!!!
8ヶ月ぶり!!
生肉ならとっくに腐ってるくらい久しぶりです!!!
…
あ、はい
とりあえず
2017年度西野七瀬生誕祭無事に終わりました笑
今年も副委員長やらせてもらったにも関わらずほとんど力になれずすみません。
2012年度
2013年度
2014年度
2015年度
2016年度
2017年度
6回目!!!
なげー!!!ww
2011年に西野生誕を建てた時に、すごく悩んだのを今でも覚えています
建てたのは11~12月くらいだったかな?
正直、AKB時代から生誕委員の経験すらありませんでした。
出来るのかどうか分かりませんでした。
でも、祝いたいって気持ちがあって、そして何より「他の人がやるより俺がやった方が絶対いいもん出来る!!」って覚悟で西野生誕を建てたのを今でも忘れません。
(ホントにそうだったか触れないで←)
2015年度までは委員長だったのかな?
それまでは、毎年毎年生誕に追われる日々で、生誕祭までの半年はまさに生誕のことでいっぱいいっぱいでゆっくりイベントを楽しむ暇もあまりなかった気がします…笑
そして、去年はちゃる、今年は青木が委員長として西野生誕を回してくれました。
もうほんとに2人とも素晴らしいものを作り上げてくれて、僕がやってた時の100倍良かったと思っています。
今年の生誕も色々ありました。
バタバタしました。
やっぱり握手生誕で、ある程度型が決まったとは言え、楽になるわけではありません。
みんな一生懸命準備をしてくれました。
西野のスピーチ正直嬉しかったです。
たぶんみんなそう思ってるはず。
毎年毎年終わる時に思います。
「生誕やってて良かった」って。
西野に喜んでもらえること。
日々の御礼を少しでも生誕でお返ししてあげられて、本人にとって少しでも何かプラス要素になってくれればいいと思います。ふとした時、辛い時に君の味方であることを胸にあの子の力になればなと思ってます。
そして、生誕委員をやって出会える素晴らしい仲間達。
生誕をやっていて、西野のヲタクをやっていて巡り会えた縁です。
僕にとって何よりもの宝物です。
もう6年かと思うとホントに早いです。
生誕だけじゃなく、乃木ヲタやっててホントに色々なことがありました。
まぁ、そこらの話は西野卒業してからにでも書きます…笑
でもまぁ、今こうやってあの時、生誕に踏み出して良かったなぁって思ってます。
これが全てです。
予め言っておきますが、僕は来年も西野の生誕委員やります。
再来年も西野の生誕やります。
西野が卒業するまで、やります。
普段与えられてばかりのヲタクな僕がせめてもの恩返しができるのが生誕祭だと僕は思っています。
今年生誕委員として活動した皆さん本当にお疲れ様でした。
色々な事情で来年出来ない方もいると思います。
生誕委員自体も楽しんでくれたらいいなーと思ってます。
もっともっといい生誕作らなきゃいけないなーとも思ってます。
これからも西野七瀬をよろしくお願いします。
西野推しのプライム
23歳になりました笑
時間が経つのは早いものであっという間にこの歳です。
まだ若いけどな!!!
まぁ23歳とか絶妙に中途半端過ぎてなんとも言えないんですけど、山田哲人が活躍してくれて背番号23なんできっといいんじゃないのかと思ってます。
いやー色々あったような気がする一年間でした!!
去年の11月からかぁ~。
ひとつは、21歳で初めて出来た彼女と2~3月くらいに別れたのは大きな変化でした。
1年ちょっと付き合いました。
そして、4月からは今の会社に入り、環境も色々変わる中で今もなんとかやっております笑笑
そして、6月には今の彼女が出来て。
まだ出会って半年くらいだし、付き合って5ヶ月だけど、本当家族みたいだし、とてつもなくいい子です。
俺には勿体無いんじゃないかと思うくらい、可愛いし、優しい子です。
勿体無いかも知れないけど、まぁそこは気にせず離しませんので、ごめんなさい。
出会えて良かったと思うし、22歳一番の出来事は今の彼女と付き合えたことだと思います。
まぁ惚気はこの辺にしておきましょう。
乃木坂と出会ってからもう四年も経つなんてあっという間だなーとも思います。
今や妹分も出来ましたからね。
頑張って欲しいと思います。
年々歳を取って。
それとなく毎日を生きて。
もっと理想の未来があるのに、現在はしょぼくれてて。
歳は取ったけど本当に自分腐ったなーと思います笑
昔のが将来のビジョンがあって、気持ちややる気もあった気がして、現状に甘えたり行動しない自分が本当舐め腐ってるなって感じる日々です。
現状の位置じゃダメなのもわかってる。
けど人は動けない。
なぜか?
明日があると思っているから。
未来があると思っているから。
今日が人生で最後の1日なら…
あと自分の命の時間が分かっていたら…
こんな日々を送っていたでしょうか?
僕は間違えなく送っていません。
未来とは大きな希望であり、造り上げられるものです。
ただ一方で、それは甘えを産み、時に頭の構想だけで満足し、あたかも叶ったかの様な幻影を見せます。
人はいつか死にます。
時間は無限に見えて、終わりは常に近づいています。
すっとぼけてノウノウと生きてる人間は、それはそれでいいでしょう。
でも、当たり前です。
人生は一度だけです。
生まれたからには、両親に育ててくれた以上の恩恵を返します。
生まれたからには、奥さんを幸せにします。
生まれたからには、自分の子供に不自由は絶対にさせない。
生まれたからには、社会に貢献します。
23歳。
若くありません。
甘えてるうちに、そこらにいる30,40代のただのオッサンになります。
何が生きる価値か
何が人生で求めるものか
それは人それぞれ違います
ただ認識してる人と認識してない人では、全く人生は別物になります
自分のやりたいことってなんですか?
自分の生きてる意味ってなんですか?
遅いとか無理とか思ってる間にも時間は過ぎます
そして、多くの人は口を揃えて言います
「あの時やっておけば良かった」と
過去は変わらない。
でも、今と未来は変わります。
僕にも夢があります。
一言でまとめると「父親を超えること」。
俺がこの手で父親の会社は世の中に残します。俺がこの手で再建します。必ず。
僕の小さい頃からの夢。
それは親父の会社を継ぐことでした。
でも、それは今は実質的には困難か状況になりました。
しかし、可能性は0じゃありません。
己の夢や人生くらい自分の手で掴み取ってやろう。
自分の人生、喜怒哀楽するのも、作り上げるのも、最終的には自分自身です。
自分を一番信じれるのも自分自身。
だから、俺は出来る。
早く、頭の夢から脱出します。
皆さんも良い人生を。
人生は自分が考えた範囲内の事でしか起きません。
その中で60%なのか80%なのか…
一歩出ましょう。
きっと自分自身、もっと生きたい人生ってあると思いますよ。
世の中の幸福を祈ります。
2015/11/16