遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
冬休みにブログを更新しようと決意したものの、結局ダラダラしてしまいました(汗)。
「もう、前の話すっかり忘れたわ!」
というツッコミはごもっとも……
ですが改めて、続きを書いていきたいと思います。
母が父に「不倫してるの知ってるんだからね!」と突きつけ、
家を出た12月。
母は少しずつ荷物を運び出しながら、朝から晩まで働き続けました。
不幸中の幸いというべきか、
たまたまパートで勤めていた職場のおばさまからの誘いがあって、
母はこのタイミングからもうひとつ、仕事を始めることにしたのです。
母「60を手前にして、初めて面接受けてくる。緊張する!」
そう浮き足立って出ていく様子に、私も妹も少しホッとした反面、年齢的に、もうそれほど無理が効かないんじゃないかと不安も覚えました。
「敵と呼ばれた私たち」のグループLINEも、この頃は日々の仕事の話などで埋まっていて、まるで不倫騒動なんてなかったかのようだった気がします。
そんなこんなで、母の一人暮らしが始まって、2週間ほど経った日のこと。
母「今日家に行ってきた」
私「荷物取りに行ってきたの? おばあちゃんとかうるさくなかった?」
母「あいつ、まだ会ってた」
私「は?」
母「あの女が勤めてる病院の薬の袋がゴミ箱に入ってた」
私「え?」
母「日付が12月26日ってことは、別れたって言いつつ、顔は見に行ってたってことだよね?」
優子が勤めている病院は、
開業医の先生が一人で診察している、いわゆる町医者です。
そこでなきゃもらえない薬も、そこでなきゃ受けられない治療も、おそらくない。
問い詰めた母に対し、父は
「薬が切れちゃったんだからしょうがないだろ」
と言ったきり、話をそらしたようです。
母「それだけじゃないの。
リビングに、見たことないチェックのマフラーが綺麗にかけてあった」
私「マフラー?」
母「私が何本プレゼントしても、今まで一度もマフラーなんてしなかったんだよ」
私「それって……」
母「あの女からのプレゼントで間違いないと思う」
「マフラー買わなきゃね」と優子が父に語りかけているメールがあったことを、
母は思い出していました。
別れたと言いつつ、女の痕跡は増え続けている。
「私がいないとお父さんは何もできないから」と、
荒れた部屋の片付けをして、
少しの手料理でも残してくるつもりだったのでしょう。
でも、母が忙しくしていたたった2週間ほどの間に、
部屋にはアレクサが導入され、ストーブが導入され、
「息子の面倒は私が!」と張り切った祖母の手料理で冷蔵庫は溢れかえっていたそうです。
母の35年の痕跡は、たった2週間でどんどん薄くなっていました。