今日の記事は、いつか書こうと思っていた内容です。記事にするきっかけがあったので、文字にしてみました。
以下の文章は、私がまだ20代の前半、会社の新人フォロー研修の時に、講師だった産能大学の先生(残念ながらお名前は覚えていません)が配って下さったものです。以来20余年、私の心の根底にあり、小さいメモにして手帳やお財布に入れて持ち歩いていました。ですが、数年前、何かの折に俺様に渡してしまい、手元にない状態が続いていました。そんなわけで、もう頭の中でその断片を思い出すことしかしていなかったのですが、つい先日、俺様が「今度の会社のスピーチ(ときどき順番が回ってくるようです)で、七実のはなしをしようと思って・・。」と言うではありませんか。「げげーーー、鬼嫁ばなしはやめて~~(>_<) 」と思いつつ、聞いてみると、その紙きれの話をするつもりだとのこと。そして、「出典はなに?」と聞かれたのですが、かつて調べた時はわからずじまい。しかしながら再チャレンジしてみると、インターネットとはオソロシイもので、あっさりと見つかり、私の積年の疑問もやっと解消したのでした。題名が「希望」だということも、17世紀の文章だということも、初めて知りました。
なにより、てっきりとっくの昔に捨ててしまっていると思っていたその紙切れを、俺様が定期入れにしのばせ、なにかあるたびに読んでいてくれていたこと。まさか、そんなに大事にしてくれているとは知らず、正直、とても驚きました。
さて、さて、前置きが長くなりました。 少々長いですが、お時間のあるときにじっくりと、どうぞ。
*--
「デジデラタ DESIDERATA 」 (ラテン語で「希望」の意)
バルティモアの聖パウロ教会で見つけられた断片 1692年付
忙しく慌ただしい毎日の中で落ち着きをなくさないように。一日に数分でも静けさの時を作り心の平安を味わいなさい。
相手に降伏することなく、しかし出来る限り努力して、多くの人々とよい関係を作りなさい。あなたがこれは正しいと思う事は静かに、しかし明瞭に表現しなさい。そして一見無知性、無教養と見える人にでも耳を傾けることを忘れないように。というのは、誰にでも自分のストーリーを持っているからです。
遠慮もなく、荒々しく土足で踏みこんでくるような人は避けなさい。このような人は、あなたの精神を毒することがあるからです。
人の目ばかり気にしてチマチマ生きていると、うぬぼれか落ち込みの落とし穴にはまります。あなたより優れた人も劣っている人もいます。肝心なことはあなたなのです。あなた自身の生活の中身なのです。
あなたが今までにやり遂げてこられたことを楽しみなさい。これからの計画を楽しく立てなさい。あなた自身のキャリアこそ、うつろいやすい時の流れの中で、最も確かな財産です。
ビジネスの世界では、気を配っていくように。世間には落とし穴がいっぱいあるからです。しかしながら、その同じ世間の中にダイヤモンドのようにきらめく人の行いがあることに目を向けるように。目をよく開けて見れば、驚き・感動するような生き方をしている人はいっぱいいます。
自分自身を生きることです。フリをしたり、見せかけの愛情でごまかさないように。世間が冷たいからと言って、スネたり、ムクれたりしないように。一見、どんなにつらくがっかりするようなことがあっても、やがて時が来れば、春の若草のように天はあなたを助けます。知恵を貯えながら年をとっていくように。いつまでも若さにしがみついていないように。
いつ降ってくるかわからない不幸や不運に対抗するために日頃から心の力を育てておきなさい。だからといって未来におびえてビクビクしないように。多くの恐怖は過去からの条件付けの結果です。疲れた時や孤独になった時に、”恐ろしい”という感情におそわれるものです。明るいイメージを自分にもちなさい。自分自身を大切に扱いなさい。
あなたは大自然や大宇宙と同じように、宇宙に生きる子供なのです。あなたはこの世に生きる権利をもっているのです。私たちの理解を超えて、この偉大なる宇宙はその行くべき方向へ向かって進んでいるのです。
あなたが神様をどのような形で信じようが信じまいがそんなことは無関係に、あなたの心の内なるものと平安を保ちなさい。
混乱と激動の毎日の中で、なにを望み、なにをやっていても、あなたの魂の中に安らかさを保ちなさい。一見どうしようもないように見える逆境と挫折の中に、美しい世界が生まれるのです。
明るくしなやかに生きてください。幸せになることを選んで、その道で努力してください。
― Max Ehrmann ― (“読み人知らず”の意)
※詩人・山尾三省:さんによる訳はこちらです。おそらくこちらの方が有名と思われますが、私が慣れ親しんでいる文章を掲載させていただきました。
以下の文章は、私がまだ20代の前半、会社の新人フォロー研修の時に、講師だった産能大学の先生(残念ながらお名前は覚えていません)が配って下さったものです。以来20余年、私の心の根底にあり、小さいメモにして手帳やお財布に入れて持ち歩いていました。ですが、数年前、何かの折に俺様に渡してしまい、手元にない状態が続いていました。そんなわけで、もう頭の中でその断片を思い出すことしかしていなかったのですが、つい先日、俺様が「今度の会社のスピーチ(ときどき順番が回ってくるようです)で、七実のはなしをしようと思って・・。」と言うではありませんか。「げげーーー、鬼嫁ばなしはやめて~~(>_<) 」と思いつつ、聞いてみると、その紙きれの話をするつもりだとのこと。そして、「出典はなに?」と聞かれたのですが、かつて調べた時はわからずじまい。しかしながら再チャレンジしてみると、インターネットとはオソロシイもので、あっさりと見つかり、私の積年の疑問もやっと解消したのでした。題名が「希望」だということも、17世紀の文章だということも、初めて知りました。
なにより、てっきりとっくの昔に捨ててしまっていると思っていたその紙切れを、俺様が定期入れにしのばせ、なにかあるたびに読んでいてくれていたこと。まさか、そんなに大事にしてくれているとは知らず、正直、とても驚きました。
さて、さて、前置きが長くなりました。 少々長いですが、お時間のあるときにじっくりと、どうぞ。
*--
「デジデラタ DESIDERATA 」 (ラテン語で「希望」の意)
バルティモアの聖パウロ教会で見つけられた断片 1692年付
忙しく慌ただしい毎日の中で落ち着きをなくさないように。一日に数分でも静けさの時を作り心の平安を味わいなさい。
相手に降伏することなく、しかし出来る限り努力して、多くの人々とよい関係を作りなさい。あなたがこれは正しいと思う事は静かに、しかし明瞭に表現しなさい。そして一見無知性、無教養と見える人にでも耳を傾けることを忘れないように。というのは、誰にでも自分のストーリーを持っているからです。
遠慮もなく、荒々しく土足で踏みこんでくるような人は避けなさい。このような人は、あなたの精神を毒することがあるからです。
人の目ばかり気にしてチマチマ生きていると、うぬぼれか落ち込みの落とし穴にはまります。あなたより優れた人も劣っている人もいます。肝心なことはあなたなのです。あなた自身の生活の中身なのです。
あなたが今までにやり遂げてこられたことを楽しみなさい。これからの計画を楽しく立てなさい。あなた自身のキャリアこそ、うつろいやすい時の流れの中で、最も確かな財産です。
ビジネスの世界では、気を配っていくように。世間には落とし穴がいっぱいあるからです。しかしながら、その同じ世間の中にダイヤモンドのようにきらめく人の行いがあることに目を向けるように。目をよく開けて見れば、驚き・感動するような生き方をしている人はいっぱいいます。
自分自身を生きることです。フリをしたり、見せかけの愛情でごまかさないように。世間が冷たいからと言って、スネたり、ムクれたりしないように。一見、どんなにつらくがっかりするようなことがあっても、やがて時が来れば、春の若草のように天はあなたを助けます。知恵を貯えながら年をとっていくように。いつまでも若さにしがみついていないように。
いつ降ってくるかわからない不幸や不運に対抗するために日頃から心の力を育てておきなさい。だからといって未来におびえてビクビクしないように。多くの恐怖は過去からの条件付けの結果です。疲れた時や孤独になった時に、”恐ろしい”という感情におそわれるものです。明るいイメージを自分にもちなさい。自分自身を大切に扱いなさい。
あなたは大自然や大宇宙と同じように、宇宙に生きる子供なのです。あなたはこの世に生きる権利をもっているのです。私たちの理解を超えて、この偉大なる宇宙はその行くべき方向へ向かって進んでいるのです。
あなたが神様をどのような形で信じようが信じまいがそんなことは無関係に、あなたの心の内なるものと平安を保ちなさい。
混乱と激動の毎日の中で、なにを望み、なにをやっていても、あなたの魂の中に安らかさを保ちなさい。一見どうしようもないように見える逆境と挫折の中に、美しい世界が生まれるのです。
明るくしなやかに生きてください。幸せになることを選んで、その道で努力してください。
― Max Ehrmann ― (“読み人知らず”の意)
※詩人・山尾三省:さんによる訳はこちらです。おそらくこちらの方が有名と思われますが、私が慣れ親しんでいる文章を掲載させていただきました。