悪意の人と遭遇した。

自分がひねくれた性格をしてるのは自覚してるけど、それでもどこかで性善説信仰があって、人が人を裏切ったり傷つけたりする時って、咄嗟の激情だったり我が身かわいさだったり……大概、弱さとか狡さから来るもんだって思ってた。

でも、意図的に人を陥れようとする、攻撃する人間もいる。
人が酷い目にあう姿を見ても全く心が痛まない、むしろ楽しめる人間もいるんだって、実感させられる出来事だった。

梛々女はエネルギーのない人間だから、積極的に人を嫌ったりはしない。
それでも自分に害をなす人間はもちろん嫌いだ。
ただ、そんな自分にとって害になる人間でも、目の前で不幸になるのと、関係ないところで幸せになるのとどっちが良いと聞かれたら、迷わず後者を選ぶ。
良い人ぶってるわけじゃない。
目の前にいられる方がよほど目障りだからだ。
梛々女はそういう風に消極的に人を嫌う人間だ。

そんな冷たい人間だけど、悪意の人よりはマシだろう。
エネルギーがありあまってるのだから、ある意味うらやましいけれど、そっちの人間にはなりたくないと思うんだ。


昔、とある先生に言われた。
仕事は「仕事をしてしまう人間」のところに集まってくる。
おれもおまえも「仕事をしてしまう人間」だな。

それがひじょーに嫌だった。
まじめなだけの要領が悪くて損をする人間って意味だと思った。
まじめイコールつまんなくってかっこわるいと思ってた。
大人になって、まじめってのも慈しむべき個性だなっていうのが少しはわかったけれども。

そして経験者の見立てはやっぱり当たる。
目の前の仕事をしない理由を見いだせるほど私はかしこくなくて、どんどん集まる仕事をセーブできるほど強くもなくて、自分のキャパをはるかに超えたものを背負い込んでは何度かつぶれた。
さすがに懲りたので、できない人間に思われてもいいやって覚悟でキャラ変を試みたりもしたけれど。
聞こえないふり気づかないふり。
……小心者にはもっと無理だった。
怖い。
実際以上に評価評判が下がっていくのが。
マイナスな感情をむけられるのが。
いらない人間になるのが。
どうにも怖い。

私は「デキる人間」ではなくて、「してしまう人間」だ。
やっぱり要領が悪くて損をする人間だ。
無理をしないと何もできないのに。
それを認めて開き直ることすらできない。

そんなこんなで、気づけばまたサビ残をしてキャパ超えを調整する毎日。
また潰れないようにだけ、気をつけよう。