幼少期.5 【3兄妹】 | 舞踊家 菊地尚子のブログ

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つれづれつらつら。

うちは兄二人で私は末っ子なので、
さぞかしお兄ちゃん達に可愛がられたでしょう?
とよく聞かれますが、
全くそういった記憶はございません。

菊地家待望の女子は、大変な凶暴女子だったからだと思います。

兄達を立てる気は全くなく、生意気な口を叩き、口で言い返せない兄達は、ムキーっと私に向かってきました。
いや、私が向かっていった気もします。笑

毎日毎日、とんでもない取っ組み合いの喧嘩をし、怒鳴りあい、奇声を発して泣き叫んでいました。
時にはサッカーで鍛えあげた次男のキックを手で受けて、小指の関節が反対側に曲がったり、
兄を殴ろうとした瞬間にガラスのはまったドアを兄が閉めたので、私のパンチはガラスを突き破り血だらけになったり。


そしてある時、そんな酷い喧嘩を毎日毎日繰り返す子供らを見かねた両親が、「もうこれは一緒に暮らすのは無理だ、長男を寺に出す」と言いだしました。

次男と私は本当にビックリし、泣きながら何度も謝りどうか長男を寺に出さないでくれとお願いしましたが、両親の意思は変わらず、長男は長男の責任を感じていたのか、ただただ泣いてました。

寺に出される日に東京駅までお見送りにいき、長男だけ新幹線に乗って別れた時のことは今でも目に焼き付いています。

その後、ほんの一週間程度で、兄は戻ってきました。笑
両親にとっての荒療治だったのでしょう。
しばしの間、菊地家に平穏がやってきましたが、そんなもので根本が変わる訳なく、
その後も喧嘩は勃発していました。

最終的な事件は、私が23歳ぐらいの時に長男に殴られ、目に漫画ばりの丸い青タンが出来たことでしょう。
何故殴られたかというと、夜中に私がバレンタインのケーキを焼いていたら、レンジの消し忘れと思った長男が電源を切ったのです。
私はブチ切れて食卓の椅子を持ち上げ兄に襲いかかり。。。ちーん。
自業自得です。。。
そう、いつも原因はくだらないことでした。

とにかく血の気の多い家庭で育ったためか、
殴り合いこそないものの家族以外とも大ゲンカをしてしまうことが多く、師匠とは何度もだし、大学の教授とも入学早々に舞踊専攻の生徒達の目の前で大ゲンカしてしまいます。
その時は、必須科目の授業ゆえに、即再履修となりました。。。

師匠との喧嘩も、どうしても譲れないことが自分の中であったわけで、今となっては全部いい思い出ですし、通るべきして通った道だと思われます。でも無礼を働いていたことは確かです。
今、自分が創った作品を師匠が見て、喜んでくれる度に、少しずつ恩返しできていればいいなと思っています。