アルトゥロ・ウイの興隆
!!!ネタバレ注意!!!
・これは舞台「アルトゥロ・ウイの興隆」を観劇して気になったことのメモです。
・最初で最後、1度きりの観劇であるため、見落としているところや忘れてしまったところなどがあることを先にことわっておきます。
・勢いで書いてますし拙い文章であるため分かりづらいところがあるかもしれません。
・完全にメモ
・舞台でのストーリーとそれに対応する史実を消化しようとするも上手くいかず、めちゃくちゃ。
・覚えている史実を混ぜ込んでますが、間違っていたら教えて下さい!
・個人的感想です。「個人的に」思ったことです!
上記のように、一度しか見ていないので流れに沿った感想ではないです。個人的に気になったところや考察を舞台上での順番はあまり関係なしに書いていきます。
また、自分用のメモ的な要素が強いのでこの舞台がどういうものなのかなどは割愛しています。すみません。
全体的に支離滅裂でごめんなさい。
!!!ネタバレ注意です!!!
【演説】
ヒトラーの大きな特徴としてやはり演説能力というものがあると思うのですが、舞台におけるジェームス・ブラウンの歌がその演説を表していると私は解釈しました。
かっこいいし、惹き付けられてずっと見てしまうし、ノリノリになっちゃうし、終わったら拍手喝采。あの当時のヒトラーの演説への反応と似てる気がして……。
何度もライブがあるところも、ずっと観客(民衆)をのらせて「すごいな!」って思わせ続けてるところも、事ある毎に演説をしてきたヒトラーと被って見えました。
でもただ歌うだけじゃダメで、惹き付けないと「たまにライブを挟む舞台」で終わってしまうから、アルトゥロ・ウイが憑依した草彅剛にまんまとやられたって感じですね。
なにあの声、聞いたことないんですけど……。
演技で喋り方とか声を変えたり(声優さんとかもろにそうですよね)はありますけど、そういう次元じゃなくないですか?根本的にアルトゥロ・ウイの歌声でしたよね。演技という範疇を越える憑依が怖い。
え、ホントにどうやってんの…?声帯どうなってるの……???
【ジヴォラ(ゲッペルス)について】
劇場につき震える手でチケットを係の方に渡した後頂いたのは舞台における配役表。
始まるまでそれをじっくり読んで頭の中の史実と対応する役者さんを一致させていると、なんと渡部豪太さん演じるジヴォラのモデルはゲッペルス!!!
ゲッペルスについてある程度調べたことのある私は密かに「ゲッペルスが元になっている役があるといいなぁ」と思っていたので嬉しかった。しかも渡部豪太さんがやってくれたら似合うよなぁとも思っていたので、理想オブ理想で驚いてしまった。
さらに驚いたのは、渡部さんが出てきた時に足を引きづって歩き始めたこと。
これはモデルになったゲッペルスの大きな特徴で、実際にゲッペルスは幼少期の麻痺のため足の長さが左右で違う。そこ本人に忠実なんだ!と感動した。
これが脚本によるものなのか演出によるものなのかは分からないのでなんとも言えないのですが、ナチスから嫌われていた原作者・ブレヒトが嫌味でそう描いてもおかしくないなと。
ゲッペルスはヒトラー政権の宣伝大臣です。
ヒトラー1人であそこまで登り詰めたのではなく、ヒトラーの周りに有能な人々も(有能とは言いたくないですが)いたからあそこまでになったわけで、ゲッペルスもそのうちの1人だと思っています。宣伝の天才であるゲッペルスによる各所でのはたらきは大きい。
ゲッペルスの人生について書くのは流石に長くなりすぎるので割愛しますが、幼少期の足の麻痺だったり、その後の人生において彼がユダヤ人を嫌悪するようになってしまった経緯だったりと様々ないきさつがありヒトラーの下にいるので、調べてみるとまた見方が変わるのではないかなと思います。
特にヒトラーとの関わりは是非調べてみることをオススメします。
今回の舞台ではオーストリア併合までの史実を元にしているため第二次世界大戦については描かれていませんが、第二次世界大戦の終盤に(ヒトラーが衰退していった時ですね)、ヒトラーが大衆の前に姿を現さなくなってもゲッペルスは壇上にあがり続けドイツを鼓舞していたり。
ヒトラーの遺書にゲッペルスを首相に、と書いてあるもゲッペルスはそれを拒否したり……(「生を総統の傍らで終える」という気持ちから)。
舞台中のジヴォラ(ゲッペルス)で印象的なのは松尾さん演じるローマ含め彼らを銃で撃ち殺すところ。そこが1番派手ですよね(そのくだりでローマに「俺の足が短いって言ったなぁ?」と言ってローマの足を撃つところは彼のコンプレックスがしっかり表現されていて良かった)。
先程も言ったように彼は宣伝大臣であるのですが、そこはあまり設定に入れられていなかったのかな、と感じました。
でも最後のあたりで那須佐代子さん演じるダルフィート夫人がマイクでしゃべる(しゃべらされる)シーンで隣にいたジヴォラもマイクで途中少し話したのは宣伝大臣という要素を意識したように感じました。
全体的にヒトラーに対する信頼(これも色々あるので調べてみてください)というものが、ジヴォラのウイに対する態度で表されていてテンション上がりました。
ゲッペルスは最後までヒトラーの傍(ヒトラー側)にいたので、舞台でのローマを殺したあの銃撃戦をウイと共謀したことや、ウイがジヴォラに任せて帰っていったことなどはとても納得しました。
ただブレヒトが元の脚本を書いた時は第二次世界大戦は終わっていないと思うので、どこまで史実を意識したのかは分かりませんが。
他の役と違ってゲッペルスの衣装の赤は「暗い赤」でしたが、それにも意味があるように思えてならないです。
ごめんなさい、ゲッペルスについて語りたいとか言っておきながらめちゃくちゃ割愛してて何も分からないですよね。
でも本当に是非ともヒトラーとの関わりは調べて頂きたいんです……!!
私がたまたまゲッペルスについて若干知っていたように、松尾さん演じるローマのモデル、エルンスト・レームのことも知っていたらより楽しめたなぁと思いました。
観劇した後に調べたくなる部分もたくさんあってそこも楽しいです。
【冒頭の時期】
最初あたり、カリフラワー・トラストの行動うんぬんでシカゴは不況なんだな、というのは分かりました。
第一次世界大戦で敗戦国となり、色々あってどん底の不況になったドイツ、という時期なのか、世界恐慌の影響でせっかく回復しかけた景気がまたどん底になってしまった時期なのか。おそらく後者かな、と。
舞台始まりくらいのウイはそれほど力のないギャングっぽかったですが、それ以前はもっと力があった?みたいなことを言っていた?気がするので(あやふや)、もしそうだったら世界恐慌あたりの時期の不況を反映している状況なのかなと思いました。
【ドッグズバロー】
古谷さん演じるドッグズバローはヒンデンブルク大統領ですね。
劇中でもウイを拒んでいたように、ヒンデンブルク大統領はヒトラーの首相任命を拒否しています(つまり、そもそもこの時点で史実の方ではナチス党が総選挙で第一党になっているということですね)。
ヒトラーの首相任命が拒否されてから次の選挙ではナチスは大幅に議席が減り、共産党が議席を伸ばしました。
ただこの事態は政府にとっては嫌なことで、端的に言って共産主義になることが怖いんです。
なので政界や財界の人間がヒトラーを首相にするようにヒンデンブルク大統領にお願いしたという一面もあり、ヒトラーはついに首相になりました。
また、ドイツでは大統領と首相がいますが、ヒンデンブルク大統領が亡くなってからヒトラーは大統領の権限ももったので、大統領+首相で「総統」となりました。
何が言いたいかというと、ウイがドッグズバローを丸め込んだくだりはかなり大きいというか、史実から言えばもう実質トップですよね。
唯一ウイを止められる人がいなくなってしまった……。
【国会議事堂放火事件】
舞台では倉庫放火事件として描かれているこの事件の元ネタはスクリーンにも表示されましたが、国会議事堂放火事件のこと。1933年2月27日にドイツの国会議事堂が炎上した事件のことです。
ヒトラーはこれを共産主義者によるものと勝手に決めつけ、大統領緊急令を行使して逮捕・拘束しています。放火の真相は分からないのですが、上手く利用しましたよね…。
ヒトラーが首相になったのは1933年1月なのでその1ヶ月後という。はやすぎ。
ナチス党のライバルはこの時ほぼ共産党のみという感じでしたから、この事件以降敵なし状態ですよ……。
史実のヒトラーは、上記の通り国会議事堂放火事件の際にヒトラーが建議しヒンデンブルク大統領が大統領緊急令を布告しています。この大統領緊急令によって他政党の抵抗力をねじ伏せたり、正直これだけで独裁政治は可能なんじゃないかと思うんですけれども、ヒトラーの嫌なところはこの後全権委任法を国会で成立させるところですね。
ざっくり言って、(形だけだとしても)民主主義のもとに国会で独裁政権を認めたことになってるんですよね。全権委任法はあらゆる立法を国会の採決なしで内閣が制定できる、というものですから。
この全権委任法が成立すると4ヶ月後にはナチス以外の政党が禁止されました。
つまり放火事件による大統領緊急令から中央集権化も進み、実質ワイマール共和制の崩壊。
この放火事件はかなり大きい出来事なのでそこの部分もう1回見たいな……。
ここから独裁が本格的に始まる。
この倉庫放火事件(国会議事堂放火事件)の後のウイに注目したかった。あまり覚えてないこのポンコツ脳……。
【ナチス式敬礼】
正直あの敬礼(手を前に差し出すポーズ)は本当に嫌です。冗談でも見たくない。だからこそあえてこのポーズを変えずにそのままやったのだとも思います。
このポーズに関しては置き換えずそのままだったことでフィクションとノンフィクションが揺らぐ。
舞台の目的とか伝えたいこととかを考えると分かるんですけど、この敬礼を見ると一気にあのナチスがしたことを思い出して嫌悪が止まらなかったし怖かった。
舞台上の演出にのっかった(乗らざるを得ない)のはもちろん理解していますが、観客もあのポーズで手を挙げだしたのが1番怖かった。この画、あの頃のドイツと同じじゃないですか…。
ヨーロッパで公演したら演出だとしても観客はあの敬礼をとらないんじゃないでしょうか。
この舞台はヒトラーの興隆をシカゴのギャングに置き換えているもの、のはずなのにあの敬礼を見た瞬間に「現実」が襲ってきて怖かった。
でも、私たちが手を挙げることを要求された場面ではもう手遅れなんですよね。手をあげない、反抗する、なんていう選択権は既に民衆にはないんですから…。
【ダルフィート(ドルフース)】
オーストリア宰相のドルフースをモデルにしたダルフィート。
彼はウイたちによって殺害される(ウイは否定していますがおそらくそうでしょう)。
この流れも史実と同じですね。
ただオーストリア市民はナチスのオーストリア併合を喜んでヒトラーを受け入れています。
ここで気になったのがウイの左腕です。最後のあたりでウイの左上腕に黒いものが巻かれていることに気づきました。おそらくこれは第1幕ではなかったですよね?
紋章などはなくただ黒いもので、ハーケンクロイツが描かれているわけでもないので何かな?と気になっていたら喪章というものを知りました(無知ですみません)。
もしかしたらウイが最後に巻いていたのは喪章なのではないかと。
いつから巻いていたのか分からないのですが、もしダルフィートが亡くなって以降の場面から巻いていたのだとすれば、それはウイがダルフィートの喪に服していることを表しているのではと思いました。ただこれは形だけで、本心から悼む気持ちはないでしょう。
史実的にもヒトラーはドルフースの訃報を喜ぶもイタリアの首相ムッソリーニの顔色を気にして(この言い方があってるのかは自信ないです)、喪に服すフリをしてるので、もしも喪章だという解釈が正しければ史実のオマージュということになるなと思いました。
稽古が始まる前に撮った写真やパンフレットに載っている写真でも巻いていますね…。
【ラスト】
ギラッギラの衣装で登場したウイが歌い出し、徐々に大きくなっていく声量でメロディーにのせてアメリカの地名を言っていく……。
最後に「ニューヨーーーーーーク!!!」と叫ぶところかっこよすぎ……。
その後スクリーンに映し出された国々。1番最初にポーランドとあり最後の方にフランスと書いてあった気がしました。これはドイツが侵攻した国を順番に表しているのかなぁと思うのですが…(ポーランド侵攻による第二次世界大戦の開戦から?)。
でもフランス侵攻の後も侵攻された国はあるし、完全に順番ではないのか…?
いずれにしろポーランドを1番はじめにしたのはやっぱりそういうことなのでは、と。
ウイが地名を叫んでいくのは、ドイツが国々を侵攻していったことを表していると気づいた瞬間の「あれ…?ま、まって……」という感じが……。
もう止められないことに気づく。
そして背景にうっすらと浮かび上がる大きなハーケンクロイツ。
「うっすらと」なのが逆に怖くてゾッとしました。
あの瞬間の怖さはほんとダメ。
あれを見た瞬間の「独裁者が生まれてしまった」という絶望と後悔。
度々客席の間に立っていたりした八百屋のみんなが、最後には赤い服を着て客席の間に立ちあの腕を伸ばすポーズをとっているのも怖かった。彼らは私たち自身でもあると感じた。
この場合はハイル・ヒトラーならぬ「ハイル・ウイ(ウイ万歳)」なんでしょうね……。嫌だ…。
最後、音楽が鳴り続ける中、1人だけ微動だにせず上を見つめるウイが怖かった。
私の方が舞台から高い位置にいたのに、ウイは上を見上げているのに、こちらがウイに見下ろされている感覚。
あの時の目を見た人大丈夫ですかね……。私は距離的に見てないんですけど、絶対いってる…。あの時のウイの空気が経験したことのないオーラだったから……。
【ダンス】
冷静に思い返してみれば、ダンサーさんは女性3人だけだったのに、もっといる感じがしました。
もちろんウイをはじめそれぞれが自由に動いたりしてるんですけど、3人であの画の華やかさを出せるの凄いな…。
3人がいるのといないのとではあの舞台の明るさが全然違うなと。
ヒトラー独裁政権の下で徐々に経済復興していき景気が回復してくるとベルリンの街は活気づき、キャバレーで毎夜華やかなショーが行われていた、という写真を見たことがあるので、なんだかそれを思い出しました。
音楽が鳴っていない時も舞台上にいる時がありましたが、それに法則性があるのかどうか気になります。単純に次に踊るシーンのためにいるのかどうなのか。
【音楽】
オーサカ=モノレールさんの生演奏という最高の環境。
予想以上に音がダイレクトにこちらに届いて驚きました。
度々ウイやローマがバンドの皆さんのところで座ったりしていましたが、どういう関係性なのか気になります(笑)
ただウイが休むのではなく、バンドの皆さんと絡んだりしてませんでした…?
生バンドの迫力最高でしたね。
中田さんの歌声もとても力強くて……!
ヒトラーが誕生してしまう背景としてやはり第一次世界大戦、そして敗戦国となったドイツの情勢というものが大きいですよね。
ヒトラーはドイツが困窮している時に出てくるのであの時の国民にとってはヒーローの様な存在だったのは想像できます。
ドイツが苦しいときに登っていきますよね(経済が少し安定してきたりミュンヘン一揆に失敗して収監されても、世界恐慌で再び悲惨な状況になるとまた出てきたりしますし……)。
この時期のドイツについては語りきれないですね…。舞台を見る前に是非調べてみてください…(またか)。あと数公演なんですけど…。
でもどうなんでしょうか、あまり知らないで見る方が怖さがダイレクトに来そうだなぁとも思います。
個人的にはシャハトがモデルになった役がいなかったことは驚きでしたね。彼もヒトラー政権においてかなりの重要人物なので。
というか実は松尾さんの役のモデルはシャハトなんじゃないかなーと予想してました(小声)。予想外れて悔しい!
ドイツの視点だけでもアメリカ資本との関わりだったりカトリック教会とのあれこれだったりまだまだたくさんあるので…。
言い足りなさすぎてますが、首相になってからたった1年で様々なことをして完全に独裁体制をつくりあげた過程は正直すごいですよ(良いことではないが)。なぜその頭の回転の良さを他に活かせなかったのか。
舞台で客席にたまにいた八百屋たちが、最後は赤い服をきている。そしてウイに手をあげる。
これはもう既にいつの間にか私たちも赤い服を着ているということですよね…。
もしかしたらKAATの赤い座席に座った瞬間からなのかもしれないですね。
「熱狂する大衆のみが操縦可能である
実現の道具にするため私は民衆を熱狂させるのだ
アドルフ・ヒトラー」
うろ覚えで正確ではないかもしれないですが、最後にスクリーンに映し出されたこの言葉で、信じたくないけれどハッキリと「これは現実だ」と突きつけられた感覚。
ヒトラーの興隆をシカゴのギャングに「置き換えて」と言っていますけど、敬礼といいハーケンクロイツといい、遠くの場所で起きた自分たちとは関係のないフィクションにはしてくれない。度々直接的なことを含んでいるのが怖い。
最後のこのヒトラーの言葉で完璧に絶望に突き落とされて舞台が終わる。
初めはただの落ちぶれたギャングだったのに、いつの間にか抑えられないところにいるのが怖すぎる。
ヒトラーも首相になった時は「政権を運営した経験がない」ことから政界や財界の人間からコントロールできると思われていたみたいですが…。
あれ?いつの間に?だってさっきまでそんな……。と、止められないところまできてから後悔する。
オペラグラスは持っていないし、ウイの目はハッキリと見えない位置。でもそれで良かった。見えてたらもっと呑まれてた。
終わった直後、席を立ち上がったらくらっとして暫くふわふわしてました。途中のソファで休んでたらじわじわと涙が出てきて自分でもよく分からないんですけど、怖かったんですかね…。
何が1番怖いってフィクションだと言いきれないところですよね。いつの時代でもどこの国でも起こりうるんだぞという。
タイトルの「アルトゥロ・ウイの興隆」の「・」の部分はハーケンクロイツを意識したデザインなのかなぁとか色々考えちゃいますね。というかほぼ確実にそうだと思っていますが。
【叙事的演劇】
ブレヒトの劇は叙事的演劇だというのは調べてから行ったのですが、なるほど感情移入させるのではなく客観的に(この言い方はあってるのか…?)見せて考えさせるというのはこういうことかと。
私は感情移入しやすい人なのですが、今回1度も舞台上の役に感情移入しなかったことに終演後気づいて「えっ!?」と思いました。例えばドッグズバローが罠にはめられていくところなんかは普段だったら悲しくなるというか、やめてってなるはずなのに……。
これについてはパンフレットの最後の方の白井さん草彅さんの対談の中でなるほどという話がありました。
感情移入はさせないけれど、観客もあの舞台を作り上げる役割をもっている演出ですから決して他人事ではないんですよね。ここの境界って難しいはずなのに、見事にブレヒトや白井さんにやられました。
席に関しても、色んな方の感想を見ていると観劇する席によって見方が変わるみたいで面白いですね。
私は1階席だったので民衆役的な感じだったのですが、2階席や3階席だと舞台と民衆(1階席)という全体を客観的に観れるとか……。
1階席の「やってしまった」という後悔とショック、それも含めウイがトップになっていく過程を見る上の階…。
これ凄いですね……。
【※ただのオタクの感想】
髪を撫でつけるウイの色気やばい。
身体能力と体力やばすぎ。
なにもかもが圧倒的。
ローマの霊に怯えるところで、ソファの後ろからソファの前に転がるところの綺麗さ(伝われ)。
あと雨がっぱまで赤色なのちょっと笑ってしまったw
舞台セットの後ろの部分の鉄骨的なところで踊ってた時(語彙力がない)が好き。
なんか、本人がぽわぽわな人で良かった…あれだけのことを出来るのを見ると悪い人に利用されたら本当にやばいなっていうか。能力やば…。
いつも思うけど演技とかじゃなくて役本人だから……。
いや怖……。
パンフレットのウイもどの写真もやばいけど、キャストを紹介していくやつのウイがカリスマ性しかなくてゾッとした。
その下のインタビューでKAATの魅力は?という質問に対する答えのラスト3行めちゃくちゃ好き。
感動とか尊敬とか色々通り越して畏怖の念。
ウイに関しては表現力豊かな皆さんの感想が素晴らしいのであまり言いません。言わないというか正直どう表現すればいいのかよく分かりません。
人間の扱う言葉では的確に表現できない。
草彅剛まじで何者なの…???
つかこうへいさんがおっしゃっていた、腹の中に魔物を飼っている、ってやつは本当だったんですね。
ただ「すごい!」「かっこいい!」だけで終わらせてはいけないな、とも。観劇した方の感じ方を強制するつもりは微塵もないのですが、改めてきちんと考えなければいけないと思うことがたくさんありました。
私は草彅さんの演技で彼のファンになったので今回舞台に申し込んだのですが、私以外にも草彅さんのファンという入り口で見に来た方はたくさんいると思います。
そんな私たちは、主演が草彅剛だから熱狂したのか?手を挙げて、かっこいいと思ったのか?本当の彼は独裁者ではないと知っているから?
もしまたヒトラーのような人間が生活が困窮する時代に現れた時に、私たちは手をあげない自信があるのか?
あの時代のドイツ市民にとってヒトラーは救世主でヒーローのような存在だったという認識が間違っていないのだとしたら、当時の民衆と似たような感情で見てしまっているわけで(少なくとも私は)…。
ウイかっこいい、で終わらせたらそれこそ思うつぼなんじゃないかって思ってしまう。あの魅力に反抗できなければまた同じことが起きる…。
でもめちゃくちゃかっこいいんだよな…ずっと見てしまうんだよな……。
「大丈夫だよ、つよぽんだからかっこいいって思ったんだよ!」とか油断してると、いつか魅力的な(負の)リーダーに手をあげる民衆の1人になってしまいそうで怖い。
草彅剛が魅力的であればあるほど怖い。
そういう意味でキャスティングが神がかってる。影響力があってアイドルで格好良くて人を惹き付けてやまない天才役者の草彅剛が主演のアルトゥロ・ウイ役だからこそ、この舞台が最後にあんなにも怖くなるのだと思いました。
最後に。3公演が中止になり見れなかった方々がいることを絶対に忘れず、見ることが出来るありがたさを感じながら観劇させて頂きました。
中止だけでなく、遠かったり経済的状況や家庭の事情などで来れない方、チケットが当選しなかった方もいますからね……。
ありがたいです。本当に。
白井さんキャストの皆さんスタッフの皆さん、素晴らしかったです。この舞台を公演して頂いたことに感謝しかないです。
そしてブレヒトがどんな思いで第二次世界大戦中にこの脚本を書いたのかと想像するとそれだけで胸が痛いです。
もう一度見たい、もっとよく理解したいと思わせてくれる舞台でしたが、その気持ち以上に1人でも多くの方に見てもらいたいというのが大きいです。
余裕があってまだ見てない人は当日券チャレンジしてみて……。ほんと見て…。
これを今の日本でやったという。
1人でも多くの人に見て考えて欲しいし、何回も見て新たな発見を探したいし、とにかくDVDにして欲しい。
これ、後世にものこすべきメッセージ性のある舞台ですよね。
……シンプルにもう1回見たい!!!ので!!!DVDを!!!下さい!!!(本心)
見たいよ!!!もっと考察したいよー!!!
後の世に残して欲しいお願いします……。
冒頭にも言いましたが、舞台の内容も史実も記憶に頼って思い出しながら書いているので、間違っているところがありましたら教えていただけると幸いです。
1回目と2回目で感じ方とか見方が大分変わりそうなのでもう1回見たい……DVD………。
千秋楽まであと少し。
皆さんどうか無事に駆け抜けて下さい、応援しています!
!!!ネタバレ注意!!!
・これは舞台「アルトゥロ・ウイの興隆」を観劇して気になったことのメモです。
・最初で最後、1度きりの観劇であるため、見落としているところや忘れてしまったところなどがあることを先にことわっておきます。
・勢いで書いてますし拙い文章であるため分かりづらいところがあるかもしれません。
・完全にメモ
・舞台でのストーリーとそれに対応する史実を消化しようとするも上手くいかず、めちゃくちゃ。
・覚えている史実を混ぜ込んでますが、間違っていたら教えて下さい!
・個人的感想です。「個人的に」思ったことです!
上記のように、一度しか見ていないので流れに沿った感想ではないです。個人的に気になったところや考察を舞台上での順番はあまり関係なしに書いていきます。
また、自分用のメモ的な要素が強いのでこの舞台がどういうものなのかなどは割愛しています。すみません。
全体的に支離滅裂でごめんなさい。
!!!ネタバレ注意です!!!
【演説】
ヒトラーの大きな特徴としてやはり演説能力というものがあると思うのですが、舞台におけるジェームス・ブラウンの歌がその演説を表していると私は解釈しました。
かっこいいし、惹き付けられてずっと見てしまうし、ノリノリになっちゃうし、終わったら拍手喝采。あの当時のヒトラーの演説への反応と似てる気がして……。
何度もライブがあるところも、ずっと観客(民衆)をのらせて「すごいな!」って思わせ続けてるところも、事ある毎に演説をしてきたヒトラーと被って見えました。
でもただ歌うだけじゃダメで、惹き付けないと「たまにライブを挟む舞台」で終わってしまうから、アルトゥロ・ウイが憑依した草彅剛にまんまとやられたって感じですね。
なにあの声、聞いたことないんですけど……。
演技で喋り方とか声を変えたり(声優さんとかもろにそうですよね)はありますけど、そういう次元じゃなくないですか?根本的にアルトゥロ・ウイの歌声でしたよね。演技という範疇を越える憑依が怖い。
え、ホントにどうやってんの…?声帯どうなってるの……???
【ジヴォラ(ゲッペルス)について】
劇場につき震える手でチケットを係の方に渡した後頂いたのは舞台における配役表。
始まるまでそれをじっくり読んで頭の中の史実と対応する役者さんを一致させていると、なんと渡部豪太さん演じるジヴォラのモデルはゲッペルス!!!
ゲッペルスについてある程度調べたことのある私は密かに「ゲッペルスが元になっている役があるといいなぁ」と思っていたので嬉しかった。しかも渡部豪太さんがやってくれたら似合うよなぁとも思っていたので、理想オブ理想で驚いてしまった。
さらに驚いたのは、渡部さんが出てきた時に足を引きづって歩き始めたこと。
これはモデルになったゲッペルスの大きな特徴で、実際にゲッペルスは幼少期の麻痺のため足の長さが左右で違う。そこ本人に忠実なんだ!と感動した。
これが脚本によるものなのか演出によるものなのかは分からないのでなんとも言えないのですが、ナチスから嫌われていた原作者・ブレヒトが嫌味でそう描いてもおかしくないなと。
ゲッペルスはヒトラー政権の宣伝大臣です。
ヒトラー1人であそこまで登り詰めたのではなく、ヒトラーの周りに有能な人々も(有能とは言いたくないですが)いたからあそこまでになったわけで、ゲッペルスもそのうちの1人だと思っています。宣伝の天才であるゲッペルスによる各所でのはたらきは大きい。
ゲッペルスの人生について書くのは流石に長くなりすぎるので割愛しますが、幼少期の足の麻痺だったり、その後の人生において彼がユダヤ人を嫌悪するようになってしまった経緯だったりと様々ないきさつがありヒトラーの下にいるので、調べてみるとまた見方が変わるのではないかなと思います。
特にヒトラーとの関わりは是非調べてみることをオススメします。
今回の舞台ではオーストリア併合までの史実を元にしているため第二次世界大戦については描かれていませんが、第二次世界大戦の終盤に(ヒトラーが衰退していった時ですね)、ヒトラーが大衆の前に姿を現さなくなってもゲッペルスは壇上にあがり続けドイツを鼓舞していたり。
ヒトラーの遺書にゲッペルスを首相に、と書いてあるもゲッペルスはそれを拒否したり……(「生を総統の傍らで終える」という気持ちから)。
舞台中のジヴォラ(ゲッペルス)で印象的なのは松尾さん演じるローマ含め彼らを銃で撃ち殺すところ。そこが1番派手ですよね(そのくだりでローマに「俺の足が短いって言ったなぁ?」と言ってローマの足を撃つところは彼のコンプレックスがしっかり表現されていて良かった)。
先程も言ったように彼は宣伝大臣であるのですが、そこはあまり設定に入れられていなかったのかな、と感じました。
でも最後のあたりで那須佐代子さん演じるダルフィート夫人がマイクでしゃべる(しゃべらされる)シーンで隣にいたジヴォラもマイクで途中少し話したのは宣伝大臣という要素を意識したように感じました。
全体的にヒトラーに対する信頼(これも色々あるので調べてみてください)というものが、ジヴォラのウイに対する態度で表されていてテンション上がりました。
ゲッペルスは最後までヒトラーの傍(ヒトラー側)にいたので、舞台でのローマを殺したあの銃撃戦をウイと共謀したことや、ウイがジヴォラに任せて帰っていったことなどはとても納得しました。
ただブレヒトが元の脚本を書いた時は第二次世界大戦は終わっていないと思うので、どこまで史実を意識したのかは分かりませんが。
他の役と違ってゲッペルスの衣装の赤は「暗い赤」でしたが、それにも意味があるように思えてならないです。
ごめんなさい、ゲッペルスについて語りたいとか言っておきながらめちゃくちゃ割愛してて何も分からないですよね。
でも本当に是非ともヒトラーとの関わりは調べて頂きたいんです……!!
私がたまたまゲッペルスについて若干知っていたように、松尾さん演じるローマのモデル、エルンスト・レームのことも知っていたらより楽しめたなぁと思いました。
観劇した後に調べたくなる部分もたくさんあってそこも楽しいです。
【冒頭の時期】
最初あたり、カリフラワー・トラストの行動うんぬんでシカゴは不況なんだな、というのは分かりました。
第一次世界大戦で敗戦国となり、色々あってどん底の不況になったドイツ、という時期なのか、世界恐慌の影響でせっかく回復しかけた景気がまたどん底になってしまった時期なのか。おそらく後者かな、と。
舞台始まりくらいのウイはそれほど力のないギャングっぽかったですが、それ以前はもっと力があった?みたいなことを言っていた?気がするので(あやふや)、もしそうだったら世界恐慌あたりの時期の不況を反映している状況なのかなと思いました。
【ドッグズバロー】
古谷さん演じるドッグズバローはヒンデンブルク大統領ですね。
劇中でもウイを拒んでいたように、ヒンデンブルク大統領はヒトラーの首相任命を拒否しています(つまり、そもそもこの時点で史実の方ではナチス党が総選挙で第一党になっているということですね)。
ヒトラーの首相任命が拒否されてから次の選挙ではナチスは大幅に議席が減り、共産党が議席を伸ばしました。
ただこの事態は政府にとっては嫌なことで、端的に言って共産主義になることが怖いんです。
なので政界や財界の人間がヒトラーを首相にするようにヒンデンブルク大統領にお願いしたという一面もあり、ヒトラーはついに首相になりました。
また、ドイツでは大統領と首相がいますが、ヒンデンブルク大統領が亡くなってからヒトラーは大統領の権限ももったので、大統領+首相で「総統」となりました。
何が言いたいかというと、ウイがドッグズバローを丸め込んだくだりはかなり大きいというか、史実から言えばもう実質トップですよね。
唯一ウイを止められる人がいなくなってしまった……。
【国会議事堂放火事件】
舞台では倉庫放火事件として描かれているこの事件の元ネタはスクリーンにも表示されましたが、国会議事堂放火事件のこと。1933年2月27日にドイツの国会議事堂が炎上した事件のことです。
ヒトラーはこれを共産主義者によるものと勝手に決めつけ、大統領緊急令を行使して逮捕・拘束しています。放火の真相は分からないのですが、上手く利用しましたよね…。
ヒトラーが首相になったのは1933年1月なのでその1ヶ月後という。はやすぎ。
ナチス党のライバルはこの時ほぼ共産党のみという感じでしたから、この事件以降敵なし状態ですよ……。
史実のヒトラーは、上記の通り国会議事堂放火事件の際にヒトラーが建議しヒンデンブルク大統領が大統領緊急令を布告しています。この大統領緊急令によって他政党の抵抗力をねじ伏せたり、正直これだけで独裁政治は可能なんじゃないかと思うんですけれども、ヒトラーの嫌なところはこの後全権委任法を国会で成立させるところですね。
ざっくり言って、(形だけだとしても)民主主義のもとに国会で独裁政権を認めたことになってるんですよね。全権委任法はあらゆる立法を国会の採決なしで内閣が制定できる、というものですから。
この全権委任法が成立すると4ヶ月後にはナチス以外の政党が禁止されました。
つまり放火事件による大統領緊急令から中央集権化も進み、実質ワイマール共和制の崩壊。
この放火事件はかなり大きい出来事なのでそこの部分もう1回見たいな……。
ここから独裁が本格的に始まる。
この倉庫放火事件(国会議事堂放火事件)の後のウイに注目したかった。あまり覚えてないこのポンコツ脳……。
【ナチス式敬礼】
正直あの敬礼(手を前に差し出すポーズ)は本当に嫌です。冗談でも見たくない。だからこそあえてこのポーズを変えずにそのままやったのだとも思います。
このポーズに関しては置き換えずそのままだったことでフィクションとノンフィクションが揺らぐ。
舞台の目的とか伝えたいこととかを考えると分かるんですけど、この敬礼を見ると一気にあのナチスがしたことを思い出して嫌悪が止まらなかったし怖かった。
舞台上の演出にのっかった(乗らざるを得ない)のはもちろん理解していますが、観客もあのポーズで手を挙げだしたのが1番怖かった。この画、あの頃のドイツと同じじゃないですか…。
ヨーロッパで公演したら演出だとしても観客はあの敬礼をとらないんじゃないでしょうか。
この舞台はヒトラーの興隆をシカゴのギャングに置き換えているもの、のはずなのにあの敬礼を見た瞬間に「現実」が襲ってきて怖かった。
でも、私たちが手を挙げることを要求された場面ではもう手遅れなんですよね。手をあげない、反抗する、なんていう選択権は既に民衆にはないんですから…。
【ダルフィート(ドルフース)】
オーストリア宰相のドルフースをモデルにしたダルフィート。
彼はウイたちによって殺害される(ウイは否定していますがおそらくそうでしょう)。
この流れも史実と同じですね。
ただオーストリア市民はナチスのオーストリア併合を喜んでヒトラーを受け入れています。
ここで気になったのがウイの左腕です。最後のあたりでウイの左上腕に黒いものが巻かれていることに気づきました。おそらくこれは第1幕ではなかったですよね?
紋章などはなくただ黒いもので、ハーケンクロイツが描かれているわけでもないので何かな?と気になっていたら喪章というものを知りました(無知ですみません)。
もしかしたらウイが最後に巻いていたのは喪章なのではないかと。
いつから巻いていたのか分からないのですが、もしダルフィートが亡くなって以降の場面から巻いていたのだとすれば、それはウイがダルフィートの喪に服していることを表しているのではと思いました。ただこれは形だけで、本心から悼む気持ちはないでしょう。
史実的にもヒトラーはドルフースの訃報を喜ぶもイタリアの首相ムッソリーニの顔色を気にして(この言い方があってるのかは自信ないです)、喪に服すフリをしてるので、もしも喪章だという解釈が正しければ史実のオマージュということになるなと思いました。
稽古が始まる前に撮った写真やパンフレットに載っている写真でも巻いていますね…。
【ラスト】
ギラッギラの衣装で登場したウイが歌い出し、徐々に大きくなっていく声量でメロディーにのせてアメリカの地名を言っていく……。
最後に「ニューヨーーーーーーク!!!」と叫ぶところかっこよすぎ……。
その後スクリーンに映し出された国々。1番最初にポーランドとあり最後の方にフランスと書いてあった気がしました。これはドイツが侵攻した国を順番に表しているのかなぁと思うのですが…(ポーランド侵攻による第二次世界大戦の開戦から?)。
でもフランス侵攻の後も侵攻された国はあるし、完全に順番ではないのか…?
いずれにしろポーランドを1番はじめにしたのはやっぱりそういうことなのでは、と。
ウイが地名を叫んでいくのは、ドイツが国々を侵攻していったことを表していると気づいた瞬間の「あれ…?ま、まって……」という感じが……。
もう止められないことに気づく。
そして背景にうっすらと浮かび上がる大きなハーケンクロイツ。
「うっすらと」なのが逆に怖くてゾッとしました。
あの瞬間の怖さはほんとダメ。
あれを見た瞬間の「独裁者が生まれてしまった」という絶望と後悔。
度々客席の間に立っていたりした八百屋のみんなが、最後には赤い服を着て客席の間に立ちあの腕を伸ばすポーズをとっているのも怖かった。彼らは私たち自身でもあると感じた。
この場合はハイル・ヒトラーならぬ「ハイル・ウイ(ウイ万歳)」なんでしょうね……。嫌だ…。
最後、音楽が鳴り続ける中、1人だけ微動だにせず上を見つめるウイが怖かった。
私の方が舞台から高い位置にいたのに、ウイは上を見上げているのに、こちらがウイに見下ろされている感覚。
あの時の目を見た人大丈夫ですかね……。私は距離的に見てないんですけど、絶対いってる…。あの時のウイの空気が経験したことのないオーラだったから……。
【ダンス】
冷静に思い返してみれば、ダンサーさんは女性3人だけだったのに、もっといる感じがしました。
もちろんウイをはじめそれぞれが自由に動いたりしてるんですけど、3人であの画の華やかさを出せるの凄いな…。
3人がいるのといないのとではあの舞台の明るさが全然違うなと。
ヒトラー独裁政権の下で徐々に経済復興していき景気が回復してくるとベルリンの街は活気づき、キャバレーで毎夜華やかなショーが行われていた、という写真を見たことがあるので、なんだかそれを思い出しました。
音楽が鳴っていない時も舞台上にいる時がありましたが、それに法則性があるのかどうか気になります。単純に次に踊るシーンのためにいるのかどうなのか。
【音楽】
オーサカ=モノレールさんの生演奏という最高の環境。
予想以上に音がダイレクトにこちらに届いて驚きました。
度々ウイやローマがバンドの皆さんのところで座ったりしていましたが、どういう関係性なのか気になります(笑)
ただウイが休むのではなく、バンドの皆さんと絡んだりしてませんでした…?
生バンドの迫力最高でしたね。
中田さんの歌声もとても力強くて……!
ヒトラーが誕生してしまう背景としてやはり第一次世界大戦、そして敗戦国となったドイツの情勢というものが大きいですよね。
ヒトラーはドイツが困窮している時に出てくるのであの時の国民にとってはヒーローの様な存在だったのは想像できます。
ドイツが苦しいときに登っていきますよね(経済が少し安定してきたりミュンヘン一揆に失敗して収監されても、世界恐慌で再び悲惨な状況になるとまた出てきたりしますし……)。
この時期のドイツについては語りきれないですね…。舞台を見る前に是非調べてみてください…(またか)。あと数公演なんですけど…。
でもどうなんでしょうか、あまり知らないで見る方が怖さがダイレクトに来そうだなぁとも思います。
個人的にはシャハトがモデルになった役がいなかったことは驚きでしたね。彼もヒトラー政権においてかなりの重要人物なので。
というか実は松尾さんの役のモデルはシャハトなんじゃないかなーと予想してました(小声)。予想外れて悔しい!
ドイツの視点だけでもアメリカ資本との関わりだったりカトリック教会とのあれこれだったりまだまだたくさんあるので…。
言い足りなさすぎてますが、首相になってからたった1年で様々なことをして完全に独裁体制をつくりあげた過程は正直すごいですよ(良いことではないが)。なぜその頭の回転の良さを他に活かせなかったのか。
舞台で客席にたまにいた八百屋たちが、最後は赤い服をきている。そしてウイに手をあげる。
これはもう既にいつの間にか私たちも赤い服を着ているということですよね…。
もしかしたらKAATの赤い座席に座った瞬間からなのかもしれないですね。
「熱狂する大衆のみが操縦可能である
実現の道具にするため私は民衆を熱狂させるのだ
アドルフ・ヒトラー」
うろ覚えで正確ではないかもしれないですが、最後にスクリーンに映し出されたこの言葉で、信じたくないけれどハッキリと「これは現実だ」と突きつけられた感覚。
ヒトラーの興隆をシカゴのギャングに「置き換えて」と言っていますけど、敬礼といいハーケンクロイツといい、遠くの場所で起きた自分たちとは関係のないフィクションにはしてくれない。度々直接的なことを含んでいるのが怖い。
最後のこのヒトラーの言葉で完璧に絶望に突き落とされて舞台が終わる。
初めはただの落ちぶれたギャングだったのに、いつの間にか抑えられないところにいるのが怖すぎる。
ヒトラーも首相になった時は「政権を運営した経験がない」ことから政界や財界の人間からコントロールできると思われていたみたいですが…。
あれ?いつの間に?だってさっきまでそんな……。と、止められないところまできてから後悔する。
オペラグラスは持っていないし、ウイの目はハッキリと見えない位置。でもそれで良かった。見えてたらもっと呑まれてた。
終わった直後、席を立ち上がったらくらっとして暫くふわふわしてました。途中のソファで休んでたらじわじわと涙が出てきて自分でもよく分からないんですけど、怖かったんですかね…。
何が1番怖いってフィクションだと言いきれないところですよね。いつの時代でもどこの国でも起こりうるんだぞという。
タイトルの「アルトゥロ・ウイの興隆」の「・」の部分はハーケンクロイツを意識したデザインなのかなぁとか色々考えちゃいますね。というかほぼ確実にそうだと思っていますが。
【叙事的演劇】
ブレヒトの劇は叙事的演劇だというのは調べてから行ったのですが、なるほど感情移入させるのではなく客観的に(この言い方はあってるのか…?)見せて考えさせるというのはこういうことかと。
私は感情移入しやすい人なのですが、今回1度も舞台上の役に感情移入しなかったことに終演後気づいて「えっ!?」と思いました。例えばドッグズバローが罠にはめられていくところなんかは普段だったら悲しくなるというか、やめてってなるはずなのに……。
これについてはパンフレットの最後の方の白井さん草彅さんの対談の中でなるほどという話がありました。
感情移入はさせないけれど、観客もあの舞台を作り上げる役割をもっている演出ですから決して他人事ではないんですよね。ここの境界って難しいはずなのに、見事にブレヒトや白井さんにやられました。
席に関しても、色んな方の感想を見ていると観劇する席によって見方が変わるみたいで面白いですね。
私は1階席だったので民衆役的な感じだったのですが、2階席や3階席だと舞台と民衆(1階席)という全体を客観的に観れるとか……。
1階席の「やってしまった」という後悔とショック、それも含めウイがトップになっていく過程を見る上の階…。
これ凄いですね……。
【※ただのオタクの感想】
髪を撫でつけるウイの色気やばい。
身体能力と体力やばすぎ。
なにもかもが圧倒的。
ローマの霊に怯えるところで、ソファの後ろからソファの前に転がるところの綺麗さ(伝われ)。
あと雨がっぱまで赤色なのちょっと笑ってしまったw
舞台セットの後ろの部分の鉄骨的なところで踊ってた時(語彙力がない)が好き。
なんか、本人がぽわぽわな人で良かった…あれだけのことを出来るのを見ると悪い人に利用されたら本当にやばいなっていうか。能力やば…。
いつも思うけど演技とかじゃなくて役本人だから……。
いや怖……。
パンフレットのウイもどの写真もやばいけど、キャストを紹介していくやつのウイがカリスマ性しかなくてゾッとした。
その下のインタビューでKAATの魅力は?という質問に対する答えのラスト3行めちゃくちゃ好き。
感動とか尊敬とか色々通り越して畏怖の念。
ウイに関しては表現力豊かな皆さんの感想が素晴らしいのであまり言いません。言わないというか正直どう表現すればいいのかよく分かりません。
人間の扱う言葉では的確に表現できない。
草彅剛まじで何者なの…???
つかこうへいさんがおっしゃっていた、腹の中に魔物を飼っている、ってやつは本当だったんですね。
ただ「すごい!」「かっこいい!」だけで終わらせてはいけないな、とも。観劇した方の感じ方を強制するつもりは微塵もないのですが、改めてきちんと考えなければいけないと思うことがたくさんありました。
私は草彅さんの演技で彼のファンになったので今回舞台に申し込んだのですが、私以外にも草彅さんのファンという入り口で見に来た方はたくさんいると思います。
そんな私たちは、主演が草彅剛だから熱狂したのか?手を挙げて、かっこいいと思ったのか?本当の彼は独裁者ではないと知っているから?
もしまたヒトラーのような人間が生活が困窮する時代に現れた時に、私たちは手をあげない自信があるのか?
あの時代のドイツ市民にとってヒトラーは救世主でヒーローのような存在だったという認識が間違っていないのだとしたら、当時の民衆と似たような感情で見てしまっているわけで(少なくとも私は)…。
ウイかっこいい、で終わらせたらそれこそ思うつぼなんじゃないかって思ってしまう。あの魅力に反抗できなければまた同じことが起きる…。
でもめちゃくちゃかっこいいんだよな…ずっと見てしまうんだよな……。
「大丈夫だよ、つよぽんだからかっこいいって思ったんだよ!」とか油断してると、いつか魅力的な(負の)リーダーに手をあげる民衆の1人になってしまいそうで怖い。
草彅剛が魅力的であればあるほど怖い。
そういう意味でキャスティングが神がかってる。影響力があってアイドルで格好良くて人を惹き付けてやまない天才役者の草彅剛が主演のアルトゥロ・ウイ役だからこそ、この舞台が最後にあんなにも怖くなるのだと思いました。
最後に。3公演が中止になり見れなかった方々がいることを絶対に忘れず、見ることが出来るありがたさを感じながら観劇させて頂きました。
中止だけでなく、遠かったり経済的状況や家庭の事情などで来れない方、チケットが当選しなかった方もいますからね……。
ありがたいです。本当に。
白井さんキャストの皆さんスタッフの皆さん、素晴らしかったです。この舞台を公演して頂いたことに感謝しかないです。
そしてブレヒトがどんな思いで第二次世界大戦中にこの脚本を書いたのかと想像するとそれだけで胸が痛いです。
もう一度見たい、もっとよく理解したいと思わせてくれる舞台でしたが、その気持ち以上に1人でも多くの方に見てもらいたいというのが大きいです。
余裕があってまだ見てない人は当日券チャレンジしてみて……。ほんと見て…。
これを今の日本でやったという。
1人でも多くの人に見て考えて欲しいし、何回も見て新たな発見を探したいし、とにかくDVDにして欲しい。
これ、後世にものこすべきメッセージ性のある舞台ですよね。
……シンプルにもう1回見たい!!!ので!!!DVDを!!!下さい!!!(本心)
見たいよ!!!もっと考察したいよー!!!
後の世に残して欲しいお願いします……。
冒頭にも言いましたが、舞台の内容も史実も記憶に頼って思い出しながら書いているので、間違っているところがありましたら教えていただけると幸いです。
1回目と2回目で感じ方とか見方が大分変わりそうなのでもう1回見たい……DVD………。
千秋楽まであと少し。
皆さんどうか無事に駆け抜けて下さい、応援しています!
