いつも、誰かや何かの”目”を気にしていた。
自分のことを否定して、誰かや何かの正解になろうとしていた。
いつも、人の顔色を伺って、
誰かから何か思われるのでは?
誰かから何か言われるのでは?
誰かから嫌われるのでは?
女なら
大人なら
社会人なら
母なら
こうあってはいけない
こうあるべき
あるべき姿を
いつも、いつも
他人やら世間やら常識やら
外側に求めていた。
正解を教えてください。
助けてください。
私はどうしたらいいのでしょうか。
私は、どうしたら嫌われないでしょうか。
愛されたい。
愛されたい。
どうしたら、愛してくれますか?
教えてください。
そうなれるようにがんばります。
けど、がんばっても無理だった。
他人の数ほど正解がある。
世界の数ほど答えがある。
どれに合わせても、どこかが間違う。
果てしない答え合わせ。正解のない問い。
すべての人の答えに、全ての世界の答えに、
合わせるなんて
出来なかった。
誰かに会うたびに、何処かへ行くたびに
その人のその世界の正解を求めて
自分を変えた。
愛されるために。
そして愛された。
だけど
その私は本当の私ではない。
だから
私は隠した。
本当の自分を隠した。
守るために。
隠して隠して隠して
演じて演じて演じて
嘘をついて愛された。
いつしか
私は、本当の自分を見失った。
本当の自分がわからなくなった。
私は死んだ。
死んだことに気づいたのは
ラッキーだった。
本当の私を隠し、
本当の私を見失ったまま、
生きていくのは
死んだも同然。
もう嫌だ。
もうやめる。
もういい加減十分味わった。
苦しく、辛く、怖くて、いつもビクビク
怯えて、人からマル付けてもらわないと死ぬと思ってきた。
他人から、世界から、認められないと
生きていけないと思っていた。
もう、十分。こんな気持ちは、お腹いっぱい。
ごちそうさまでした。
もう、誰にどう思われたっていい。
嫌われたっていい。愛されなくたっていい。
私は、私がやりたいようにやる。
私が、私を愛する。
私が、私にマルつける。
私は、私を生きていく。
そう。私は、自由だ。