入院生活三日目です。

やはり人間の回復力はすごいもので、なんとか自力で起き上がり、一人でトイレに行けるようになりました。部屋の中ならゆっくりうろつけます。前かがみで髪を振り乱し徘徊する姿は貞子の再来のようでした、我ながら。

貞子母のもとに、やーやがやって来ました。同室スタートです。やっと傍で眠れます。やったー!

待ちに待った御飯もスタート。お粥からでしたが、なんとも美味しかったです。それに私の産院は、御飯が美味しいという噂だったのです。さあ、あと一週間で見せてもらおうじゃないか。存分に。

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ところが。

なんか、頭が痛い。吐き気も始まりました。食事どころではありません。立っていることもままならず、息をするのがやっとです。

横になると、それが嘘のようにひいていきます。ある一定のラインまで頭を持ち上げると、側頭部をガンガン殴られたように痛み吐き気がします。な、なんだこれは。出産による新たな病!?

看護婦さんによると、麻酔の副作用ではないかとのこと。あらわれかたは人それぞれで、熱が出る人もいるそうです。

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というわけで、予想だにしなかった麻酔の副作用という強敵に惨敗しつつ、やーやとの同室入院生活がスタートしました。

出来る限りのことはしましたが、どうしても出来ないときは看護婦さんにお願いしました。でないと、私のからだがもちません。

早く治るといいなー、とそればかり切実に祈っていましたが、実際頭痛が完全にひいたのは退院した日でした。おそるべし、麻酔よ。しかも高いしね。
やーやの誕生日だった7月7日土曜日、パパのおじいちゃんち→パパの実家→私の実家、と移動続きでちょっと疲れました。でも行く先々で祝福してもらい、嬉しかったです。よかったね、やーや。幸せだなぁ。

やーやの誕生日の様子はまた後日に改めて。ということで、続きです。

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さて、入院二日目です。この日から歩かされます。まだ腹にでけー穴開いてるんですけど~。辛うじて金具で止まってるだけなんですけど~。「フッ!」と力んで、金具が全部外れるとか、そんなことないのかしら。

そう。私のお腹は、糸じゃなく金具で止められていたのです。そのほうが痕がつかないとか。確かに手術中、バチンバチン聞こえた気がします。ホッチキスですね。

それにしても人間の回復力はすごいもので、痛いことは痛いですが、夜よりは大分マシになりました。でも首を上げたり笑ったり、腹筋を使う動きは厳しいものがありました。

この頃最も恐れていたのは「クシャミ」です。頭の隅では常にクシャミへの恐怖に支配されていました。

ちょうどこの二日目でしょうか。クシャミが出たのは。止められないものですね、クシャミというものは。車と同じレベルで止まらない上に、同じレベルで危険なものであると体感しました。

痛いのなんのって。しばらく痛みに苦しみます。のたうちまわります。七転八倒です。これは確かにハクション「大魔王」だな、とちらりと考えました。

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やーやもやって来ました。前々回、入院二日目から同室になると書いたのは勘違いでした。自分で体を起こせないのに、やーやのお世話なんてできないよね~。でも誰かが病室にいる時は、いつも一緒にいましたよ。なかなか離れがたく、普通分娩の人は初日からお世話しているのに、と思うと、情けなくもありました。

産まれたばかりのやーや。狭い産道を通らなかったので、顔は腫れておらず頭も整った形をしていました。初めてやーやを見たきゃるは、ものすごくびっくりしていたっけ。

彼は私が産まれてから初めて対面した時、「俺の子供じゃない」と言ったそうです。何でも、顔は真っ赤に腫れてわけわかんないし、頭が異常に長くて尖んがっていたんだそうです。普通分娩の赤ちゃんは見たことがないから、わからないわ。

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そして、尿意がやってきました。ベッドをハンドルで背もたれ状にしてもらい、起き上がるのですが、痛いし怖いしで大変でした。やっと起き上がると、立って歩かなければなりません。

生まれたての小鹿みたいなものです。点滴を持ち運びながら少しずつ少しずつ進みます。あんよは上手~。

やっとの思いで終わらせ、また戻らなければなりません。こんなんで普通に歩けるようになるのかな、やーやのお世話できるのかな、と不安を感じたのでした。