家族の「自死」を他人に言うか、言わないか・・・
とてもセンシティブなことだ
心の片隅にモヤモヤと考えていたことでもある。
日本の年間の自殺者数は令和4年度21881人。
ちなみに交通事故死は2610人。
交通事故で亡くなる人より、自死により亡くなる人のほうが約10倍多いということになる。
一年間で約2万人以上の方が自死をされるということは、自死遺族はその二倍も三倍も発生しているということになる。
現に、X(Twitter)上でも「#自死遺族」はほんとうにたくさん出てくる。
私のアカウントもあっという間にフォロワーが増えた。
世の中、こんなにたくさん自死遺族がいらっしゃるんだなと感じた。
でも、実際の暮らしの上ではどうだろう
「私の家族、自死なんだよね」とか聞いたことってほとんどないのでは?
また聞きで「自死らしいよ・・・」とか「友達の友達がね」とか・・・
そんな程度では?
ほんとはもっと身近にいそうだけどね
自殺といえば、昔から遺族は隠す・・・という考えが多いのかな。
そういう私は、「自死でした」と言うときが6割で「病気でした」と言うときが「4割」かなと思う。
自分の気分で使い分けているのではなく、相手との関係性や話の目的や流れを鑑みている。
この人に「自死」という必要もないと思うときは「病気」と言う。
なにを目的に話をしているのか?自死と伝えることでどんな影響があるのか?を考えた時は「自死」と言う。
病気というのもあながち嘘でもない。実際に心の病だったわけなので・・・
だから、どっちも本当だと私は思っている。
癌という病気と闘い、最終的には臓器不全で絶命・・・・と同じで、心の病と闘い最終的には薬物中毒で絶命というのとなんの変りもない。
私は、自死を隠すつもりもないと考える派である。
もちろん知られたくない派の方々もいるだろう。
それはそれでいいと思う。
もしかしたら、こっち派のほうが多いかも。
結論から言えば、どっちでもいいってことだ。
何が言いたいか?と言うと。
隠さない派のことを「なんで言うの?(言えるの?)」と不思議そうに思わないでほしいということだ。
娘は、懸命に生きた。
頑張って生きた。
それでも「もう頑張れない」そう書き残して死んだ。
私も、必死に支えた。(つもり)
これ以上なにをしてやればよかったのかわからないくらい頑張った。(つもり)
なにも恥ずべきことなんてない。(と思っている)
心を病むことは、弱いことでも恥ずかしいことでもないんだ。
隠さないといけないことなんて何もしていない。
そう思うから、「隠さない派」です。