シルバーウィークと呼ばれる三連休だった。


おかげさまで、友人のおかげで寂しくない連休を過ごせた。

三連休のうち二日は、MASH関連🎵カラオケ

<日曜日→今池まつりで野外ステージ>

9月だというのにあっつい日で💦

汗だくになりながら、缶ビールを手にライブ

いつものように最前列で盛り上がった。

そのあとは居酒屋で追い酒生ビール

 

 

<月曜日→岐阜市柳ケ瀬のライブハウスants>

ライブの前に更科の冷やしたぬきを食べに行き、久しぶりの敷島珈琲でお茶をしてから会場に向かった。

ここでもまた

最前列に場所を陣取り、バンドセットの大音量の中、MASHのパワフルの中にも優しさを感じる歌声に聞き入った。

 

 

 

ライブのあとのMASHとの交流が楽しみでもあり、写真を撮ったり近況を話したり差し入れを渡したりする。

 

ライブで知り合った人と仲良くなったりして、話をするのも楽しい。

 

この年齢になって新しい出会いなんて貴重だ。ニコニコ

 

友人と過ごした連休、ほんとうに楽しかった。

 

 

 

でも・・・そのあと、落ちる↘

楽しければ楽しいほど「どうしてナナはここにいないの?」「いっしょに楽しみたかったよ」「なんで?」

という気持ちが脳裏に浮かんでくる。

「娘が死んだのに、こんなに楽しんでいいのか?」そんな罪悪感もある。

”楽しい”と”苦しい・悲しい”が行ったり来たりする

 

翌日は、気分が落ちて抑うつ状態のようになってしまう

身体が重くて、なにもしたくなくて、何を見ても涙が出る

昨日もそうなって、仕事の後に夕飯の買い物に出たがナナの事ばっかり考えてしまい家に着いてもしばらく車から出られなかった。ご飯を炊くのも億劫で買い物をしたものは結局食べないままだった。

 

買い物に行ったスーパーがよくなかったのかもしれない

そのスーパーは大型で立体駐車場があるのだが、娘がよく言っていたのだ。

「この駐車場から飛び降りる人、時々いるんだよね。私も何度もそうしようと思ったことある。怖くて結局できないんだけどさ」

 

そんな言葉を思い出し、この景色を見て娘はどんな気持ちでいたのかなと思うと胸が締め付けられてしまうんだ。

もし本当にここから飛んでいたらどうなっていたんだろう・・・とか。

考えが止まらなくなってしまった。

 

友達が言った

「あんたが楽しむことも供養のひとつだよ」

 

そうだね・・・

自分がもし娘の立場なら、遺してきた親がボロボロになっていたら死んでもなお苦しむのかもしれない

楽しさと苦しさを行ったり来たりしながら、私は生きていけばいいのかもしれない。

 

娘が大好きで支えてにしていたMASHは、今や私の支えになっている。

娘が亡くなってからは友達が一緒にライブに行ってくれるようになって・・・

しばらくは、やっぱり感情は動かなかった。

行く前は楽しみではあっても、いざライブに行くとただそこにいるだけだったりした。

感動したり、興奮したりすることもなかった。

でも最近は、少しずつ心が動くのがわかる。

楽しいとか、すごい!!とか・・・

 

これって、心のリハビリだなって思う。

リハビリは、時につらかったり苦しかったりするものだ。

今わたしが楽しさと苦しさを行ったり来たりしているのはまさにリハビリなんだ。

 

MASHは心のリハビリ