2月5日に亡くなった後は、自宅に連れて帰り3日間という時間を過ごせた。
その間、何人もお参りにきてくれた。涙を流して・・・
友人は、式に向け式場を飾り付ける写真の準備をしてくれたり、食事を運んでくれたりした。
棺やお骨箱はピンクにしよう、音楽はこれで!飾りつけはこんなふうに・・・と友人と準備を進めているときは、まるで披露宴の準備でもしているかのような錯覚さえ覚えた。
結婚もせずに逝ってしまった娘。
披露宴の司会者として1000本以上の結婚式を娘の嫁入りと重ね合わせて仕事をしてきた。
「娘の時はどんなふうかな」って。
それが叶わなかった今、まるで疑似体験をさせてもらっていたような気になった。
「そうだ。葬儀はお別れじゃなく娘にとってみたら旅立ちなんだ。次なる幸せな人生にむけての出発なんだ」と思うようになっていた。

私はまだ気丈だった。
目の前に亡くなってしまった娘がいても・・・
それでもまだ形ある身体がそこにあるということが先に立っていた。


それでもいよいよ翌日には斎場に移動するころになると、悲しくなってきた。
ほんとうのお別れが近づいてきたという実感が湧いてきた