健全な肉体と精神をめぐる冒険 地獄の一丁目篇

健全な肉体と精神をめぐる冒険 地獄の一丁目篇

ぼくには夢がない。希望がない。持病もない。大健康!

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雪が降っている。

家の中は笑けるほど寒くて吐く息が白い。

昼間寝過ぎたせいで眠れない。朝はまだか。

暇潰しに歯も磨いてみるけれど、ふと鏡に映った顔は頼りないほど幼い。昨日また学生に間違われた。肌は確実に時間を刻んではいるのに、吹けば飛ぶよな薄ぼんやりとした顔立ち、澱んだ目。お前、なにも考えちゃいないだろう。楽しいことなんて無かったけれど辛いことも無かった。したいことは特に無い。会いたいひとも思い浮かばない。ただ、スナックやチョコレートと一緒に流し込んだ心細さのせいで顔も足も浮腫んでまるまるした顔が少し面白い。このまま薄っぺらく年だけとるのだな、きっとお前は。ぼんやりと、ぼんやりと。

思い出なら冬の空、街灯に浮かび上がる雪道、蝉時雨の竹やぶと忘れられたよに凪いだバイパス。いろとりどりの世界で、いつだってひとりだった。寝転んだコンクリの階段は居心地が悪く、かといって他に行く場所も無いから必死に文庫本に目を落として、そよぐ潮風に苛立って、活字など頭に入っちゃこなくて、どこか遠くに行きたくて。
今日まで生きてきて手に入れたもの。疲れた肌とどこにも行けなかった自分。

吐いた息で鏡が曇る。一層ぼんやりとした我が顔面。

思えばずっと、私は白い息を吐き続けていたのかもしれない。ただの息。言葉になり損ねた、ただの息。誰にも聞こえず流れて消える。

明確な温度を知らずに歩く。ひとり、昼夜を問わずよるをひとり。それでもせめて雪ならふわりと明るく足元を照らしてくれよう。まだ平気。全然大丈夫。昨日はそう思えたじゃないか。なのに今はただ、「朝はまだか」。何が変わるというわけではないけれど。








わたしはひとりだ。

「孤独」という意味ではない。孤独ではない。

物理的にひとりなのである。

今夜、ひとりなのに大量の豚汁を作ってしまった。失敗である。

おすそ分けするような友人はいない。

友人はいないが孤独ではない。


ところで、

やきいもである。


20年前の秋のことである。

20年前もわたしはひとりであった。

いつもひとりだった。

いじめられていたわけではない。

私の育った村はあまりに小さく、私と同じような子どもがなかったのだ。それだけの話である。


その日わたしは、

家の前の空き地に散らばりに散らばった落ち葉の野郎どもをかき集めにかき集め、

台所からくすねた上等のサツマイモを濡らした新聞紙とアルミホイルで包んで、

落ち葉の山中にぶち込み、じいさんのライターで火を放った。

棒でときどき様子を見ながら、ひとり、立ち上る煙の先を睨んでいた。

一点を睨みすぎて頭が痛くなってきたころ、煙の向こう、空き地の南側に建つ家の窓に、人影が見えた。

遠くてよくわからなかったが、なぜかそのとき、あれは自分と同じ年くらいの少年だな、とわかった。

わかった、というか、気がした。気がした、のではあるが、わかった。

彼は手に温かい牛乳の入ったコップを持ち、百舌の鳴き声を聞きながら、わたしが絶賛燃焼中のイモを羨ましげに見ていた。気がした。なんせ遠いからそんなことはわかるわけはないのだが、そんな気がした。そういうことにすることに決めた。わたしはいつだって誰かの優位に立ちたかった。

イモが焼きあがると、わたしは彼のいる窓に向かって、仁王立ちでイモをほおばった。そして勝ち誇ったように屁をひった。その音は寂れた山々にこだました。イモは焦げて苦かったがわたしは満足だった。彼は少し悲しそうであった。ような気がした。

それが20年前の秋である。


わたしはいつもひとりだった。

ひとりでやることがたくさんありすぎて、秋の日に見た彼のことは即忘れた。

秋には、ひとりでサツマイモを焼いた。ほんとはジャガイモのほうが好きだった。

冬には、ひとりで自作の凧を揚げた。私が走ると凧はずるずると地を這った。

春には、ひとりでタイムカプセルを埋めた。20年後に掘り起こそうと決めた。

夏には、ひとりでタイムカプセルを開けた。20年は待ち切れなかった。


次の秋に我が家に電子レンジがやってきて、私はお手軽にじゃがバターを作ることを覚えた。

もう好きでもないやきいもを食べなくて済む。誰に強要されたわけではなかったけれども。

私はその秋じゅう、家で飼っていた亀のカメ次郎にとろけるバターを見せつけながらジャガイモを堪能した。


昨日、バイト帰りに火葬場の前を通ったら、煙突から白い煙が立ち上っていた。白い煙は馬鹿みたいにまっすぐ青い空に吸い込まれていった。わたしはいつもの癖で煙の先を睨んだ。少し寄り目になっていたと思う。ブサイクだったと思う。満足の行くまで煙を睨んだあと、20年前の彼のことを思いだした。


あの日、彼に優しくしていたら、彼に優しくやきいもを分け与えていたなら、わたしはその後もドミノ倒しのように気軽に容易に慣性の法則でもって、ひと様に優しくできたのかもしれない。わたしが誰よりも優しくしなければならない相手にわたしは一生優しくできないまま、残りの生を生きる。悔いなく生きる。悔いていられるほど記憶力はよくない。


振り返ってもう一度火葬場のほうを見ると、煙は高いところで右側に流れていた。上空ではきっと強い風が吹いているのだろう。










駅の蛍光灯がチラついている。

三つ並んだ左端がチラついている。

もういつぱちんと消えてもおかしくないのだな、お前は。


夜も昼も平べったいので街灯の下、屁を放った。音はしなかった。最後まで世界を震わせることができなかった。

結局おいしいものを食べて笑い合っている時間が何よりも楽しくて、

でもおいしいものを自分の手で作ってみたくて、

だけどいつからか喜ばせたい人の顔も褒めてほしい人の顔も見られなくなってしまった。

振り向けば道はなく、みんなどこかへ行ってしまった。

もうずいぶん前からおれはにせものだったんだなあ。

あぶらで汚れた手が臭せえ。

大事にしてたタイムカプセルは遂に空だった。

ああ、まっしろだ、まっしろだ。